第百九十二話【大軍の出発】
ヨロクでの明朝、ダーンフールへ向けて出発する直前。
今朝もまた、私はユーゴの声に目を覚ました。
「ちゃんと寝たか? 今日はふらふらすんなよ。勝手にどっか行くなよ。野菜盗られるなよ」
「だ、大丈夫ですよ、もう。今日ばかりは私も緊張しますから」
いえ、普段から緊張はしているし、緊張感も持っているつもりなのだけれど。
それでも、周りからは足りていないと指摘されてきた。
ならば、今日は普段以上に張り詰めておかないと。
ダーンフールの解放に失敗すれば、自ずとゴートマンの捕縛も難しくなる。
魔人の集いを解体することも不可能になるだろうし、そもそもの私達の目的だって達成出来なくなる。
「……ゴートマンは現れるでしょうか」
「私達の予想通り、まだあの魔術の再使用が不可能だとしたら」
「それならば、あの人物が戦場に現れるとは思えません。そして、それを組織として許すとも思えません。ですが……」
「……もしまた現れたら、もう再チャージが完了してる証拠……ってわけだよな」
「まあその場合、アイツの顔見るより前に誰か操られるだろうけど」
恐ろしい話だ。
ジャンセンさんの推測は理に適っていて、きちんと裏付けも取れていた。
それでも、確実ではない。
あの魔術の制限、そして仕組みについて、私達は推測するのがやっとだった。
「……もしマリアノが操られたら、そん時はぶっ倒す。ゲロ男でもそうだ。っていうか、あのふたりに限っては、俺じゃないと絶対無理だしな」
「そうなったら、アイツらの代わりにお前が指揮執るんだぞ。ちゃんと状況把握しとけよ」
マリアノさんが、或いはジャンセンさんが操られたら、か。
そうなれば、もう部隊は修復不可能なくらいダメージを負ってしまうだろう。
それでも、その後に活動する為の指揮を誰かが執らなければならない。
ユーゴはそれを、私が執るべきだと言っている。
いや、私にしか出来ないのだと。
「そうならないことを願うばかりですが、なってしまった場合の備えを怠るわけにはいきませんね」
ゴートマンの再出現に限らず、あのふたりが行動不能になってしまった場合、私達はどうすべきか。
治療が必要ならば、何人かに任せてカストル・アポリアへ運んで貰う。
そこで治療をして、そしてヨロクへと帰還させる。
大きな怪我が無ければ、護衛と共にこれもまたヨロクへと。
この場限りで失ってしまうという最悪の事態は避けたい。
しかし、その上で……
「……先に言っておきます。もしも隊に大きな損害が出た場合……ジャンセンさんやマリアノさんを欠いてしまった場合でも、ダーンフールの解放は続行します」
「逃げるとすれば、私か貴方に何かがあった場合だけです」
ふたりを抜きにしたとしても、私達は作戦を続行する。
そう告げれば、ユーゴはなんだか嬉しそうな顔をした。
ジャンセンさんよりも、マリアノさんよりも、自分を頼っているように聞こえた……のだろうか。
事実、私はユーゴを最も信頼してはいるが。
しかし、そんなことで喜ばれると、なんだかそれも複雑な気分になってしまうな。
「ま、当然だよな。今回で解放出来なかったら、それこそ次にはゴートマンがまた出てくるのは間違いないんだから」
「はい。なんとしても、ゴートマンの脅威が弱まっている今回で、ダーンフールを解放し、活動圏を広げてしまわないと。次からの作戦もまともに立てられなくなってしまいますから」
もうエリーに力を借りられないから、次にはカストル・アポリアを訪れるのでさえ難しいことになってしまう。
となれば、今回はどんなことがあってもダーンフールまでは行く。
ただし、ユーゴに何かあった場合だけは別だ。
彼を欠けば、今回の作戦だけでなく、次以降の全ての選択肢が大きく狭まってしまうだろう。
もっとも、彼は私と同じく、最後方の馬車に乗る予定だから。
彼に何かあるということは、私にも、そして隊の全てにも大きな問題が発生するという意味だ。
そんなもの、逃げ帰る以外に選ぶ答えは無い。
「おーい、フィリアちゃーん。起きてるかーい……って、流石に寝坊なんてしないよね」
「おはよう、フィリアちゃん。ユーゴも、ほら。おい。こら。おはようはどうした、おら」
「おはようございます、ジャンセンさん。ほら、ユーゴ。きちんと挨拶してください。ほら。もう」
気合を入れ直していた私のもとへ、陽気な声とドアを叩く音が届いた。
それからすぐにジャンセンさんが顔を覗かせて、それと同時に……ユーゴがすごく不満げな顔になってしまった。
もう……どうしてそう……
「ま、もう慣れたから良いけどさ」
「それより、もう一回確認しとくね。部隊編成と、それからふたりの役割……っていうか、ユーゴの役割について」
「まず、一番前は姉さん。これはもういつも通りだよね。魔獣蹴散らして貰って、安全に通れるようにする。んでそのすぐ後ろに……」
最前はマリアノさんひとりだけ。
馬車ではなく、馬に乗って単身魔獣を蹴散らす役割を担う。
その後ろには、ジャンセンさんを筆頭とした精鋭の乗る武装馬車を三台。
マリアノさんの援護と、そして討ち漏らしの掃討に掛かる。
両側面を更に二台ずつの馬車で固め、騎馬による遊撃隊も展開することで、不慮の攻撃に対して備えさせる。
魔獣による攻撃であれば問題無いが、そうでなかった場合――ゴートマンや、魔人の集いの関係者が襲撃してきた場合に限り、ジャンセンさんを呼び戻して指揮を執らせる。
そして、前横をしっかりと護られた最後方に、私とユーゴの乗った馬車を配置する。
緊急時には左右の部隊に指示を出したり、後方からの追撃を阻んだり、備えとしての戦力も担わなければならない。
「ま、ナリッドの時と同じって言えば同じかな。結局、姉さんがいれば魔獣はなんとかなるからね」
「不測の事態に陥らない限り、ユーゴは寝てても平気だとは思うから」
「逆だろ。俺がいればお前らはいなくてもいいんだから、適当にやってても平気だぞ」
「特にお前はいらない、どっかで馬から落ちて死んでてくれてもいい」
このやろう! と、ジャンセンさんが掴み掛るのが先か、それともそれを予期してユーゴが逃げるのが先か。
先ほど緊張感を持てと言っていた気がしたのに、どうにも普段通りの気の抜けるやり取りが繰り広げられてしまった。
どうしてこういつもいつも……
「俺が死ぬか生きるかは別として、フィリアちゃんはちゃんと守れよ」
「ゴートマン以外にもいるかもしれないしな。魔人の“集い”なんて名乗っていた以上は」
「分かってるよ、いちいち言われなくても」
ジャンセンさんはそれからしばらくユーゴと睨み合いを続けて、そして妙に満足げな笑みを浮かべて部屋を出て行った。
もしや、彼はユーゴをからかいに来ているのだろうか。
というか、それが楽しみになっているのでは?
「弟のように思っているのかもしれませんね、貴方のことを」
「いつかもおっしゃっていましたが、自分と同じ境遇を味わったことがあるのでは……と、気に掛けてもいましたし」
「うざ。あんなやつの弟になるくらいなら死ぬ。あんなのが家族とか、魔獣がペットの方がまだマシだぞ」
いえ、魔獣を飼育する方がよほど危険でよほど気も休まらないと思うのです。
それでもジャンセンさんの弟になるくらいならば……というつもりだろうが、それはいくらなんでもというものだ。
認めているのならば素直にそう言えば良いのに、どうしてこうも喧嘩腰になるのだろうか。
「さて、そろそろ出発の準備をしましょうか」
「先ほども確認された通り、私達は緊急時以外は基本的に待機です」
「ですが、貴方の魔獣を探す感覚は、他の誰にも備わっていない特別なもの」
「マリアノさんの指示が及ばない後方……左右の防御隊の為にも、特に後方の感知をしっかりとお願いしますよ」
「分かってる。この間通ったときも、こっから先はそれなりに魔獣もいたからな。気を抜くつもりは無いよ」
ジャンセンさんの姿が見えなくなった途端、いつも通りの頼もしいユーゴに戻ってくれる。
それは嬉しいが、もうどうしようもなくあの関係が不思議でならない。
間違いなく互いにリスペクトがある……ようには見えるのに。
それからすぐにマリアノさんの号令が聞こえて、私達も他の若者達も砦の外で整列した。
そしてそれぞれが指定の装備を身に付け、馬車に乗るものは馬車へ、騎馬隊は馬の手綱を引いてその後方へと並んだ。
「よーし、出るぞテメエら。死んでもいいが、そんときはせめてなんか遺してけよ」
「敵に手傷負わすか、手掛かり示すか。間違っても遺言なんざ吐いて死ぬんじゃねえぞ、このボケども」
隊列の完成を見届けると、マリアノさんによる出発指揮が執られ、部隊はゆっくりと北上を始める。
私とユーゴは既に一度訪れているが、特別隊にとっては初めて出向く場所だ。
このヨロクの砦を出て、その北端から少し先のダランの砦からもう一部隊合流し、そして未踏の地へと踏み出す。
ダーンフールの解放を目指して。




