第百九十一話【もやもや】
やはり、ハルからヨロクにかけての道中で、魔獣の減少傾向が見られた。
それ自体は喜ばしい結果なのだが、いかんせん原因が分からない。
この問題については、ダーンフールを解放した帰りにゆっくりと調査する……と、そう結論を出したのだが……
「クソガキも気付いてたか。確かに、奇妙な空気はある」
「だが、ここと他の三か所がまったく同じとも思えねえ。ウェリズもカンビレッジも、こことは違う空気があった」
「違う空気……ですか? それはユーゴが感知したという、北の林の更に奥にある何か……なのでしょうか?」
どうだかな。と、マリアノさんは私の言葉にため息をついてそう吐き捨てた。
それとは違うものの可能性がある……いいや。
それとはまったく関係無しに、ヨロク周辺の魔獣が数を減らしている……と、彼女はそう考えているのだろうか。
ここはヨロク北端の旧国営砦跡。
盗賊団としてのジャンセンさん達が活動拠点としていた、現在は特別隊の使用する軍事砦、その会議室の中だ。
鉄と火薬と、それからほこりのニオイにまみれたそんな場所で、私達はひと時の休息をとっている。
もっとも、その休みの時間に、私もユーゴも、ジャンセンさんもマリアノさんも、頭を抱えているのだが。
「しかし、意外というか……割と嫌な空気になってきたね」
「姉さんのことだからさ、そんなこと考えてないで目の前のことに集中しろー……って、フィリアちゃんのこと蹴飛ばすと思ったのに」
「それだけ違和感がデカいってことでしょ、つまり」
はあ。やだやだ。と、ジャンセンさんはわざとらしくおどけてみせるが、しかしそれで場の空気が和んだりはしなかった。
それに、そういう意図があっただろうにも関わらず、ジャンセンさん本人が険しい表情のままなのだから。
空気はどんどん重たくなって、ダーンフールの解放に全力を尽くす、このヨロクの問題は後に回そうなどとは、発言出来る状況でなくなってしまった。
「おい、ゲロ男。ずっとこの辺見張ってたやつに聞けないのか。なんか変なこと起こってなかったか、って」
「聞いたよ、聞いたうえで悩んでんだよ」
「魔獣が数を減らすような特別なことは何も起こってない……が、ヨロクを任せたやつらの言だ」
「それと同時に、魔獣の数はいきなり減ったわけでもないとも報告を受けてる」
「なんらかの理由で自然淘汰されかけてる……なんて、都合の良い話なら嬉しいんだけどな」
自然淘汰……つまり、他の動物や自然環境の変化によって、魔獣が勢力を落としている、と。
たとえば、動物を食らい過ぎてもうこの地に餌となるものが残っていない……だとか。
或いは、植物が強い毒性を持つようになって、それを食って死んだ獣の屍肉を食った魔獣すらも毒死させてしまうほどになっている……とか。
ううん……そんなに大きな変化が、いきなり起こり得るものなのだろうか……
「魔獣ですら暮らせなくなるくらいヤバいことが起こってる……ってのが一番最悪だね」
「姉さんもユーゴも、この近辺にデカい気配は感じてないんだよね? 他の魔獣が逃げ出すくらい強い魔獣の気配とかさ」
「今のとこは。でも、そんなのアテにならないぞ」
「前にここで見かけたチビタヌキは、全然強そうな気配とか無かったし」
チビタヌキ……とは、以前この街を襲った魔獣の大群の、その内の一頭を指すのだろう。
ユーゴの言葉通り、外見は少し凶暴な風体のタヌキ……といった感じだった。
けれど、それの出現に際し、林から頭を出すほど大きな魔獣が怯えている様子も確認している。
あの小さな魔獣に特別な気配が無かったのだとしたら……
「オレも同感だな。今までに無かったことが起こってる以上、今までアテにしてたモンは忘れるべきだ」
「ずっと頼りにしてきた姉さんの力を、今この時には忘れなさい……ねえ」
「はあ。そんな簡単に切り替えられたら苦労しないって」
情けない限りだが、ジャンセンさんの言葉にはつい頷いてしまいそうになる。
魔獣の感知という点において、ユーゴの感覚にはこれまで頼りきりだった。
彼にもマリアノさんにも、間違いなく特別な力がある。
それを今はアテにするな……と、そう言われると、やはり心細くなってしまう。
「類似例が無いか探してみるしかねえわな」
「デカ女、帰ったらこれまでの国軍の調査書を調べ直せ」
「魔獣の数がゆっくり減少した例が他に無いか、その時の原因を特定出来るモンはあるのか」
「こっちでも昔の調査記録引っ張り出してみるが、いくらなんでもお国の軍と有象無象とじゃ、仕事量と範囲が違い過ぎるからな」
「はい、承知しました。軍の召集については制限を設けられていますが、しかし過去の活動記録の閲覧には差し障りないでしょう」
「ただ……その……私と補佐官と、それから宮の一部の人間だけでやることになるでしょうから……」
どうしても時間は掛かってしまうだろう。
ううん、弱ったな。この件では伯爵を頼ることも出来ない。
いくら調査能力に優れると言っても、かの人物はコウモリによって見て探すという手段が主だ。
それでは過去を遡って、事象を確認することは出来ない。
国軍の活動記録を外へ持ち出すわけにもいかないしな、やはり私だけで調べる他に無い、か。
「それでもお願いするよ。やっぱりさ、俺達とフィリアちゃんとじゃ触れる情報に差がある。質とか量とか、そういうのに区別無くね」
「その為にテメエと組んだんだ。しっかり働け、デカ女」
ジャンセンさんとマリアノさんの言葉に、私は出来るだけ自信を持って頷いた。
私は女王で、ここにいる誰よりも多くの組織から情報を引き出せる。
余計な驕りさえ抱かなければ、私はなんだって出来る立場にあるのだから。
「さて、他に気になったこととか無い? 無いなら、これで今日はもうお開きにしよう」
「明日はダーンフールまで行く、その段取りももう決めてある。となったら、ゆっくり休むのが最優先だよね」
「そうですね。私からは何もありません。ユーゴ、貴方はどうですか?」
私の問いに、ユーゴは迷うことなく首を横に振った。
もう少し考えてみても……とは思うが、しかし彼なりに区切りを付けたかったのかもしれない。
マリアノさんも同じように首を振って、それでこのヨロクとハルの間の問題は一度打ち切りとなった。
「ユーゴ、明日はしっかり頼むぞ。こっから先、行ったことあるのはお前とフィリアちゃんだけだ」
「姉さんがいたとしても、魔獣を捌ききる余裕は無いかもしれない。もしもの時は、お前がフィリアちゃんを……」
「うるさい。そんなの、お前なんかに言われるまでもない」
「大体、俺ひとりで平気だったんだ」
「フィリアとエリー守りながらでも余裕だったんだから、なんかあったとしたら、それはお前が足引っ張ったって証拠だろ」
もう、どうしてそう口が悪いのですか。
ユーゴの言葉にジャンセンさんは目を丸くして、けれどどこか満足げに笑って部屋を出て行った。
マリアノさんもそれに続いて出て行って、広い会議室には私とユーゴだけが残される。
「何かがあるとして……いえ、何も無いというのが望ましいのですが」
「しかし、あると仮定したならば、それがこの遠征の最中に牙を剥かなければ良いのですが……」
「俺達が北へ行ってる間にヨロクを襲われたら……いや、ヨロクならまだ平気か」
「でも、ハルとか、マチュシーにヤバい魔獣が現れたら……」
しかし、それを待つ為に常駐する……なんて策は取れない。
やはり、ヨロクやカンビレッジのような大きな街以外では、どうしても兵力が不足してしまうな。
ただでさえナリッドへ人を送ってしまっているから、何かあったら一気に押し潰されてしまいかねない。
「だったら、マリアノに頼むか? この間行った限りでは、俺がいれば大した問題は起こらなさそうだったし」
「確かに、魔獣だけが相手ならば、そしてカストル・アポリアまでの道のりだけならば、ユーゴだけでも問題無いでしょうが……しかし、その後のこともありますから」
どうしてもダーンフール解放は失敗出来ない。
となれば、マリアノさんをここに残すという手も使えない。
隊の一部を残して行く……程度で、果たしてどうにか出来るのか。
それならばいっそ、全勢力を以って解放作戦を速やかに遂行して帰還した方が……
「はあ。答えは出ませんね。ならば、当初の予定通りに動くのが吉……でしょう」
「無理に予定を変えれば、その分不安や動揺が生まれます。そうなると、失敗してしまう可能性も大きくなりますから」
「……ん。フィリアがそう決めたなら、文句は言わないよ。どっち選んでも悪い目は残るしな」
ユーゴはそう言うと大きく伸びをして、そして会議室を出て行ってしまった。
私が決めたから……悩みながらもひとまずの結論を出したから、彼も腹を括った……か。
私の決定によって力の振るい方を決める。
ユーゴは日ごろからそう言っている。
それは私へ依存しているという意味ではなく、自己決定とは別に、他者の承認を前提として行動したいから、だと。
無暗に暴れれば、怖い人になってしまうから、と。
「……ふう。頼もしいですが、恐ろしい限りです。私が道を間違えたなら、きっと咎めてくれるでしょうが……」
道が一本しかなかったならば。
そして、その先が暗闇であったならば。
私は意図せず彼を怖い人間にしてしまうかもしれない。
問題をいくつか乗り越えて、段々大きな障害が現れるようになって。
次第にそんな不安も芽生え始めてしまった。
ダーンフールを解放する。
そして、急いで戻ってこのヨロクを調査する。
それが終われば、伯爵からアルドイブラの情報を受け取って、魔人の集いの排除に乗り出す。
これらにはまだ、紛れは無い筈だ。
まだどこにもユーゴを貶めかねない要素は無い……筈。
まだ私は、なんの選択も間違えてはいない……筈なのだ。




