第百八十七話【見たもの、告げたこと】
「さて。まずは無事の帰還に感謝するよ、何よりも。本当に、ちゃんと帰って来てくれて良かった」
「またこうして会えて、話が出来て、一緒に夢を見られて嬉しいよ、フィリアちゃん」
「はい、ご心配おかけしました。フィリア=ネイ、無事に帰ってまいりました」
宮からしばらく歩き、私とユーゴは元魔術工房……現特別隊活動拠点にて、ジャンセンさんにマリアノさん、それからゴルドーと、まだ今日初めて顔を見る若者達を前にしていた。
理由はただひとつ。ゴートマンを捕縛し、魔人の集いを排除する。その作戦を命ずる為に。
だが、その前に……
「こほん。先に……すみません、ジャンセンさん」
「実は、エリーなのですが。本人たっての希望があったことと、そしてその行いが人々の規範となり得る善性を伴っていると判断しましたので、彼女は別の任務の為にこのアンスーリァを離れました」
「相談も承諾も無しで、こうして事後報告となってしまって申し訳ありません」
「うん? ああ、いいよいいよ。人事の決定も本当はフィリアちゃんが握るべき権限だから」
「俺の方がこいつらには詳しいから、今まではとりあえず適正ありそうなとこに当てはめてただけだし」
「フィリアちゃんが適任だと思う仕事があったなら、そこを任せるのに文句は無いよ」
でも、何があったの? あんなちびにこなせる任務なんて思い当たらないけど? と、ジャンセンさんは首を傾げた。
エリーには……と、その説明に入る前に、まずは大前提を――私達が見てきたものを説明しなければ。
「私達はヨロクより北方へと出発し、ダーンフールを目指していました」
「しかしその途中、カストル・アポリアという自治区を……いえ、国を発見したのです」
「最終防衛線の外に弾き出された街と街とが集まって出来たそれは、間違いなく国と呼べる機能を備えていました。エリーは今、そこにいます」
「カストル・アポリア……姉さん、聞いたことある? お前らも聞き覚えないか? 噂とか、伝票の名前でもなんでもいい」
私の話に、ジャンセンさんはまずそこにいた全員にそう尋ねた。
しかし、マリアノさんをはじめとして皆が首を横に振るばかり。
全員が最終防衛線の外に生まれ育ちながらも、あの国については誰も知らないようだ。
「だーれも知らない、か。ま、仕方ないっちゃ仕方ないか。北についてはあんまり活動圏を広げられてなかったからな」
「当然、人を集めるのも南やら西に限られてくる。俺だって生まれこそアルドイブラだけど、もうしばらくはあっちの方になんて行けてないしな」
それはやはり、魔人の集いとの小競り合いがあったから……だろうか? そう私が問うと、ジャンセンさんは小さく首を横に振った。
そうではない、か。それとも、それだけではない、か。
「特に変な理由も無いよ。最終防衛線から離れれば離れるだけ、街の強度は下がってくんだ」
「当たり前だけど、距離が離れ過ぎると物資の密輸だってままならない」
「だから、俺達はヨロクやカンビレッジみたいなデカい街に寄生してたわけだし」
「寄生……ですか。しかし、ウェリズやチエスコはしっかり自立して……」
それも違う。と、またジャンセンさんに首を振られてしまった。
私が抱いていた印象は、彼らの生き抜いてきた現実をしっかりと捉えられていなかった、と。
「南は特に、カンビレッジの恩恵がめちゃめちゃ大きかったからね」
「街はデカい、盗めるところも多い、その上なんでか魔獣が少ないと来た」
「だから、チエスコを自立させられるくらいの資金を調達出来た」
なるほど。思い返してみれば、確かにカンビレッジには……カンビレッジ近郊、特に南東部には、暮らしやすい環境が整っていたように思える。
そこに加えて……何かと防衛費を要されたから……多額の税金が注ぎ込まれ……カンビレッジには多数の公的設備が建設されて…………全て盗まれてしまった、と……
「……俺達は盗賊行為でしか生活基盤を作れなかったからね」
「栄えた場所から離れるってことは、つまり収入減を失うってこと。だから、ヨロクから北へは進めなかった……って、そんな話はよくて」
「ひとまず、あのちびがそのカストル・アポリアってとこにいるのは分かったよ」
「でも、それを国と、あろうことか女王様が発言しちゃうのはどうなの?」
「ダーンフールの手前ってことは、この国の領土内でしょ?」
「うっ……はい、宮でも補佐官に咎められました」
「しかし、そこは間違いなく国と呼べるもの……いいえ、呼ぶべきものだと感じました」
「少なくとも、現時点でのアンスーリァが保有権を主張し、そこに住まう民から幸福を奪い去るような行為は、決して認めてはならない、と」
私の言葉に、ジャンセンさんは視線をユーゴへと向けた。
お前はどう感じた? と、そう尋ねたいのだろう。尋ねたかったのだろう。
しかしユーゴは、これはもう一種の反射行動なのではないかと思うくらい、一瞬も戸惑うことなく物を投げつけた。
こっちを見るな……だろうか……
「もう、ユーゴ。いけません、そんなことをしては」
「いつもいつも、どうしてジャンセンさんの前でだけはわがままな子供のようになってしまうのですか」
「誰が子供だ、このバカ。コイツが腹立つ顔してるのが悪い」
それがあまりにも子供っぽい理屈だと言っているのですよ、もう。
そんなユーゴの姿に、ジャンセンさんもこれまたすっかり慣れてしまった様子だ。
呆れたように肩を竦めつつ、しかし苛立ったり悲しんだりするそぶりも見せずにユーゴへ問いを投げる。
お前から見て、どうだった、と。
「……どうもこうも無いだろ。フィリアがそう決めたなら、俺がどう感じても関係無い。まあ、全然的外れなことしてたら流石に止めるけど」
「そこまでひどい誤認でもなさそうだ……と」
「そうかぁ……うーん。まさか国建てるやつが出て来るとはなぁ。道理としては間違ってないんだけどさぁ……」
ユーゴの返答を受けて、ジャンセンさんはがっくりとうなだれてしまった。
そこに国があることは、商人でもある彼にとっては好都合なのではないだろうか。
街と街という規模よりも、やはり国と国という規模の方が取引の額が大きい。
となれば、彼のように他方の街へ顔の利くものは、交渉もより有利に運ぶことが出来るだろう。
しかし、それでも不満……とは?
「ざまあみろ、このゲロクズ。お前より全然すごいのいたぞ」
「見た目からもう違った、もっとちゃんとした格好してた」
「酒飲んでゲロ吐いてくたばってるだけの人間のクズとは、根本的なとこが違うやつだった」
「……腹立つけど微妙に言い返せねえとこ突いてくるな」
「ま、そりゃそうだろう。俺は街止まりだった。同じように逸れた街と街を繋いで、人を集めて、俺は盗賊団とそれが暮らす為の街を作るとこで止まった」
「でも、同じことして国にまで発展させたやつがいる。この差は明白だろうよ」
ジャンセンさんは悔しそうにそう言った。
街止まりだった……か。
しかし、彼のおかげで救われた命がある、守られた街がある。
それについてはヴェロウの行いと変わらない。
誇りさえすれど、何も比較して卑下されるようなものとは思えないのだが……
「ま、そんな話は今はどうだっていい」
「負け惜しみじゃないよ? 今気にすべきは、能力の劣る俺でも、そいつがやってない問題解決に踏み出さなきゃならないってことだけ」
「こうして無事帰って来てさ、わざわざ俺達を呼び集めたってことは、収穫あったんだよね」
「はい、もちろんです。私達はそのカストル・アポリアにて、例のゴートマンと接触しました」
「しかし、その国と魔人の集いとは無関係のようです」
「ゴートマンも、私達を探して迷い込んだ……という風でした」
思い返せば、私のあんな下手な嘘でも突破出来てしまう関だったのだから。
ゴートマンは人心を掌握し、人の心を操る魔術を駆使する。
それはすなわち、人に付け込む能力が備わっているということ。
口八丁でもなんでも、他の関を守っていた見張りを言いくるめて街に忍び込めても不思議はない。
「残念ながら捕縛はなりませんでした」
「ですが、例の魔術の発動を確認しました。そして同時に、それの再発動をしようとしない様子も」
「やはり、あの術は連続しての発動は不可能なのでしょう」
となれば、軍を率いても問題は無い。
まだゴートマンにはあの瞬間移動を可能にする魔術があるが、しかしそれも先の魔術に比べて被害の出にくいものだ。
これもまた、そう多用は出来ないのだろう。
攻撃性を見せもするが、退避の為に温存しているようにも思えた。
こちらの数が多ければ、そう簡単に攻勢には出られないだろう。
「ヨロクを出発し、そしてダーンフールまで。可能ならば、今回の遠征でかの街を解放します」
「そして最前線に活動拠点を設け、魔人の集いの本拠地を探し出す」
「逃げる先を失えば、いかにゴートマンといえど捕縛出来る日も来る筈です」
よって、私達は急ぎ北へ向かい、街の解放を進める。
私のそんな宣言に、ジャンセンさんとマリアノさんは顔を見合わせて小さく頷いた。
そしてゆっくりとこちらへ視線を向けて……
「――確認しました――じゃねえよこの大バカボケ女――ッッ! テメエ――ッ!」
「あの魔術を使わせない為に、被害を出させない為に出発許可した筈だけど――っ!?」
「なんで一番狙われちゃダメなフィリアちゃんが攻撃受けてんのさ――っ!」
鬼のような形相を浮かべ、それに驚く暇も与えずひと息に詰め寄って来――いたいっ!
詰め寄られて、マリアノさんには思い切り蹴飛ばされてしまった……
「ちょっ、蹴らないで! 姉さん! それは問題! それは問題になるから! 女王様! 相手は王様だから!」
「これのどこが王だ! ただのボンクラだろうが!」
「このバカ女! テメエはもうちょっと考えて行動しやがれ! 飼料でも詰まってんのか、その頭ン中は!」
うぐぅ……た、確かに、危険極まりない状況にあったのは間違いないが……
それからしばらく、私はマリアノさんに怒鳴られ続けることとなった。
一緒になって怒っていた筈のジャンセンさんにかばわれながら。




