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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第二章【惑うものと惑わすもの】
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第百八十五話【見てきたもの、決めたこと】



 帰りの馬車の中はずいぶん静かだった。


 もう魔獣の出現にはしゃいでいる少女の声は聞こえなくて、数の増えた馬の足音ばかりが箱の中に反響している。

 行きよりも静かで、けれどそれよりもガタガタと揺れて、大きな物音が鳴り響く帰り道。


 カストル・アポリアからヨロク、そしてハル、マチュシーを経由して……


「――到着いたしました。昨日の雨で足下がぬかるんでおります。お気を付けください、女王陛下」


「……はい。ここまでご苦労様でした」


 私とユーゴは、ふたりだけでランデルへと帰って来た。

 大きな収穫を持って、喜ばしい顔で帰って来た……と、そう思う。


 決して、エリーとの別れを寂しがったりなどしてはいけない。


 あの子はすごくすごく立派な決断を下し、女王直属の組織の人間として恥じない、正義の行いを成したのだ。

 だから私は今、晴れやかな表情を浮かべていなければならなくて……


「……フィリア、お前って分かりやすいよな。なんか……いや、全然意味分かんない時もあるんだけど」

「でも、少なくとも今はめちゃめちゃ分かりやすい」


「そう……ですか? となると……もう少しだけ、外を歩いてから宮に戻りましょうか。あまりパールとリリィに心配を掛けてはいけませんから」


 どうやら私は、あのエリーという少女の底抜けな明るさにずいぶんと癒されていたらしい。

 あの子の不在が、静けさが、どうにも気分を落ち込ませてしまう。


 このままでは帰れない。と、良い成果を上げたというのに、私は何故かそんな思いで時間を潰す必要に迫られた。

 ユーゴもそれに黙って付き合ってくれて、日の高いうちにランデルへ到着したというのに、結局ふたりして夕暮れの頃まで街を歩き回っていた。

 アンスーリァの、ランデルという街を。


「こうしてゆっくり歩いてみると、やはりカストル・アポリアとは根本から違うもののように感じられますね」

「本来ならば、その文化の源流は同じものの筈なのに」

「生活様式や建築法に細かな差異があることをはじめ、人々が意識すべき規範が大きく異なっている気がします」


 こことあそこではルールが違う……ように感じる。

 いいや、それも大本は変わらない筈だ。

 けれど、それの重みが違う。


 このランデルは、なんだかんだと言っても安全な街だ。

 それに対してカストル・アポリアは、さんざん安全だという言葉を使ったが、ここに比べればずっとずっと危険の真っ只中にある。


 魔獣からの距離があまりにも違い過ぎるこの両者には、ルールが定めるものの意味が違ってきてしまう。


「俺は差があるとすら思わなかったけど、フィリアは違って見えるのか。それで、どっちが良さそうなんだ?」


「また難しいことを尋ねますね……そう簡単にどちらが良いとは決められませんよ」


 あの国のルールは、破れば即自らの危険に繋がるという意味を孕んでいた。


 街を追放されれば、もうどこにも隠れられる場所は無い。

 だから、悪人らしい悪人は生まれ得ない。


 野菜を盗んだあの男だって、ユーゴがあっさりと取り返せたところを思えば、きっとロクな抵抗をしなかった――暴力を振るおうとしなかったのだろう。

 そうしてしまえば、今度は言い逃れ出来ないほどに法を犯してしまうから。


 一方で、この国ではそうはいかない。


 かつて盗賊団というものが蔓延ったように、ルールを破ったからといってすぐに自分の身に何が起こるとも限らない。


 だが、それが間違いなく住処を――街を、国を蝕んでしまう。

 個人への制裁が弱いが故に、受け皿となる街への負担が大きいのだ。


「どちらにも良い点、悪い点があります」

「これから何十年後かになってみて、その頃に振り返れば、どちらが良かったと結論を出すことも出来たかもしれません」

「ですが、当事者の私達には不可能ですから」


 っと。そういう意味では、ユーゴの視点からならばその結論が出せるのではないか。

 この世界よりもずっと先んじた文明を持つ世界を知っている彼ならば、振り返った地点で出された結論も知っている可能性がある……と、それを思い付いて、口にしかけたところで踏み止まった。


 もしも、今歩いている道がどこにも繋がっていないのだとしたら。

 そう知らされた時、私はそこで歩みを止めて方向転換をする勇気を出せるだろうか。


 無理だろう、きっと。


 変えられないのに、その先が真っ暗な奈落の底だと知ってしまったら……


「おい、フィリア。そろそろ帰るぞ。仕事も溜まってるだろうし、さっさと準備してまた行かないといけないんだ」


「……はい。そろそろ戻りましょう」

「ジャンセンさんにも早く報告しなければなりませんし、可能ならば伯爵のもとも訪れたい」

「やらなければならないことが沢山ありますから」


 分かってるなら急げよ。と、ユーゴは私の肩を叩いた。


 彼なりに励まそうとしてくれているのだろうか。

 もしそうなら……なんとまあ、私のことを言えないくらい不器用ではないか。


 少しだけ微笑ましいなと彼を見つめていると、また冷たい目で睨み付けられてしまった。

 そう嫌な顔をしないでください……


 遠回りに遠回りを重ね、私達は宮へ――そして執務室へと戻った。

 広い天井がなんだか落ち着かない。

 ずっとここにいた筈なのに、アルバさんの家の天井に慣れきってしまった気分だ。


 数日だけなのに、どうしてこうも心を惹かれているのだろう。


「おかえりなさいませ。遠征、ご苦労様でした。ご無事で何よりです、女王陛下」


「はい、ただいま戻りました。パールも息災そうで何よりです。不在の間、変わったことはありませんでしたか?」


 いえ、何も。と、いつも通り表情の変わらないパールに出迎えられれば、少しずつこの部屋の空気が身体に馴染み始めた気がした。

 もしかしたら私は、場所ではなく、人に居場所を見出しているのかもしれないな。


「……こほん。すみません、パール。早速ですが、もう一度遠征の準備をお願い出来ますか」

「私達は今回の遠征で、主目的であったゴートマンの捕縛には失敗しました」

「ですが、その能力の一時的な無力化という、それに準ずる成果を挙げてきたのです」

「この機を逃す手はありません。もう一度――今度は特別隊の中でも精鋭部隊を引き連れて、ゴートマンを……魔人の集いを鎮静化します」


 さあ、感傷に浸る時間も、自分の内面を見つめ直す時間もおしまいだ。

 私の言葉に、パールは凛とした態度を崩さずにこちらへ向き直した。


 議会への出席や宮の書類仕事をもう少しだけ彼に任せ、私はジャンセンさん達と共にもう一度北へ向かう。

 その為には、まず今回の成果を報告し、そして彼とリリィを納得させなければ。


「今回の遠征で、私達は一度目的地をダーンフールと定めました。ですが、そこには至りませんでした」

「というのも、その手前に新たな街を……いえ、国を発見したのです」


「……アンスーリァ国土内に、新しい国……ですか?」

「陛下、お言葉をもう少し選んでください。女王陛下が言葉にしてしまえば、その真偽がどうであれ、重い意味を持つようになります」

「アンスーリァには、先代、先々代の王政によって積み上げられた歴史があるのですから」


 パールの言葉には納得した。

 そして、そういう意見があることも当然理解していた。


 けれど、それを分かった上で私はその言葉を口にしたのだ。


 あの時、あの場所で。

 そして、たった今、この場所で。


「……いいえ。あの場所は確かに国でした」

「アンスーリァが切り捨てた領土の中に生まれた、人々が手を取り合って建てた国」

「誰にも反対されるでしょうが、私は将来的に、あの国を――カストル・アポリアを国家として認め、そして友好関係を築きたいと考えています」


「っ。陛下、取り下げてください」

「今はまだ、ここに私とユーゴしかおりません。ですがその言葉は、内々での会話であるからといっても簡単に口にして良いものではありません。お取り下げください」


 いいえ。私はこの決定を覆しません。と、そう言えば、きっとパールは頭を抱えてしまうかな。

 けれど……きっと、それでそこからはもう何も咎めないだろう。


 私は彼を知っている。

 そして、彼も私を知っている。

 だから……


「……取り下げません。国土を減らしたからなんだというのです」

「最終防衛線などというもので事実上の切り離しをしたのは私達王政です」

「既に、ヨロクよりも北、そしてカンビレッジよりも南は、アンスーリァ国土にあって、その庇護の下に無い」

「だからこそ私は、ここまで解放を進めてきました」

「それが人々の手によって護られているのならば、彼らの要請無しにもう一度傘下へ加え入れるなどという驕った行為は、決して認められません」


 私はもう一度、決定事項として――王の意思として、言葉をパールに伝えた。

 やはり、彼は何も言わなかった。


 大きなため息をついて、頭を抱えて。

 それでも、呆れた様子のひとつも見せずに、深く頷いたのだった。


「当然、議会や貴族、それに民衆からの反対もあります。陛下の意思が最後まで貫き通せるとは限りません」

「それでも、貴方がそう望むのならば」


「きっと……いいえ、必ず。認めさせてみせます」

「人々の幸福は、国によって護られるべきものであって、国によって管理されるものではないのです」

「それを必ず皆に伝え、理解していただきます」


 カストル・アポリアへの恩、ヴェロウへの恩だけではない。


 あの国の形は、決して潰してはならない。

 絶対に後世へ残さなければならない。

 私はそう確信している。


 たとえその理由が、過去現在未来全ての私を否定するものであっても。

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