第百八十四話【幼い心、大きな決意】
ヴェロウの提案によって、不調になったマルマルの代わりの馬車馬を手配して貰えることになった。
だから、もう今日の内には出発出来るだろう。
そんな報せを持って、私はまたアルバさんのもとを訪れる。
木陰に座って、収穫を手伝うエリーを眺めていた彼女のもとを。
「――そうかい。出発出来そうなのかい。それは良かったね」
「はい。度々予定を狂わせてしまって申し訳ありません」
「まだまともなお礼も出来ていないのに、迷惑ばかりを重ねてしまう格好になってしまいました」
「しかし、どうしても急がねばならない理由があるのです」
そりゃそうだろうね。と、アルバさんはなんだか冷たい目を私に向けた。
お、怒っている……だろうか。
明日出発する、今日はやはり行けない、もうしばらく厄介になる。
そうして予定を何度も変えた挙句、結局は今日いきなり出発すると伝えられたのだ。
怒るのでなければ、呆れ果てるくらいしか他には……
「アンタ、女王様なんだろう。それがこんなとこで畑仕事なんて、いつまでもやってていいわけないに決まってるんだよ。そんなこと、とっくに分かってたんだ」
「今更何を言い出すんだい。本当に間抜けな娘だね」
「うっ……す、すみません……」
お、思っていたのとは違うところで怒られてしまった……
だがアルバさんは、私の勝手に対してはそう憤っていない様子だった。
そんなことはとっくに分かっていた、か。
女王という身分を明かした時から……いいや。
私が事情を抱えているだろうと察した時から、別れは突然のものになるだろうと予期していたのか。
「それで、出発はいつ頃なんだい。それまではしっかり働いて貰うよ」
「は、はいっ。もちろんです」
私の返事を聞くと、アルバさんはうっすらと笑って何度か頷いた。
もちろん、馬車の準備が出来るまでは精一杯仕事をこなす。
それは言われるまでも請われるまでもなくやらなければならないことだ。
畑はエリーとユーゴがこれまで通り手伝うだろうから、私はまた厩舎へ飼料を届けに……
「ああ、そっちじゃないよ。中のことを手伝いな」
「家の中がね、しばらく放っておいたから、そこら中傷んでるんだよ」
「家の掃除と点検ですね。承知しました、お任せください」
なんだか張り切られると心配になるねえ。なんて言われてしまったが、こればかりは成果で安心して貰う他に無い。
ヴェロウがどのくらいで馬を調達してくれるのか分からない以上、一刻も無駄にするわけにはいかない。
私は大急ぎで納屋から掃除道具を引っ張り出して、家の中を駆けずり回った。
数日ながらもお世話になって、それなりに慣れた家の中を。
私達が寝泊まりさせて貰った部屋を整頓し、畑仕事の後に休憩していたテラスの土を掃き出し、そして廊下をモップで磨き始めた頃。
私の名前を呼ぶアルバさんの声が聞こえた。
どうやら、タイムリミットのようだった。
「ほら、迎えが来たよ。切り上げて荷物纏めてきな」
「はい。すぐに」
それからすぐに部屋へ戻り、荷物を持ってまた家の外へと向かうと、そこには立派な二頭立ての馬車と、馭者と思しき男と、それからヴェロウと、彼と談笑をするアルバさんの姿があった。
「お待たせしました。ありがとうございます、ヴェロウ。こんなに立派な馬車を準備していただいて」
「いえ、アンスーリァの国王をお送りするのですから、当然です。と……それは良いのですが……」
貴女は何をなさっていたのですか……? と、なんだか今朝も市場で見たような顔で、ヴェロウは私をまじまじと見つめていた。
「何……と、問われますと、掃除をしていた……としかお答え出来ませんが……」
「……ああ、いえ。そうでしたね。貴女はそういう人物でした」
私の言葉に、ヴェロウはこれまた今朝も見せたような、なんとも悩み深そうな苦悶の表情を浮かべている。
そしてそんな私達のやり取りに、アルバさんは目を丸くして首を傾げていた。
「なんだい、いつの間にかヴェロウさんとも知り合ってたんだね」
「女王様ともあろうものが、このカストル・アポリアの長に挨拶無しってわけにもいかないもんだから、当たり前かもしれないけど」
「はい。ヴェロウには二度も危ないところを救っていただいています。本当に頭が上がりません」
おや。なんだろうか、そのヴェロウの様子が……これもまたやはりというか、ずいぶん慌てた様子でアルバさんを見ている。
今朝もそうだったが、彼は何かを警戒している様子に思える。
市場では周りの目を気にしたり、ここではアルバさんを気にしたり……
「……あの、こうして私と話をしているところを見られるとまずいのでしょうか」
「その……いえ。この国は、アンスーリァに捨てられた街が集まって出来たものですから」
「当然、アンスーリァの現国王である私に対して、悪感情を抱くものがいないと断言することは不可能でしょうし」
「え……あ、いえ、とんでもない」
「確かに、かつての政治によって街々は国の保護を受けられなくなりました。ですが、それももう昔の話」
「こちらのご老人のように古くを知っている人物ならばいざ知らず、このカストル・アポリアで生まれ育った子供ももう多いですから」
「今更そのような遺恨は……」
否定しようと並べ始めた言葉だったのだろうが、しかしヴェロウは黙り込んでしまっていた。
遺恨は……まだ、少なからずあるだろう。
少なくとも、私が目撃している一件は、簡単には消えない問題に思えた。
「ハミルトンはその後どうですか?」
「貴方の叱咤もあり、あの時は気を持ち直したように思えました」
「ですが、私はまだ彼にお礼を言いに行けていません」
「もしも落ち着いているようならば、直接会って挨拶をしたいのです」
「流れ着いた私達を迎えてくれたのは彼らですし、心配して付き添ってくれたのも彼らです」
「それに、謝罪もしなければ」
「……お気を遣わせてしまい、申し訳ありません」
「ハミルトンは、その後も元気に関の見張りをこなしています」
「ですが……まだ、本調子とは呼び難いでしょう」
「あのゴートマンに見せられたという悪夢は、相当深い傷を掘り起こしていったようです」
やはり……か。
そうなると、私は会わない方が良いのかもしれないな。
ハミルトン家というかつてアンスーリァにあった貴族の家系、その子孫。
断片的な話でしか推測出来ないが、彼の家系は議会を、そしてランデルを追放された……のだろう。
王政へ、そして女王である私への悪感情は小さくない筈だ。
「……その、様子を見て、問題無いと思えば伝えてください」
「フィリアという個人は、ここへ受け入れて貰ったこと、嘘を信じて探し物に付き合ってくれたこと、そのどちらにも深く感謝している、と」
「そして……巻き込んでしまったことを深く後悔していると」
「承知しました。ハミルトンの過去については私も深く知っているわけではありませんが、彼の今後には十分配慮します」
お願いします。と、私はヴェロウに頭を下げて、そして次にアルバさんの方へと向きなおした。
そんな私の顔を見ると、彼女は少しだけ睨み付けるように目を細めた。
もちろん、それが敵意でないことは分かっている。
彼女は視力が悪い。
だから、こうして目を細めねば私の顔もおぼろなのだろう。
別れの際に、きちんと顔を見て話を聞こうとしてくれている。
彼女の振る舞い、信念には、尊敬を抱くばかりだ。
「短い間でしたが、すごくすごくご迷惑をおかけしました」
「ユーゴにもエリーにも、そして当然私にも、貴重な体験をさせていただきました」
「それに、貴女のおかげでこうして無事に出発を迎えられました」
「本当に、感謝の言葉をどれだけ並べれば良いのかも分かりません」
「ふん。そんなもの必要無いよ」
「私は流れ者に仕事を手伝わせて、飯炊きを手伝わせて、掃除をさせただけだからね」
そうだ。仕事を与えて貰い、食事を恵んで貰い、そして寝床も提供して貰った。
私はまた目を細めた彼女の前に深く深く頭を下げて、そして出来るだけ笑顔で感謝の言葉を口にした。
本当にありがとうございました、と。
「……アンタ、もうちょっと自然に笑えるようになるといいね」
「エリーといる時も、ユーゴといる時も、楽しそうにはしてるんだけどね。仏頂面がひどいよ」
「そんなだと、立場もあって、いらない誤解と不信を買うよ」
「ううっ……や、やはり私の顔は怖いのですね……」
鏡を見て何度も思い知ってはいたが……そうか、やはり私はキツイ顔付きをしているのだな……
しかし、そんな私にもアルバさんは笑い返してくれた。
今はこうして理解してくれる人物に感謝するしかないだろう。
表情は……もう少しだけ時間が掛かりそうだから……
「それでは、出発します」
「また、いつかこのカストル・アポリアを訪れる日が来たならば。その時は必ず挨拶と、そして今日までに出来なかったお礼をしに参りますので」
「だから、そんなものいらないって言ってるだろう。今のアンタとはこれっきりだよ」
「次に来る時は、きちんと女王様として来な。こんな老いぼれなんかに構ってられない、立派な人間として」
「それを遠目に見られれば、私もちょっとは安心出来るってもんだよ」
最後の最後まで、アルバさんには子供扱いされてしまったな。
まるでバスカーク伯爵と話をしているみたいだった。
どちらにも、大き過ぎる恩が出来てしまったな。
「ユーゴ、エリー。ふたりともちゃんと挨拶してください」
「そうだ、マルマルを連れて来なければ。馬車を引かせるのは無理でも、並走させてランデルまで連れ帰ることは可能でしょう」
っと、そうだ。荷物はもう纏めたつもりでいたが、まだ連れ帰るべき大切な同行者がいた。
マルマルにはいろいろと負担を掛けてしまったから、ランデルに戻ったらエリー共々しっかり休ませてあげないといけないな。
「エリー、一緒に迎えに行きましょう。おじいさんに事情を説明して、厩舎から出して貰えるように……? エリー?」
そうとなったら急いで向かわないと。と、私はエリーの手を握った……のだが。
どうしたことか、エリーは厩舎へ向かおうとはせず、じっと私を見つめていた。
すごくすごく寂しそうな顔で、何かを訴えようとこちらを見上げていたのだ。
「……ねえ、フィリア。マルマルと一緒にね、ここに残ってもいい?」
「エリー……? ランデルへ……皆のところへは帰らずに、アルバさんのところへ残りたい……と、そうおっしゃるのですか?」
「その……気持ちは分かりますが……」
やはり、か。
事情を説明した時にユーゴが見せた憂いはこれだったのだな。
エリーはアルバさんにすっかり懐いていた。
だから、この別れを惜しむのだろう、と。
それはなんとなく予想出来ていた。出来ていたが……
「エリー。ランデルへ帰れば、ゴルドーをはじめ、特別隊の皆がいます。それに、マリアノさんも顔を出す機会があるでしょう」
「厩舎には、貴女がずっと共に暮らしてきた動物達も……」
寂しさは確かにあるだろうが、しかし帰ればこの子には居場所がある。
別れは確かにつらいが、しかし一時のものだ。
その為に家族と別れてしまえば、あとになってすごくすごく寂しい思いをするだろう。
だから……と、私はエリーを説得しようとした。
けれど、それが間違っていたのだと思い知ったのは、エリーが力強く首を横に振ってからだった。
「おばあちゃん、またひとりになっちゃう。みんな帰ったら、またひとりぼっちでさみしいよ?」
「マルマルも、あんなに元気じゃなくなっちゃった。おばあちゃんだって、さみしいとつらいよ?」
「だから、ここに残ってもいい?」
「……っ! エリー……」
エリーは自分の寂しさではなくて、アルバさんを想って決断していたのだった。
こんなにも小さな子が、他人をこんなにも思いやれるのだな。
そして、その決意をここまで固められるのだな。
私の手をぎゅっと握ったエリーの顔には、その決心は絶対に譲らないという強い意志を感じられた。
「エリー。ここに残れば、もうランデルの皆と会えないかもしれません。マリアノさんとも、ゴルドーとも」
「それでも、ここに残るのですか?」
「うん。だってね、おばあちゃんね、ぜったいひとりぼっちは嫌なんだよ?」
「いつもね、フィリアが帰ってくるの待ってたんだよ?」
「なのに、みんないなくなったらダメだよ」
エリーの言葉に、アルバさんはきゅっと唇を噛んで黙っていた。
そんなことない、ちゃんとお帰り。と、彼女ならばそう諭すことも出来ただろう。
しかし、そうしなかった。
その寂しさを分かっていたから、それが嫌だから……なんて小さな理由ではない。
この少女の決意を無下にしない為に、だ。
「……どういう経緯であれ、貴女のような立派な人物が部下であったことを誇りに思います」
「では、女王フィリア=ネイとして、特別隊の一員であるエリーに命令を下します」
「ここに残り、アルバさんの支えとなって、元気に暮らしてください」
「いいえ。このカストル・アポリアの皆に勇気を与えるくらい、元気いっぱいに」
「うん!」
エリーは元気に返事をして、そして私から手を放した。
きっと、それが彼女なりの意思表明なのだろう。
そうして私達は来た時よりも人数を減らし、カストル・アポリアを出発した。
アルバさんにハミルトン、ヴェロウ。そして、エリー。
私はこの国で、報いなければならない相手をずいぶんと増やしてしまったな。




