第百八十三話【その助力の意味するところ】
もう手の悪いフリをしなくても良い。もう細かな作業を手伝っても問題無い。
そういう前提条件があった上で、私は今朝も野菜を市場へと運んでいた。
きっとこれは、すごくすごく単純な理屈なのだろう。
「……手が動こうと、気を遣う必要が無くなろうと、私は不器用で役に立たなさそう……なのでしょうね……はあ」
自分が器用だと思ったことは無いが、しかしそう不器用とも思ったことは無かった。
だが、現実としてアルバさんに任されているのは、手先を使わない仕事ばかり。
彼女の言う通り、本当に今の内から鍛えておいた方がいいのかもしれない。
王政が傾いた時の心配をしているのではなく、私個人の出来ることの範囲を広げるという意味で。
ため息も何度かこぼしながら、野菜と共に馬車に揺られる。
もう間違いは起こさない。
箱にはタグが打ち付けられて、分かりやすいよう表蓋に識別用の番号も記されている。
いる……が、一度犯した失敗をもう一度繰り返せば、その時はきっとアルバさんの信用を大きく損なってしまうだろう。
だから、そういう準備も予防もしたうえで、私は自分の持って来た野菜箱をじっと睨んで到着を待った。
「着いたよ、姉ちゃん」
「それにしても、番号もタグも準備したんだから、一緒に乗ってこなくても平気なんだぞ?」
「受け取り役が別でもいいように、色々確認出来るようにしてるんだから」
こっちに住んでるやつを誰か雇えばいいのに。と、馭者の男は私にそう言った。
なるほど、そういう仕組みだったのか。
本当にこのカストル・アポリアの経済的な工夫には頭が下がる。
単に効率化を図っているのではなく、雇用を生み出そうとしているのだ。
限られた国土、限られた資材、限られた資金の中で、より多くの人間を受け入れられるように。
仕事の細分化によって、より多くの人が働けるように、と。
「よいしょ、よいしょ……ふう。確かに、私が運ぶよりも適任がいくらでもいるかもしれませんね」
「細かく仕事を分ければ、その分それに特化した学習と訓練も重ねられるでしょうし」
だが、それが最良かどうかは是非が分かれるところだろう。
仕事が分けられれば、ひとり当たりの量は減る。
当然、賃金も下がる。
能力のある人間にとっては、少々物足りない……いいや。
過激な言い方をするのならば、やりがいの無い仕組みであるとも取れる。
この国には、アンスーリァに取り入れてみたいと思わせるものがいくつもある。
同時に、その大半が失敗に終わるだろうという予感もさせる。
至極単純な話だが、小規模で成功した施策も、規模が大きくなればほころびが発生するのだ。
例えば先の仕事の細分化などは、市場にある仕事を独占し、不当に安い賃金で人を集めるというやり方が私でも思い付く。
これがこの国で起こらない理由は、国土が狭いが故の相互監視による部分が大きいのだろう。
良くも悪くも、今現在のこのカストル・アポリアだから可能な施策……というわけだ。
「……それに、アンスーリァには人々に正義を説く人間が足りていない。ユーゴではまだ、希望を持たせるので精いっぱいでしょうから」
そう、良くも悪くも。
悪い言い方であれば、ここがまだ村社会だから、と。
小さな社会だから、経済規模が小さいから。
だから、不当な働きには非常に高いリスクが伴う。
ここを追放されようものならば、外には魔獣の群れと、なんの保護も無い危険な街しか存在しないのだから。
そして、もうひとつの理由……良い意味での理由だが、これは……
「……フィリア女王……? な、何をなさっているのでしょうか……?」
「……え? あ、ああ。おはようございます、ヴェロウ」
「今朝は市場に野菜を売りに来ていました。今日はいい天気ですね」
おはようございます。と、私に向かって混乱した様子で頭を下げるこの人物。
噂をすれば偶然にも通りかかったのだろう、ヴェロウ=カーンアッシュこそが、この国の仕組みの大半を成立させているに違いない。
「貴方も市場に顔を出すのですね。それもやはり、民主主義だからでしょうか」
「貴方も一市民であるから、野菜の買い付けには出向かなければならない……と」
「え、ええ。仕事が忙しい時には人に頼むこともありますが、今はそうでもないので……ではなくて」
「何をして……何故、貴女が野菜を売りに来ているのですかと尋ねているのです」
……? それは……アルバさんの手伝いだから……だ。
ヴェロウはずいぶんと慌てた様子で周囲の様子を窺っている。
だが、そんな彼を見ても誰も気に留めない。
いや、その様子には困惑して見えるが、しかし誰もその存在を特別大変なものだとは騒がない。
そう、これこそがこの国の仕組みの根幹。
国を建て、正義を纏め、しかしながら社会の一部として溶け込んでいるヴェロウの存在が、人々の悪行への抑止力として働いているのだ。
「……ふー。やはり貴女は、私の知っているアンスーリァ王政の形とはかけ離れていますね。どうして一国の王ともあろう方が……」
「いえ、今の私はただのフィリアです。アルバさんのお宅に居候をさせていただいている、手先の不器用な……仕事の遅い……間抜けな……はあ……」
っと、いけない。変な方向に感情が舵を切ってしまった。
そう、彼こそが抑止力。
誰もが彼に畏敬の念を抱いている。
そんな彼が、すぐ隣で生活をしているのだ。
王ではこうはならない。
宮に住まい、式典の時にのみ顔を出す王では、こうまで人々の心には干渉出来ない。
「出発は今日……と、そうおっしゃられていたと記憶していますが。最後にひと仕事手伝ってから出発しよう、と?」
「心掛けは感心するものですが……女王という立場と、アンスーリァのことを思えば、他国の市民のひとりにそこまで肩入れするような行動は、あまり褒められたものではないかと」
「う……そうですね、それについては一切反論の余地がありません。ですが、そうではないのです。その……実はですね」
さて。この国の仕組みと、その基盤となっているヴェロウについてはこれ以上掘り下げるところではない。
まだ出会ったばかりの、ここへ来たばかりの私では、どれだけ語ろうとも所詮は上辺の話ばかりになる。
「馬車馬が不調……ですか。なるほど、それで立ち往生を……」
私はまだ混乱した様子のヴェロウに事情を説明した。
マルマルが……馬車を引いてくれている馬がストレスから不調になってしまったこと。
そしてそのマルマルを近くの厩舎に入れさせて貰えたこと。
群れの中で気分を落ち着けられるまでは出発出来そうにないことを。
「少数精鋭での調査ということでしたが、そういう裏目もあるのですね」
「確かに、動物からすれば魔獣の出現はそれだけで大き過ぎるストレスになる」
「目隠しをしても、ニオイや鳴き声で勘付いてしまいますからね」
「そうなのです。出来れば早くランデルへ戻り、ダーンフール遠征の手筈を整えたいのですが……」
しかしマルマルに何かあれば、真っ先に危険に晒されるのはエリーだ。
彼女はまだ恐怖というものをほとんど体験せずに生きられている。
私の勝手に巻き込んで、大きな心の傷などを作らせるわけにはいかない。
「……そういうことでしたら、馬車をお貸ししましょう」
「この街に軍事拠点を設けることは許可出来ませんが、補給については協力するという約束でしたから」
「ならば、代えの馬や馭者をお貸しすることは、当然その一部に含まれるでしょう」
「ほ、本当ですか? ありがとうございます、すごく助かります」
そんな私の心情を知ってか知らずか、ヴェロウは事情を把握してすぐにそんな提案をしてくれた。
なんとありがたい、そう出来るのならばそれに越したことは無いだろう。
マルマルは預けていくか、或いは馬車には繋がずに並走させれば、大きな事故も起こらない筈だ。
「では、早速手配します。家まで迎えに行かせますので、しばらくお待ちください」
「はい、承知しました。貴方と、そしてこのカストル・アポリアと友好的な関係を築けて良かった。昨日も今日も、そう思うばかりです」
私はヴェロウに深く頭を下げて、ヴェロウも私に一礼すると、私達はそれぞれ向かうべきところへと歩き始めた。
やはり、私は人に恵まれる。
パールにもリリィにも、ユーゴにも、ジャンセンさんにもマリアノさんにも、特別隊の皆にも。
そして、この街に来てから出会った全ての人々にも……
……野菜を盗まれたので、ガンバラという男については良い出会いではなかったが、それは別として。
私は本当に、良い出会いに恵まれるものだな。
そして私は帰ってすぐ、真っ先にユーゴに事情を説明した。
彼を贔屓したとか、優先したとかではない。出迎えてくれたのが彼だったというだけだ。
代わりの馬車を準備してくれる、今日中には出発出来る。
そう伝えれば、退屈を嫌う彼は喜ぶだろう……と、思ったのだが……
「……そっか。うーん……」
「どうかしたのですか? 何か心残りでも?」
心残りか。と、ユーゴは小さな声で呟いて、そして視線を家の中……奥、いいやその更に向こう側。
畑の方へと向けて、少しだけ肩を落とした。
「別に、俺はそれでいいと思う」
「さっさとしないとな、ゴートマンにまたあの魔術をチャージし直されたらめんどくさい。どんだけMP溜めれば使えるのかは知らないけど」
「えむ……言葉は理解出来ませんが、考えは同じです」
「やはり、ゴートマンを捕縛し、完全に無力化するまでは油断出来ません」
「次はこのカストル・アポリアが直接狙われるかもしれませんし、ランデルにまで脅威が迫るかも分かりませんから」
まず優先すべきは身の安全だが、その次にはやはりゴートマンの捕縛を考えねばならない。
ユーゴはまだどこか苦い顔をしていたが、私の決定には頷いてくれた。
そうと決まれば、この僅かな時間にもアルバさんへ恩返しをしなければ。
次に来た時にどれだけの手伝いが出来るかも分からないのだから。




