第百八十一話【王の願う国、民の求める街】
カストル・アポリアの首長、ヴェロウ=カーンアッシュ。
彼の屋敷で、私達はここへ来た目的と、そしてゴートマンと魔人の集いについてひと通り説明した。
彼はそれを与太話としてではなく、現実にここを襲いかねない脅威として耳を傾けてくれただろう。
ならば……
「お願いがあります」
「先に話した通り、私の目的は国土全域に住まう民の安全の保障です」
「その為には、どうしてもこの魔人の集いについて調査し、場合によっては排除しなければなりません」
「しかし、現状のアンスーリァは、ヨロクよりも北に戦力を持ちません」
「どうか、ご協力いただけませんか」
「……カストル・アポリアからも軍を出して欲しい……という申し出ではないのでしょう」
「ここか、或いはここから近くに軍事砦を建設させて欲しい、と」
私達が活動する上で、どうしても障害になって来たものがある。
それはやはり、最終防衛線という大き過ぎる壁だ。
その壁を取り払う下準備の活動でありながら、それに足を引っ張られて補給や移動がままならないという事態が多く発生してきた。
ジャンセンさんが協力してくださって、南側についてはこの問題も大きく解消した。
それと同じことを、このカストル・アポリアにもお願いする……というのは、流石に難しいだろう。
ここはひとつの国家として自治が成立している。
同盟ということならいざ知らず、傘下に加わってくれとは安々と口に出来ない。
「……申し訳ありませんが、簡単には承諾いたしかねます。無論、理由などはとうに理解されておられるでしょう」
「このカストル・アポリアの間近にアンスーリァの軍事拠点を敷くとなれば、問題の解決後か、或いは最中か」
「いつになるにせよ、軍事侵略が容易になるということでもあります」
「……我々にその意思はありません……と、ここで私個人が申しあげても無意味なのは理解しています」
「それでも、どうか一考に入れていただければ幸いです」
「私は――フィリア=ネイ=アンスーリァは、このカストル・アポリアの自治を認め、一国として対等な関係を築きたいのだと」
私の言葉に、ヴェロウは怪訝な顔をした。
疑っている……というよりも、腑に落ちないのだろう。
一国の主が、自国の領土を占領されているに近しい状況を、甘んじて受け入れると言うのだ。
いいや、それどころか、そうして出来上がった国と対等な関係を築きたいなど、耳当たりの良い妄言と思われても仕方ないだろう。
「信じていただけないかもしれませんが、これが私の本心です」
「ここは確かに、かつてはアンスーリァの一部だったかもしれません。ですが、それを放棄したのは我々です」
「一度は見捨て、切り離したものに対し、所有権はまだ我々にあるだなどと、少なくとも私は口にしません」
ここが国として、街として、人々が安全に暮らせる場所として成立しているのは、アンスーリァによるものではないのだから。
国とは、人々の生活を受け入れる器であって然るべきだ。
その器を削って、自らその内側の人々をこぼしたのだから、それをどうして器の中身であると主張出来ようか。
私は確かにそう考えている。
「……フィリア女王のお考えは、アンスーリァ国土の完全解放……だった筈です」
「それが、国土内に別の国の存在を許容する……とは、どういうことでしょうか」
「言葉の通りです。このカストル・アポリアが民を守ってくれているのならば、それを解体してまで取り込む必要などありません」
「もちろん、経済的、軍事的に介入が必要だと要請があれば、協力にも応じます」
「私はここを、窮地に生まれたもうひとつのアンスーリァの形だと考えています」
それは、なんとなくだが以前から考えていた話だ。
伯爵から南の四つの都市――カンタビル、ブラント、オクソフォン、サンプテムの報告を受けたときから。
その四つの都市はここと同じように、それだけで魔獣と拮抗して自立して耐えていると聞いている。
だから、その四か所を中心とした地区の解放は簡単そうだ、と。
そう考えた上で、同時にもうひとつの可能性も伯爵は口にしていた。
「……いつか、アンスーリァがずっとずっと強く、安全な国になった時」
「このカストル・アポリアが危機に瀕していたり、成長限界を迎えたならば、その時はもう一度ひとつの国になるという道もあるでしょう」
「ですが、それはアンスーリァだけで決めることではありませんから」
国が力を付ければ、協力要請に――つまり、合併の要請に従ってくれるようになるだろう、と。
伯爵はそういう意図で口にしたのだと思う。
だが、私はそこに別の可能性を見た。
そして、このカストル・アポリアはそれを体現してみせているのだ。
ならば、その道を模索してみたい。
この小さな島の中に複数の国が連なって、互いに高め合いながら支え合う未来を。
「……やはり、フィリア女王は変わった方ですね」
「悪い言い方をするのならば、あまり王の風格を感じない」
「民の生活さえ良ければ、国というものがどういう形でも構わない、と。周りのものは苦労しそうです。ですが……」
その理想は、確かに美しいものではある。と、ヴェロウはそう言ってため息をついた。
やはり、彼から見ても私はあまり王としてふさわしい振る舞いをしていないのだな。
それだけはやや……ううん、かなり。落胆してしまう。
「……しかし、やはり軍事施設の建設は許可出来ません。同時に、カストル・アポリアでの軍の滞在も認められない」
「しかし、遠征に必要な物資の補給は協力しましょう」
「アンスーリァからの外貨が入ってくれば、街はもっと活気付くでしょうから」
「ありがとうございます、それだけでも大き過ぎる助力です」
ヴェロウはしばらく考えた後に、私の要請に対しての答えを出してくれた。
軍事拠点の建設は拒まれたが、そもそもこんなところに街が……国が出来ていたことがもう僥倖だったのだ。
更には貿易を許可し、補給もさせてくれるというのだから、これ以上何かを求めるのは強欲だろう。
「それでは、今日のところは失礼いたします。もうひとり、アルバさんという方の家に預けてきた大切な仲間がいるのです」
「迎えに……いえ、もう出発出来る時間でもありませんから、もう一晩泊めていただけるようにお願いしなければなりません」
「女王ともあろうお方が、一市民に寝床を融通してくれと頭を下げるとは。まったく……本当に、王としての威厳や風格は感じられませんね」
「それもまた、貴女の理想の一端なのかもしれませんが」
いえ……威厳が無い女王になりたいという理想は持っていないのですが……しかし、威厳や風格を笠に着て、人を乱雑に扱う王にはなりたくない。
それは本心だから、間違ってはいないのかな。
きっと微妙な顔をしてしまっていただろうけれど、私はヴェロウに頭を下げて、そして屋敷を後に……
「……そうです。あの、なんとお呼びすればよろしいでしょうか」
「貴方は王ではないのですよね。カーンアッシュ首長……でよろしいでしょうか?」
「好きにお呼びくださって結構です。ですが……差し支えなければ、ヴェロウ、と」
「確かに私はこの国の代表ではありますが、しかし所詮は一市民」
「皆にもヴェロウと気さくに呼んでくれるように頼んでいます。なので、よろしければ」
人々の代表でありながら、しかし同じ立場のものである。
彼の言葉からはそんな信念が感じられた。
なんとなく、私の理想に近いものがあるのかもしれない。
ならば、私はそれを最大限尊重したいと思う。
「では、次は改まって訪問させていただきます、ヴェロウ。どうか、無理はなさらぬように」
「はい。次の機会にはきっと立派なもてなしをさせていただきます、フィリア女王」
見送りをしてくれるヴェロウに深く頭を下げ、私達はまたアルバさんの家へ向かって歩き出した。
ああ、そうだ。ハミルトンやバーテルとも、叶うのならば少しは話をしたい。
巻き込んでしまったこと、謝らなければ。
「……おい、フィリア。アイツ、ゲロ男と違って嫌な感じしなかったな」
「もしかしたら俺達、手を組む相手を間違えたのかもしれないぞ」
「アイツが最初から仲間だったら、ゲロ男なんてわざわざ味方にしなくて済んだのに」
「な……なんてことを言うのですか、貴方は……」
ヴェロウとは良い関係を結べた。
これで私達は、目的にまた一歩近付いたのだな。と、そう考えて清々しい気分で歩いていたのに、ユーゴはずいぶんと真面目な顔でとんでもないことを言い始めてくれた。
もう、どうしてジャンセンさん相手にはそう突っ張らなければ気が済まないのですか……
それからしばらく歩いて、私達はアルバさんの家に到着した。
心配してくれていたのだろう、エリーは私達の姿を見るや否や、元気いっぱいに出迎えてくれた。
アルバさんも、どことなく嬉しそうにまた私達を受け入れてくれた。
やはり、この国は暖かくて平和だ。
願わくば、アンスーリァの全ての街にこの幸福を。




