第百七十四話【近付く別れと……】
私達がアテも無くヨロクから逃げてきたこと。手を怪我していること。
仕事を求めていること、生活もままならないこと。
そして、これからこの街で暮らしていくこと。
全ての嘘を、アルバさんに打ち明けた。
と、日暮れの迫る畑の真ん中で、私はユーゴにそう説明した。
私の名前も、全てを包み隠さず話してしまったのだ、と。
「……ですから、明日の朝には問題無く出発出来るでしょう。あとはエリーに事情を説明するだけですね」
「ん、そっか。それで、ばあさんなんか言ってたか?」
そんな嘘、全てお見通しだった、と。笑ってそう言われてしまったと答えたら、ユーゴは苦笑いで頭を掻いていた。
「笑いごとじゃないんだけどな……もうちょっと危機感持てっての」
「これから先、こうやってどっかに潜入する機会があるとも限らないけどさ」
「次があったなら、その時はもっと早くに騒ぎが起きてしまうかもしれない……ですか。そう……ですね」
けれど、その時はその時です。と、私がそう言うと、ユーゴはひどく冷たい目つきで私を睨んだ。
そ、そんな顔をされても撤回しませんよ。そう決めたのですから。
「私は信じる方向でものごとを考えます。疑うのはユーゴが……それに、パールにリリィ、ジャンセンさんにマリアノさんまでしてくれます」
「だから、私はこのまま、子供じみた王のままでいようと思います」
「少なくとも、国土の全てを解放するまでは」
「……その区切り、なんか意味あるのか? それが終わったら大した問題も残ってないからとか、そういう話か?」
いえ、そういう打算的な話は無くてですね。
気持ちの問題というか、心持ちの問題というか。
無謀で無鉄砲で無茶で無理難題な野望を掲げるのであれば、まだ私はあまり大人な考えを持たない方がいいと、なんとなくそう思ったから。
「なんとなく……です。本当になんとなくですが……ジャンセンさんは、私の目指した地点を、かつて諦めたもののように語っている節がありました」
「きっとそれは、冷静に、客観的に現実を見据えたから、それがとても不可能に近いものだと理解出来てしまっているからなのだと思います」
「……現実を見て挫折するくらいなら、目を瞑って走り抜けよう……って話か」
うぐっ……ひどい解釈をされてしまいましたが、確かにそれ以上的確な言葉も無いだろう。
そうだ、私は目を背けるだけだ。
目を背けて、綺麗なものだけを思い描いて前に進む。
そうしても平気なくらい頼もしい仲間が大勢いるから、それに甘え切って突き進むと決めたのだ。
「まあ、そうするならそれでもいいよ。俺はフィリアの言った通りに戦うだけだしな」
「暴走してくれるなら、それだけヤバいのと戦う機会も増えそうだから、俺は困んない」
「そればかりですね、貴方は……はあ。ですが、そんな考えを他の誰が抱けるでしょうか」
無謀な野望を掲げる女王のそばには、無鉄砲な願望を簡単に叶えてしまえる戦士の姿がある。
なら、私はこのままでいいだろう。
なんだか他人任せで勝手な考えにも思えてくるが、私はこれで良いのだ。
「では、明日の朝、また北へ向けて出発しましょう」
「この先にここと同じような場所があるとも限りません。休めるうちにしっかり休んでおいてください」
「それはフィリアもだろ。エリーが休憩しなきゃいけない時には、お前が馬車の運転……運転? ええと……とりあえず、エリーの代わりもするんだろ? じゃあ、フィリアの方がちゃんと休まないとダメだ」
私の苦労など、魔獣と戦い続けになるユーゴに比べたら……と、ここでそれを論じても、それこそ時間と体力の無駄になってしまう。
まだ少し仕事は残っているのだし、手早く終わらせて今日はもう休もう。
そして、いっぱいお礼を言ってアルバさんとお別れをしよう。
その日の夕食は、それまでよりもいっそう豪華なものだった。
お昼に大きなケーキも食べさせて貰ったというのに、私達はアルバさんにどれだけの恩を受けるのだろう。
いつか全てを解放して、この街を今以上に栄えさせることで返せる範囲に収まってくれているといいが。
翌朝、私は少し久しぶりにユーゴの声で目を覚ました。
エリーはまだ眠っている。
それに、アルバさんにはきちんと挨拶をしてから出発したい。
だから、まだそう急がなくても良いだろう。
窓の外が暗いから、私はそんな言い訳を思い浮かべながら身体を起こして……
「――フィリア、ヤバイ。アイツの気配がある」
「――っ! アイツ……まさか……」
寝ぼけた頭も下らない考えも、ユーゴの言葉に全て消し飛んだ。
アイツ――とは、いったい誰なのか。そんなものを問うまでもない。
あの魔術師が――ゴートマンがこの近くに――――
「――っ。街の中で戦うわけにはいきません。それに……万が一、あの魔術師がここを拠点にしていたとすれば……」
「……無駄に敵を作っちゃうってことか。じゃあ……どうする」
「バレないようにさっさと出て、外で待ち伏せするか。それとも、どっか行ったのを後から尾行するか」
どちらが良いか。などと、そんな悠長な問いを投げられているのではない。
そんなことはユーゴの表情を見ればすぐに分かった。
どうすれば――今ここに隠れていることを悟られずに済むか――と。
果たしてこの家にいて、本当に攻撃されないのかと、彼は警戒している。
「私達の行動を把握し、ここまで追いかけてきた。そういう可能性もあります。それに……」
「あの記憶を共有する魔術……だっけ。アレは俺が感知出来るぎりぎりの範囲からでも使えるっぽいんだよな? じゃあ……」
ここが怪しいと、目星を付けてやって来ているのならば……っ。
無作為に記憶を覗き、目当ての得物がいるかどうかを確かめられるかもしれない。
そして、このカストル・アポリアの住民を操ってこちらへ攻撃してくるかもしれない。
考え得る中で最悪の遭遇となりかねない。
これでは、なんの為に兵を率いずにやって来たのか分かったものではない。
「ユーゴ、詳細な居場所は突き止められますか? それが叶うのならば、エリーを起こして早急に出発しましょう」
「挨拶も……書き置きすら残さない方が良いでしょうね」
「もしもここがゴートマンの言う魔人の集いというものならば、私達をかくまったとみなされる可能性があります」
寝ている間に逃げられたという口実を残して行かなければ、場合によってはアルバさんが危ない。
なんとしても、彼女の身の安全は確保しなければ。
「……場所までは分かんないな」
「アイツ、ゲロ男とかマリアノと違って、本人はなんか……しょぼいんだよ。ヤバい気配があんまりしない」
「多分、俺が魔術を分かんないからだと思うんだけど」
「そう……ですか。近付かれれば分かるのでしょうか、それは。それとも、一定範囲内にいることしか感知出来ないのでしょうか」
めっちゃ近くに来られたら流石に分かる。と、ユーゴは悔しそうにそう言った。
ああ、なるほど。なんとなくだが理解出来た。
ヨロクの林での時も、ユーゴの感覚が捉えるよりも先に襲われてしまっている。
つまるところ、あのゴートマンとは相性が悪いのだ。
「……ばあさん連れて逃げるのはダメか? もしここに残すのが危ないんだったら、いっそ連れてヨロクまで行っちゃった方が安全だろ。それに……」
ユーゴは言葉をそこで飲み込んで、ちょっとだけ寂しそうな顔をした。
この緊迫した場面でも、アルバさんの心情を思いやるのに心を割けるのだな、この子は。
「……家族がどこかにいるのならば、ここを出て探しに行きたいと願うかもしれない……ですか。そうですね、そういう可能性もあります。ですが……」
「分かってる、言わなくていい。そんなの、勝手な押し付けだ」
ここで待っていたいと、この街を離れたくないと言うかもしれない。
どちらに希望があるとも知れない以上、可能性という言葉を押し付けるのは良くない。
「ならば、決まりですね」
「あちらからは手が打てるかもしれない。しかし、こちらからは打つ手が無い」
「こうなってしまった以上、選ぶべき選択肢はひとつだけ」
「この街に迷惑が掛かる可能性を極力減らしましょう」
「……分かった。荷物は俺が纏めるから、エリー起こして支度しといて」
馬車までは重たいもの全部持ってくから、エリー抱えて走れ。と、ユーゴはそう言うと、すぐに荷物を整理し始めた。私も急ごう。
エリーには負担を掛けないように……とは考えていたが、逃げ出すとなれば彼女の力を借りないわけにはいかない。
「エリー、起きてください。すみません、事情が変わってしまって、すぐに出発することになりました。馬車をお願い出来ますか」
「んん……ふわあ。もう行くの……? おばあちゃん、ごはんもう作ってくれた?」
っ。
いいえ、もう団らんの時間はありません。そう伝えるのは、私では無理だった。
だから、朝ご飯はお弁当を貰っているから、それをどこかで食べましょうと嘘をつくしか出来なかった。
エリーは私を見て、にこにこ笑って頷いてくれた。
けれど、すぐにしょんぼりしてしまった。
すぐに、気付いてしまったのだろう。
そうして私達はなんの痕跡も残さぬように、アルバさんの家を逃げ出した。
いつか……いつか、必ず恩返しに来ます。
そう胸の奥で念じて、暗いものから目を逸らして走り出す。
そうするしか出来ないから。




