第百七十一話【女王じゃないフィリア】
アルバさんから仕事を任されたばかりなのに、私は早速とんでもないやらかしをしてしまった。
野菜のたんまり詰まった荷箱を盗まれ、売り上げを文字通りゼロにしてしまったのだ。
犯人だと思われるガンバラさんを探そうにも、この街は大きい。市場だけでも、宮の敷地より広いかもしれない。
そんなだから……
「……ただいま戻りました。すみません、アルバさん。その……野菜を盗まれてしまい、売り上げを得ることが出来ませんでした……」
私は半日ほど市場とその周辺を探し回って、何も得ることなく帰宅した。
このままでは帰れない、合わせる顔が無いとは思っても、きちんと報告せねばもっと問題が大きくなってしまう。
だから、怒られる覚悟もしたうえで帰宅した。
「盗まれた……かい。なんだいそりゃ、どういうことだい。何があったらそんなザマになるってんだい」
「うっ……すみません、完全に私の不注意でした。偶然乗り合わせたガンバラさんという方に、身の上を話してしまったものですから」
「今の市場の仕組みを知らないのだと気付かれて、その隙を突かれてしまったのです」
そう、このままでは問題が大きくなる。
失敗をそれだけで終わらせてはならない、糧にしなければ。
私が覚悟を決めて帰ってきた理由は、新たに加わった市場の仕組みについてアルバさんに教えておかなければならないと思ったからだ。
彼女は何も教えてくれなかった、つまりは知らなかったのだろう。
だから、このままでは次以降もまた目を付けられてしまう。
私以外に頼むにしても、アルバさん自身が赴くにしても。
「申し訳ありません、売り上げは必ず弁償いたします。その上で、アルバさんにどうしても報告しなければならないと思い、戻りました」
「今、市場では、荷物の管理をタグや番号で行っているそうなのです」
「そのルールに則らなければ、次からも同じことが起こりかねません」
「なんだい、そんな面倒なことになってるのかい。そりゃまた、若いもんの考えそうなことだね」
「野菜なんて、つやを見れば誰のものかすぐ分かるっていうのに」
アルバさんは私の報告に、呆れたようにため息をついた。
だが……どうしたことか、私に対しては怒りの感情を向けていないように思える。
一度目の失敗だから、慣れていない仕事だから……なんて理由では片付くまい。
だって、あの野菜はアルバさんにとって貴重な財源で……
「ふーん、そういうことだったのか。なんだ、じゃあ次からは行かなくても良さそうだな」
「……ユーゴ? 次からは……というのは……うう……もう、私に任せるのはやめた方がいい……と……」
そうじゃなくて。と、ユーゴはため息をついた。
そんな彼を見て、アルバさんは妙に感心そうな顔で頷いている。ええと……
「ユーゴがね、言ったんだよ。ひとりにすると何かしらのミスをするからって。だから、ユーゴには後を付けて貰ったのさ」
「それで、アンタが野菜を盗まれたことも聞いてた、その後必死になって犯人を捜してたのも知ってるよ。それと……」
「野菜はこっちで回収しといたぞ。まったく、フィリアはすぐに人を信用し過ぎなんだよ」
ううっ……
わ、私のミスはユーゴによって帳消しにされていた……と。
アルバさんのことを思えば、それはとても喜ばしいことだ。
だが……なんと情けない話だろうか。
やはり私は、ユーゴに守って貰わねば何も出来ないほどだらしない人間なのだな……
「売り上げがちゃんと手に入ったなら文句は無いよ」
「そもそも、アンタ達は三人で一人前くらいにしか勘定してないからね。ユーゴが尻拭いしてくれて、その結果がまともなら何も言わない」
それと……と、アルバさんは私を手招いて、こほんと咳払いをした。
こうなったなら、もうどんな誹りも受け入れよう。
怒りよりも呆れの方が大きいことだろうから、怒鳴られることすらないのかもしれない。
だが、彼女の言葉をひとつずつ胸に刻んで、戒めにしなければ。
私は目を瞑って、それでも背筋を伸ばして彼女と向き合った。
「……アンタはちょっと、素直過ぎるね。それじゃあ生きてけないよ」
「今の世の中はね、そんなんじゃあ毟られるばっかりだ」
「ユーゴの言い分じゃ、これまでにだってそういう経験はあったんだろう。なんだって懲りないんだい」
「うっ……それは……」
それは……そうすると決めてしまったから……だ。
アルバさんの言うことはよく理解出来る。
私は騙されやすい……というよりも、疑わない選択肢を意図的に選んできた。
その背景には、皆が皆、疑ってばかりの世の中になってしまったから……というものがあった。
「……ユーゴが、周りの人が、私の代わりに疑ってくださいますから」
「ならば、私はひとりでも、信じてみる側の人間の視点を持っていようと思ったのです。だから……」
だから……アルバさんの仕事を、努力を台無しにしてしまいそうになった。
まったく、なんと身勝手な理想論だろう。
少なくとも、ここにいる間はその考えも封印しなければ。
女王として、だ。
その視点が必要だと思ったのは、女王として戦っていく上でだった筈だ。
だから貫いていたに過ぎない。
だが、今この場にいる私は女王ではない。
流れ者の、仕事を任された娘なのだから。
「……本当に、心の底から間抜けなんだね、アンタは。いつか身を亡ぼすよ」
「うっ……はい、反省します」
アルバさんはまた大きなため息をついて、家から出て畑の方へと行ってしまった。
呆れ果てて顔も見たくない……だろうか。
「フィリア、どうしたの? 疲れた? マルマルと遊ぶと元気になるよ? 一緒に行く?」
「いえ、疲れたわけでは……いいえ、疲れているのかもしれませんね」
怒られることさえなかった私は、落胆のあまりにため息を漏らしてしまった。
そんな様子を見て、エリーは不安げな顔で私のそばへと駆け寄って来る。
こんな小さな子にも気を遣われて……はあ。
「いけませんね、全て顔に出てしまうというのは」
「それも長所だと言ってくださる方もいましたが、今この場においてはまったく無用です」
よし。と、私は手を叩いて、エリーの誘いに乗ってマルマルのところへと……馬の世話をする為に、あの広場へと向かうことにした。
失敗は取り戻す、それ以外に無い。
ならば、今は悔やむよりも立ち直らないと。
「フィリア。それ終わったら、ちょっと話いいか? 一応な、俺も色々見てきたから」
「色々……ですか。そういえば、貴方も市場に行ったのでしたね」
流石にひとりになんかさせるわけないだろ。と、ユーゴはじろっと私を睨み付けてそう言った。
ああ、なるほど。
私が何かをやらかすかなと思って付いて来たわけではなくて、護衛の為に近辺を警護してくれていたのか。
今までを思えば当たり前の行動だが、すっかりそのことが頭から抜けていた。
まだ、ここが安全だと断言は出来ないのだったな。
「では、戻り次第聞かせてください。貴方が見たものを」
「ん。大丈夫そうだったけど、一応気を付けとけよ。お前、何も無くてもいいカモって感じがするからな」
「野菜の時みたいに、悪いだけのやつが近付いてくるかもしれないから」
うっ……心得ました。
しかし、悪いだけのやつ……か。
ユーゴのその言葉には、なんとなくだけど安心してしまう。
彼が言いたいのはつまり、危険な思想、行動を伴う悪人は見当たらなかった、ということだろう。
早い話が、あのゴートマンのような敵意を見せるものはいなかった、と。
それから私はエリーと共に、マルマルに餌を与えたり、ブラシを掛けたりしてのんびりした時間を過ごした。
彼女の言う通り、穏やかな時間が私の心に潤いをもたらしてくれる。
というより、エリーの元気な姿に力を分けて貰った……という感じかな。
そしてまたアルバさんの家へ戻ると、ほんのりと香ばしい匂いが漂っていた。
どうやら食事の準備が終わったところらしい。
し、しまった。それくらいは手伝わせて貰わないと、償う機会が……
「す、すみません。厄介になっているのに、何も手伝わずに……」
「そんな負い目を感じてるんなら、明日からはしっかり働くんだね」
「ほら、ちゃんと食べな。エリーもよく噛んで食べるんだよ」
どうやら、食事の支度はユーゴが手伝ってくれたらしい。
エプロンを付けたままお皿を運ぶ姿は、鎧を身に纏って戦っている時よりもしっくりくると思った。
やはり、子供には平和な方が似合ってしまう。
「いただきまーす! あむあむ……おいしいね! おばあちゃん、ごはんおいしいよね!」
「そうかいそうかい、それは良かったよ。ほら、これもお食べ」
食卓に並べられたごちそうは、とても普段の食事ではないのだろう。
私達を客人としてもてなす為に作られた、アルバさん自身の生活を切り詰めて捻出されたものの筈。
私はそのひとつひとつを噛み締め、もう一度しっかりと自分を戒める。
彼女の優しさ、もてなしに応えるには、やはり成果を上げる他に無い。
女王として良い国へと建て直す……のではない。
ひとりの人間として、彼女の生活を支えるという形で。




