第百七十話【違う場所、違う法】
最終防衛線の外の街、カストル・アポリアでの二日目。
私は馬車に乗って野菜を市場へと運んでいた。
この街の規模はかなり大きい。
もとはランデルよりも小さな街だったのだろうが、それがいくつも寄り集まれば大都市にも匹敵する大きさになる。
そんなわけだから、農家のもとを行商の馬車が渡り歩いて作物を買い付けていくのだ。
私は今、その馬車に同行させて貰っている。
「姉さん、見ない顔だな。アルバのばあさんとこの孫は男だった筈だけど、どうしたことだい。まさか、街の外で嫁でも貰ってたのか?」
「いえ、私は昨日この街に流れ着いたもので、フィリアと申します。アルバさんには寝床と食事、それに仕事の融通をしていただいています」
なんだ、外から来た客ってのはアンタだったか。と、同じように馬車に揺られている男は、じろじろと私を観察しながらそう言った。
どこか変だろうか。もしやとは思うが、うっかりティアラや宝石の類を身に付けてきていた……なんてことはあるまい。
もっとも、もし差異があったとしても、それはヨロクとこことの文化の差ということにしてしまえばよいが。
「俺はガンバラってんだ、よろしくな。しかし、外からここまで逃げて来るとは、また無茶したもんだな。どこから来たんだい」
「はい、ヨロクから……」
ヨロクという名前を出した途端、ガンバラという男は目を丸くして首を傾げた。
この反応は門番の男と全く同じものだろう。
安全な筈の街から、どうして危険な道を通ってこんなところまで……と、そう尋ねずにはいられないのだ。
「ええと……お恥ずかしながら、街にいられなくなってしまったのです」
「手を……ですね、悪くしてしまって。以前は馬に乗っていたのですが、手綱を上手く取れなくなってしまって……」
「そうかいそうかい、そりゃあ大変だったな。しっかし……そうか、アンスーリァの中の街でもそういうことがあるんだな」
う……仕方が無いこととはいえ、私の嘘の所為で国の評価が落ちてしまっている。
最終防衛線などと大仰な線引きをしておきながら、その内側もまともに守れていないダメな国家……なんて印象が広まってしまったらどうしようか。
「ま、ばあさんとこなら仕事には困らねえだろう」
「あのばあさん、昔は大勢人を雇って畑をやってたんだがな。息子夫婦が孫連れて逃げちまって、そのショックの所為かあんまり人と関わらなくなってなぁ」
「デカい畑はあるんだが、いかんせんもう歳だから」
畑仕事も他の雑務も、アルバさんの手に負えていない部分はいくらでもある。と、ガンバラさんはそう言って頭を抱えた。
仕事を回して貰えればこっちも楽なのに、と。
「ま、姉さんが良い刺激になってくれることを祈るばかりだ」
「これで立ち直ってくれれば、また俺達にも仕事を振ってくれるかもしれない」
「土地を持ってない俺達からすると、あのばあさんは何してでも機嫌取らなきゃならない相手だからな」
「下手なことして、畑潰すようなことにはしないでくれよ?」
「は、はい。肝に銘じます」
この話ぶりを鑑みると、彼は小作人なのかな。
アンスーリァでは法による規制が成されたから、不平等契約の温床となり得る関係のいくつかは解消されている。
だが、それでも完全に消滅したというわけではない。
ここが国家から逸脱した地区だとするのならば、そういった制度が多く復活していても、なんら不思議ではないだろう。
となれば……アルバさんは、この街ではそれなりに権力を持った地主であったのだな。
しかし、現在はその権利を振るうでもなく、またそれを放棄するでもなく持てあましている。
周りから見れば、それがもどかしいことこの上ないというのも理解出来よう。
豊かには思える街だが、しかしそれもひっ迫したこの国の中では……という話でしかないのだから。
「……アルバさんのお子さん夫婦は、どこへ逃げられたのでしょうか。その……私はヨロクから来ましたが……」
「北から逃げてきた人間には思い当たる節が無い……か?」
「じゃあ、例の盗賊団に助けを求めたか、それとも全然違うとこを目指して……結局、逃げられなかった、か」
ガンバラさんは少しだけ目を細めてそう言った。
もしや、その夫婦とは交友があったのだろうか。
同じ街に住む知人、顔見知りというだけでなく、友人であった……とか。
「……そういえば、どうしてこんなとこに逃げてきたんだ? もしかして、ヨロクでもここのことは知れてるのか?」
「ええと……いえ、ここへ着いたのは偶然でした」
「初めは……その、噂があったのです。今ガンバラさんがおっしゃったのと同じだと思うのですが、難民を受け入れてくれる盗賊団がいる……と」
「その……ヨロクには盗賊被害もそれなりに出ていましたから、あまり大きな声では言えませんが……」
昨晩少し考えておいた通り、私達は盗賊団をアテにして最終防衛線の外へ逃げ出した……という体で話を進める。
なんの希望も無しに安全な街から外へ出た……という話は、とてもではないが簡単には信じて貰えない。
だが、どうしようもなくなって縋りついた先があるとなれば、結果としてそこに辿り着いていなくても不信感は減らせるだろう。
「ああ、ここらでも有名だよ。北の方はそこまででもないが、南はかなり広い範囲で活動してるらしい」
「頭領の顔も名前も知られてないが、相当な切れ者がいるんだろうな」
「西にフーリスって街があるだろ。そこはこことも、その盗賊団とも交流があるんだ。だから、話だけは多少聞いてるよ」
「フーリス……ですか。なるほど……」
盗賊団とこのカストル・アポリアとに接点があった……?
しかし、そんな話は聞いたことがない。
ジャンセンさんが話すまでもないと考えている……とも思えない。
北は最も重大な戦線を展開している場所で、そこに使える街があるならその情報を共有しない理由も無いだろう。
となると……ううん? 伝え忘れなど、あの方に限ってあり得ないし……
「ま、実際に交易したことあるやつは、この街にはいないけどな。決まった相手としかやり取りしないらしいんだ」
「フーリスの商団のひとつが、たまたま盗賊団と繋がってるってだけなんだろう」
「そういう話があるって、その団員から聞いたやつがいる……って話を聞いたって、そう聞かされてるだけだからな」
「は、はあ……」
な、なんともまたずいぶんと遠い話だったのだな。
しかし、何も無ければ噂も出ないだろう。
ジャンセンさんも管理し切れていない部分で、フーリスという街との交流があった……と考えるべきか。
そんな話をしていると、馬車は市場へと到着して、荷箱が滑るほど大きく傾いた。
な、なんと荒っぽい止まり方だろうか。エリーは本当に優秀だったのだな。
「それじゃ、頑張りなよ。あのばあさんの機嫌が良くなって、俺達にも仕事が回ってくるようなら、飯でもなんでもおごってやるからよ」
「ありがとうございます。精進します」
そうしてガンバラさんは荷箱をいくつも担ぎ出して、さっさと市場へ駆け出して行った。
なんというバイタリティ。単純な筋力という点では、マリアノさんにも……マリアノさんには匹敵しようもないな。
だが、特別隊の若者の中でも、あれ程の力持ちは見当たらないだろう。
「では、私も仕事を……あれ? ええと……これ……ではありませんね。あれ……? 私が運んできた箱は……」
「退いた退いた、後ろがつかえてるんだ。荷物持ったら早く降りてくれ」
あっ、すみません。しかし、まだその荷物が見当たらないのだ。
ええと……確かにここに積んであった筈だ。
昨日ユーゴとエリーが収穫してくれた野菜の詰まった荷箱が……
「何やってんだ、もたもたすんな。まったく、何をうろうろしてるんだ。まさか、積み荷泥棒じゃないだろうな」
「ぬ、盗みなどしませんっ。その……私が持って来た箱が見当たらなくて……」
なんだ、盗まれる側だったか。と、若い男は馬車に乗り込みながらそう言った。
積み荷を盗まれる側……? いやしかし、さっきまで私とガンバラさん以外には……
「箱の印は。登録番号を言ってみろ。アンタ、どこから乗って来てたっけな。ええと……ああ、アルバのばあさんのとこからだっけ」
「印……? 登録番号……ですか? ええと……」
ああ。と、男は何かを悟ったような顔をして、そして私を嘲るように笑って手近な箱に手を付けた。
そして、見せ付けるように何かひらひらとしたものを取り上げて……
「タグも付けずに持って来たんだな、何も知らなかったのか?」
「まあ、アルバのばあさんがやってた頃には無かった制度だからな」
「自分のとこのもんだと証明する番号が無いんなら、持ち出された時点でそりゃそいつのもんだ。ひとつ勉強になったな」
「そ、そんな無法な……っ! ということは……もしや、ガンバラさんが……っ⁉」
さあ、退いた退いた。と、男は私の肩を掴み、背中を押して馬車から追い出した。
それからは何人もの男が馬車の中へと入っていって、それぞれ自分の請け負っている荷箱を識別して運び出しているようだった。
どうやらここは、アンスーリァにはないシステムで物流を管理しているようだ。
と……そ、そんなことに感心している場合ではありません――っ!
荷物が――っ! アルバさんから任された野菜が――っ!




