百六十八話【その街の暮らし】
最終防衛線の北端、ヨロクの街から更に北へ。
ダーンフールという街を目指して進んでいた私達は、その途中に大きな建物を――それを中心とした街を発見し、立ち寄ることに決めた。
だが、そこは地図の上には存在しない街。
つまり、最終防衛線が引かれたよりも後に出来上がった街だ。
誰が主導して出来上がった街なのか、まずはそれを確かめる必要がある。
「こっちだ。馬車はこっちに持って来て、馬はここに繋いでくれ」
「知らない顔をいきなり馬小屋に入れるわけにはいかないからな、しばらくはここで面倒見てやれ」
見張りをしていたふたりの男に連れられて、私達は柵で囲われた広場へと通された。
どうやら、何かを飼育していた牧場のようだ。
今は何もいない……のは、元々馬を飼っていて、それを厩舎に引っ越させたから空いている……ということなのだろうか。
食用の家畜であれば、一頭も残っていないというのは変だし……
「さて、家をどうするかだ。あいにく、客が来るなんて考えてなかったからな」
「宿なんて無いし、どっかに居候するしかないが……姉ちゃんは手が悪いのか? 脚は大丈夫そうだよな」
「ケガかなんかしてから追い出されるまで、仕事は何してたんだい」
「あ、ええと……怪我をするまでは馬に乗っていましたが、それからは農作業の手伝いを……といっても、手が上手く動かないので、籠を背負って運ぶくらいのことしか出来ませんでしたが……」
エリーとユーゴから少し離れたところで、男は私にそんな話を振った。
どうやら、私の拙い演技でもちゃんと騙せているようだ。
しかし……ううん。胸が痛むな、これは。
悪さをする為に嘘をついたのではないが、そうでなくても……
「だったら、弟妹と一緒に外で薪を拾って来るとか、そういう仕事になるわな。何やるにしても、チビの手伝いは欠かせないだろう」
「ってーなると……昼間にチビを遊ばせとく必要は無いから……」
どこでも大丈夫か。と、なんだか少しだけ粗雑な扱いを受けた気がしたが、むしろこれだけ気に掛けて貰えているだけでかなりの好待遇なのだろうな。
少なくとも、この街にだって余裕があるわけではないのだし。
「よし、なら畑やってるばあさんのとこに頼んでみるか。孫に会えなくて寂しいっていつも言ってるし、三人も若いのが増えれば元気になるだろうよ」
「あ、ありがとうございます。私で手伝えることがあるなら、頑張ります」
話がまとまった気配を感じてか、ユーゴはエリーを連れて私のそばへとやって来た。
エリーがそばにいては、嘘らしい嘘などひとつもつけなくなってしまう。
こういう時、ユーゴの察しの良さは本当に頼もしい限りだ。
それから案内され、紹介されたのは、大きな家と大きな畑と、そこにたったひとりで住んでいるというおばあさんだった。
見れば、腕も足もやせ細っており、腰も曲がって眼も悪くしている様子だった。
「アルバのばあさん、ちょっと頼まれてくれるかい。こいつら、税が払えなくなってヨロクを追い出されちまったらしい」
「んで、こっちの姉ちゃんは手が悪いそうでな。チビも手伝うから、しばらく置いてやって貰えねえか」
「あぁん? ヨロクから? そりゃまた、珍しいことがあったもんだねぇ」
アルバと呼ばれたおばあさんは、どれどれとかふんふんと呟きながら、眼を細めて私の顔や身体をじろじろと見定め始めた。
農作業の手伝いが務まるのか……と、確かめられているのだろうか。
「まあ、また美人さんが来たもんだね。これでよく売り飛ばされなかったねぇ、運がいいねぇ」
「おいおい、初対面でする話じゃねえだろうよ。それで、泊まらせてやれるのか、どうなんだ」
「もちろん、食料やら衣類やら、いくらかこっちからも援助はする」
男の言葉におばあさんは眼をぎらつかせ、使い物になるなら置いてやってもいいと許可を出してくれた。
あまり長居をする予定は無いとはいえ、しかし寝床の確保もままならないのではエリーの体力が心配だ。
それに、ユーゴもしっかり休ませてあげないと、ゴートマンとの戦いに支障が出かねない。
「初めまして、アルバさん。私はフィリアと申します。お言葉に甘えて、お世話になります」
「ほら、エリー、ユーゴ。貴方達もお礼を言ってください」
「ふん。役立たずだったらすぐに叩き出すよ。おいぼれだからって甘く見るんじゃないよ」
どこか気難しそうなおばあさんだが、しかしエリーが元気よく挨拶をすれば、少しだけでも笑顔を見せてくれた。
きっと心根は悪い人ではないのだ。
ただ……自分の身体の不調や、環境などの要因によって、彼女の心がささくれてしまっている時期にあるのだろう。
「そんじゃ、しばらくはここにいるといい。働けるようならこのままここでばあさんと暮らしてもいいし、家が欲しけりゃ建てればいい。ここはそういうとこだ」
「はい、ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
ずいぶんいいとこの育ちみたいだねえ。と、おばあさんは私を睨んで……ああ、いや。
眼が悪いから、どうしてもそういう目つきになってしまうだけなのか。
声色からは、感心しているのだろうことが窺えた。
「ああ、そうです。その……すみません、ここはなんという街ですか?」
「その……夢中で逃げて来て、道などを確かめている暇もありませんでしたから」
「地図では……ええと……ダーンフールにはまだ着いていないと思ったのですが……」
「ああ、ここはカストル・アポリアだ。ヨロクに出回ってる地図の上には載ってないだろうよ」
「国から棄てられた街が集まって出来た、新しい街……いいや、国家だ」
新しい国家……か。
なるほど、それもあながち吹かしではないだろう。
少なくとも、現政権の外にあるこの街は、アンスーリァ国土にありながら、国に属しているとは言い難い。
そして、それが複数の集落を束ねたものであるのならば、その単位は家、集落、街を超え、国という体を成してもおかしくはない。
問題なのは、それを束ねてひとつの集合として成立させたのが何者なのか……だが、果たしてこれはどう調べたものか。
怪しまれないように、時間を掛けて話を聞き出してみたいが……しかし、ゴートマンの魔術の発動期限を考えると、あまり時間を掛けられない。
「おい、アンタ。フィリアって言ったね。ほら、さっさと支度しな。早速働いて貰うよ」
「は、はい。エリー、お手伝いしてくれますか? アルバさんと一緒に、畑仕事をするんです」
はーい。と、エリーは素直に返事をしてくれたが……ユーゴは苦い顔で私を見つめていた。
い、言いたいことは分かりますが、もう少しだけ我慢してください。
アルバさんの機嫌を損ねれば、この家にも泊めて貰えなくなってしまう。
そうなると、エリーの体調が不安だ。
この子の体力は、そのまま私達の行動力に直結する。
エリー抜きにはヨロクへ帰ることすら叶わないのだから。
「わー、広いね! おばあちゃん、いつもひとりでこれやってるの? 大変だね!」
「エリーって言ったかい。アンタはいい子だねえ」
「そっちの……えーと、ユーゴって言ったかい。アンタはもうちょっと愛想を良くしないと、ロクな大人になりゃしないよ」
げっ、こっちに飛び火した。と、ユーゴの横顔にはありありと書いてあった。
ここまで露骨に嫌な感情を表に出すのは久しぶり……と言うか、珍しいと言うか。あれ、意外とそうでもないのかな?
私が見る彼の顔は、いつも澄まして冷静さを繕っているものが多い印象だけれど。
「フィリア、アンタはこっち。エリーとユーゴは草むしりをしてな」
「うん! 分かった! ユーゴ、競争しよ! ここから向こうまで、どっちが早いか競争!」
適応力の高さと言うか、わがままを言わない素直さと言うか。
ともかくエリーは、既にこの場に馴染みかけているように思えた。
そのおかげもあって、私とユーゴに対しても不信の目は向いていない……気がする。
おばあさんはぎくしゃくとぎこちないながら、それでも危なげない足取りで私の前を歩いていた。
こちらを一度も振り返ることなく。
「手が悪いなら足を使って貰うからね。物を持ち上げるくらいは出来るんだろう? なら、この藁クズを馬小屋まで運びな」
「は、はい」
そうして一度も私を試そうとも疑おうともせず、おばあさんは私に飼料の運搬という仕事を与えた。
既に纏められた藁の塊をかごに入れ、それを厩舎まで運ぶだけ。
なるほど、これならば手の不自由な人間にも務まろう。
同時に、腰の悪いおばあさんには厳しい仕事だ。
「アンタ達、馬車で逃げてきたんだってね。なら、アンタの馬にもいくらか持って行ってやりな」
「馬は痩せたらなんの価値も無くなるからね。走れない、運べない、それに食うとこまで無くなったらおしまいだよ」
「はい、ありがとうございます。少しだけいただいて行きます」
皮肉を言ってんだよ、鈍臭い娘だね。と、おばあさんはそっぽを向いてそう言った。
なんだろう、どことなくユーゴに似ている。
なら、彼女は言葉ほど私に悪感情を抱いていないのだろうか。
それなら、少しの間でもお世話になるのだから、その間の暮らしに不安を抱かずに済むというものだ。
そんな勝手な考えを胸に秘めて、私はおばあさんに嫌われないよう一生懸命に藁を運んだ。
力仕事は慣れたものではないが、座り通しの宮仕事よりは気が楽だった。




