第百六十七話【潜入】
ヨロクからダーンフールまでの道のりで見つけた謎の建物。
木々に囲まれた中でも発見出来るほど大きなそれは、遠目に見る限りではブリキ屋根に見える。
珍しいものではないが、ナリッドのように疲弊し切った街では作れないものだ。
ならば、やはりこの先にはまだ十分に余力を残した街がある筈。
私達はそこへ向かって馬車を走らせていた。
「エリー、ゆっくりだぞ。あんまり急ぐと見つかるかもしれないからな」
「見つかっちゃダメなの? 分かった!」
馭者台の上とそのすぐそばで交わされる会話は、聞いている限りでは子供同士のじゃれ合いにしか聞こえないのだけれどな。
しかし、確かな緊張がこの場にはある。
この先の街か集落は、果たして何者によって作り上げられたものなのか。
それが分からないが為の不安ばかりが積もる。
「エリー、ユーゴに尋ねてくださいませんか。建物の中……いえ、建物のそばに、何かの気配はありませんか、と」
「聞こえてるよ、わざわざエリーを挟まなくていい。そんなに遠くないし、馬車も壁薄いからな」
馬車の覗き窓から外へを顔を出せば、そこにはこちらをじっと睨んでいるユーゴの姿があった。
しかし、その目つきはどうやら私を責めたいが為のものではないらしくて……
「気配……は、ある。多分、人だ。数もそこそこいる。だけど……」
だけど……の後、ユーゴは言うか言うまいかと言葉を選んでいる様子だった。
何か私が知ればショックを受けるような気配があった……と?
それとも、既にユーゴが落胆してしまう結果が見えている……とか。
「……あのゴートマンの気配は無い。ついでに、攻撃的な気配もあんまり」
「ただまあ……何も無いのにイライラして当たり散らかしてるやつとか、そういないから。人がいるってことだけしか分からない」
「どんなやつかまでは、一回は見ないと分かんないからな」
「……なるほど。敵意が無いからと近付いてみたら、その実はのんびりしていた魔人の集いであった……という可能性があるのですね」
それもそうか、当たり前だった。
どんな悪人とて、常に悪というわけではないのだ。
それに、そもそもあの魔人の集い――ゴートマンは、私達への敵意はあれど、絶対的な悪意があったかどうかで言えば、決してそうではなかった。
何かしらの事情があって、それに伴う正義があって。
それが私達とはすれ違っているから、攻撃的な姿勢を取っていたに過ぎない。
「気付かれないように行く……のも、馬車なんかじゃどうやっても目立つ。でも、お前とエリーを置いてくのは流石に危ないし、どうしたらいいかな」
「……いえ、気付かれても構いません。正面から、堂々と入りましょう」
「ただし、焦ったり、武器を出したりしてはなりません。平常通りに装ってください」
見付かってしまうのは避けられまい。
重要なのは、そこで疑われないことだ。
不審な動きさえしなければ、逃げ延びた難民などは自然なものだろう。
私達の顔を、素性を知っている……という可能性も、基本的にはあり得ない。
「あー、いつも色んなとこでやってたようにすればいいんだな」
「なんか……フィリアって微妙にあくどいよな。バレなかったら何してもいいと思ってそう。今は大した悪事を思い付いてないだけで」
「っ⁈ な、何故こんな時にまで私をこき下ろすのですか……」
いえ、とんでもない魔術を発動したり、その為に人を犠牲にしたりと、後ろを振り返れば悪行などでは済まされない罪であふれ返っているのですが。
っと、それは今はいいのです。
大切なのは、この国を良いものにするという王の責務を果たすこと。
その為ならば、身分を偽る程度は問題になりません。
「エリー、びっくりしても大きな声を出してはいけませんよ」
「それに、やはり怖いものがあればすぐに言ってください。その時は、ヨロクへ帰ってゆっくり休みましょう」
「うん! あっ……うん、分かった」
エリーは元気良く返事をした後に、両手で口を塞いで静かに返事をしなおしてくれた。
今のところ、エリーは何に対しても恐怖心を感じなかった……のだな。
私としては、その事実が一番恐ろしいのだが……
真っ直ぐダーンフールの方角へ走っていた頃よりも減速していた馬車は、ここで更に速度を落として建物へと接近する。
その途中、ユーゴからまた連絡が入って、そこにはやはり街か何かがあるのだと知らされた。
「見張り……だろうな。ちょっとだけど、外側に何人か立ってる。どうする? 何も言わずに突っ切るか?」
「いえ、話をしてみましょう。となれば……ユーゴ、貴方も馬車の中へ戻ってください」
「ひとりだけが外で並走しているなど、怪しまれない道理がありません」
それに、馭者がエリーひとりというのも不審だろう。
私もあの子の隣に座っていれば、今は手が不自由だとかの理由をでっちあげる格好も付く。
と……そんな裏事情を伝えても、エリーには演技らしい演技など望めないから……
「あっ、フィリア。どうしたの? 外が見たくなった?」
「はい。エリーの隣で、マルマルの頑張っているところを見てみたくなりまして」
マルマルは頑張ってないよ。さっきからのんびりだもん。と、なんだか厳しい言葉を聞いてしまったが……それほど大変な思いはさせていない程度の意味なんだろう。
あんなに愛情を注いでいる馬に対して、このくらいなら頑張った内に入らない……なんてひどい言葉は掛けない……と思う。
どうやら、建物の周囲……というより、街の近郊は魔獣の掃討がしっかり行われているようで、のんびりとした足取りでも襲撃に遭うことは無かった。
そうして時間を掛けて近付くと、立派な関が木々の向こうに見えてきた。
それに、ユーゴの言っていた見張りと思しき人影もちらほらとある。
「エリー、あまり騒いではいけませんよ。今からはお客さんですから、礼儀正しく振舞わないといけません。出来ますね?」
「うん! あっ……うん。だいじょうぶ」
大きな声を出さないという約束も、まだきちんと覚えていてくれたのだな。
素直だし、物覚えの良い子だ。
馬車は木々の間を抜け、遂にはしっかりと足下の舗装された道路へと侵入する。
その頃になると、見張りの男達もこちらに気付かないわけにはいかない。
長銃を肩から提げたふたりの男が、訝しげな顔でゆっくりとこちらへ近付いてきた。
「珍しいな、どこからの馬車だ。荷物は何が入ってる」
「私達はヨロクから来ました。それと……すみません、行商の馬車ではないのです」
エリーが馬車を停めたのを確認すると、私はゆっくりと……慎重に、そうしなければおぼつかないかのように、ゆっくりと馭者台から降りた。
そして、ふたりの男を出来るだけエリーから遠ざけるように誘導して、彼女に聞かれまいとしているように顔を伏せて説明を始める。
「実は……街にいられなくなってしまいまして、荷物も持たずに飛び出してきたのです」
「すみません、中へ入れて貰うことは出来ませんでしょうか? 明朝に出発したおかげか、ここまでは魔獣に襲われずに済みましたが……」
「ヨロクから……だったら、反対のハルへ逃げたら良かったじゃないか。それとも、まさか犯罪者じゃあないだろうな」
犯罪者……か。
そうだな、街から追放されるほどとなれば、当然そういう可能性ばかりが浮かんでしまうよな。
だが、ひとまずその方向へは騙せたみたいだ。
ユーゴやジャンセンさんにはいろいろ言われるが、誤魔化すという点においては私もそれなりに頭と口が回るらしい。
「……すみません。どうしても、もう仕事が出来なくて」
「税を収められなくなってしまって、借りていた家からも追い出されてしまいました」
「残されたのは、僅かなお金と馬が一頭に馬車が一台。あとは馭者台に乗っている小さな妹がひとりと、車の中に弟がひとりいるだけで……」
「そうだったのか……大変だったなあ、まだ若いのに」
「荷物の確認が出来たら中へ入れてやる。もっとも、ここでも仕事が出来なきゃ食っていけなくなるかもしれないがな」
お、おお……本当に話がするすると進んでいくではないか。
実は、皆が言うほど私の嘘は分かりやすいものではないのではなかろうか。
男達は優しげな顔になって、エリーや馬車の中にいるという弟を怖がらせないように、敵対心らしいものは全て引っ込めて荷物の検査を始めた。
「お嬢ちゃんが馬を引いて来たのかい? 偉いね。あのお姉ちゃんの代わりにやってるのかい?」
「? うん! フィリア、出来ないから!」
そうかそうか。と、ふたりのうちのひげの長い方の男は、にこにこ笑ってエリーの頭を撫でていた。
あの子の微妙に言葉足らずなところが、いい具合に嘘にならない嘘を誘発している……
「ちょっと失礼するぞ。おお、なんだなんだ。弟もちいせえな。姉ちゃんいくつなんだ、ずいぶん離れてないか?」
「小さくない、うるさい」
反抗期だなぁ。と、もうひとりのほりの深い男は、やや苦笑いで馬車の中へと乗り込んでいった。
それから逃げるようにユーゴは馬車から出て来て、私の下へと駆け寄って……すごく文句があるという表情で駆け寄って来た。
「ユーゴ、話を合わせてください。今は揉めごとを起こすわけにもいきませんし、取り入らなければ調査も出来ません」
「誰が弟だ、バカ。アホ。このデブ、間抜け」
ひ、久しぶりですね……それも……
しかし、そんなユーゴの様子もまた、男達をなんとなく信用させるものだったのだろう。
馬車の中に荷物らしい荷物が無いことを確認すると、私達は関を潜る許可を出して貰えた。
私のカバンの中には例の資料があったから、そこに突っ込まれたときの為の言い訳も考えていたのだが……嘘もあまり繰り返し過ぎるとボロが出る。
何も無かったのならばそれも良しとしよう。




