第百六十二話【頼もしい? 楽しい!】
ユーゴと共に、連絡を待つより先に北へ向かうか。
それとも、ゴートマンの魔術の使用を待ってから隊を率いて出発するか。
迫られた決断はもう昨日のこと。
「ユーゴ、そんな顔をしないでください。不服かもしれませんが、しかしジャンセンさんの言い分も正しいと貴方も理解したのでしょう」
「そうだけど……」
私と共に馬車に揺られているのは、不機嫌も不機嫌、むすっとしたまま一向にこちらを見ようとしないユーゴだった。
彼は私の決断に……いいや。ジャンセンさんの判断に納得していないようだ。
まあ……無理も無いと言うか、気持ちは分かると言うか。
「――フィリア――っ! 街が見えたよ! ます!」
「……なんだってアイツまで一緒なんだよ……」
私が下した決断は、ユーゴとふたりであのゴートマンを捕縛するというものだった。
それに対して、ジャンセンさんが付け加えた条件がある。
それこそ、たった今ユーゴが顔を曇らせている理由でもある、エリーの同行だった。
「理由ならば聞いたでしょう。それに、私と貴方だけでは馬車も動かせませんから。仕方ありませんよ」
「別に、馬には乗れるんだろ。なら、俺は走ってけば問題無かったのに」
フィリア! フィリア! と、馬車の前方から可愛らしい声が何度も聞こえてくる。
どうやら彼女は何かを見せたいらしくて、早く早くと急かしてばかりだ。はい、今行きますよ。
ジャンセンさんが提示した条件――エリーを同行させる理由はふたつ。
まずひとつ目に……というよりも、このひとつ目の理由こそが主題で、もうひとつはそれを成立させる為の前提条件のようなものだった……と表すべきか。
私達には限られた移動手段しか無かった。
私もユーゴも、馬車の操縦は出来ない。
私には乗馬の経験くらいはあるが、しかし長時間の移動となるとやや不安が残る。
だから、どうしても馭者をひとり同行させなければならなかった。
これがひとつ目、最重要な理由。
もうひとつは、それが可能な馭者が彼女しかいないから……というものだった。
単純な話だ。ほかの者では、やはりゴートマンに支配されかねない。
だが、エリーだけはそうならない。そうなる可能性が極めて低いのだ……と、ジャンセンさんは言う。
「エリー、どうかなさいましたか? 何か面白いものが見えましたか?」
「うん! 見て! あれ! でっかい!」
でっかい。と、エリーが指をさしたのは、翼を広げて空を駆ける魔獣……ではなく、一羽の猛禽類だった。
ええと……あれは鷲だろうか。
すごいすごいと目を輝かせる彼女には、それが普段目にする鶏とはかけ離れた幻の生き物にでも見えているのだろう。
「あんなの初めて見た! すごいね!」
「ふふ、そうですね。マチュシーやハルには魔獣の脅威が多くありませんから、野生の動物も自由に生活出来るのでしょう」
さて。こんなにも無垢で純粋なエリーが、何を以ってあのゴートマンへ耐性を持っているのか……という根拠だが、これもまた説明されてみればあまりにも単純な仕掛けだった。
エリーには嫌な思い出がほとんど存在しない。
それが、ジャンセンさんが彼女を同行させるに至った理由だった。
いや、彼女を同行させたのならば、行っても良いと許可を出した理由……なのかな。
「マルマルもちょっとだけ楽しそう! いつもより機嫌いいもん! さっきうんちしたけど、いつもよりいっぱい出てた!」
「そ、そうですか……元気そうで何よりです」
子供だから、まだ思い出の絶対数が少ない……という話もある。
だが、それだけではないらしい。
どうやら彼女は赤ん坊の頃には既に捨てられていたようだ。
それをマリアノさんが保護し、盗賊団の皆で過剰なほどに守って育て上げた、恐怖も脅威もほとんど感じたことの無い無垢な少女。
だから、ゴートマンと言えど、彼女に嫌な記憶を見せるのは不可能だろう……と。
「……同時に、彼女ならば操られても脅威になり得ない……と。何度思い返しても納得の道理です」
「確かに、危険な場所へエリーを連れて行くのは不安ですが……」
「……不安ってか……緊張感無くなるんだよな。それが……」
フィリア! と、少し顔を引っ込めただけで、もう大声で呼ばれてしまう始末。
どうやら私は随分懐かれたようだ。
愛らしいことこの上ないが……周りが親子だと勘違いするのだけは……ううん……
「あそこ? あの街に寄ればいい?」
「ええと……はい。このまま真っ直ぐ、あのマチュシーという街までお願いします」
今日はここで宿を取る。そして、明日はハルまで向かう。
その次は、魔獣の脅威を退けながら、ヨロクの街まで突き進む。
ヨロクで特別隊の拠点に寄って補給を終えたら、そこからは……
「……でも、一個だけ気になるんだよな」
「そんだけ甘やかされて育ったなら、ヨロクに行く前の魔獣の群れに怯えたりしそうだろ?」
「それで……そうなったら、それがちょうど嫌な思い出になるわけだから……」
「……そう……ですね。ですが、そこは……ほら。貴方の言葉もあります」
「嫌な思い出があっても、それが直近のことならば被害は少ないだろう、と」
「忘れてもいないものならば、掘り起こされるほどの痛みは無いでしょうから」
そうだけど。と、ユーゴは苦い顔で馬車の進む先を睨む。
見えてきたマチュシーの街にはなんの恨みも無い筈だが、この遠征の行く先に不安を感じているのだろう。
街に到着してすぐ、私達はまず役場へと赴いた。
遠征に関しての用事は無かったが、しかし女王としては用がある。
今は特に税収を甘くするわけにはいかないから、報告と実態とに差が無いかとしっかり目を光らせる必要があるのだ。
なんともせせこましい話ではあるが、やらなければならない以上はな。
「お待たせしました、陛下。こちらが直近五十日の出納帳でございます」
「あの……もしや、何か不審な点がございましたでしょうか。二十日前にも宮へお送りさせていただいたのですが……」
「いえ、そういうわけではないのです。ただ……ええと……そう、皆に気を張って貰う為にも……です」
「決められた日に決められた仕事をこなす……というのも重要ですし、尊ばれることですが」
「たまにこうして抜き打ちで審査をしてみれば、不正帳簿も付けにくくなるでしょうから」
なんとも雑な出まかせだが、役人は納得の表情をしていた。
ということは……はあ。残念ながら、裏帳簿もやましい話も無いのだろうな。
いえ、民の悪行を期待するなど、とても女王の考えてよいことではないのですが。
しかし……ここで偶然にも脱税が発覚したりして、一時的にでも宮にお金が増えてくれたなら……と、考えてしまいそうになるのが今の懐事情というものだ。
「……はい、どこにも問題は無さそうですね。いつもご苦労様です。これからも誠実で実直な仕事を期待しています」
「もったいないお言葉、ありがたく頂戴いたします。女王陛下におきましても、何卒アンスーリァを良き国へとお導きください」
はい、それはもちろん。
出納帳を役人に返し、私はまた別の資料へと目を向ける。
税ばかりが気になるところではない。
安全な街とはいえ、魔獣やならず者が全く出ないというわけでもないのだ。
これまでの警察の出動状況や、砦からの報告などにも目を通しておかないと……
「……あの、ところで……こほん。陛下にはご子息がおられたのですね。いえ、その……そういう話は聞いておりませんでしたので」
「……え? あ、えっ、いいえっ! 違います! エリーはですね、先日新設した特別隊の馭者でして……」
なんだか物々しい雰囲気で私に話しかけた役人の顔の向いている先には、ユーゴにあやされているエリーの姿があった。
エリー……のことを言っているのですよね……?
もしやとは思いますが、そのご子息というのにユーゴは含まれていませんよね?
わ、私はそんな歳ではないと、役場に勤めているのならば王の年齢くらいは把握していますよね⁉
「彼女は幼いながら、馬の扱いが他の誰よりも上手なのですよ」
「馬車に乗っているというのに、ついうたた寝をしてしまえるくらいに」
「ほう、そうだったのですね。特別隊の話は伺っておりましたが、やはり優れた人材を募集なさっていたのですね」
募集……はしていないが、しかし優れた人材という部分には頷こう。
エリーもそうだが、ゴルドーや他の本隊と呼ばれたランデル配属の隊員は、皆能力が高そうだった。
それに、他の街で働いている若者も競争意識が強く、これからに期待が持てる。
ジャンセンさんの教えが良かったのだろうな、彼らについては。
そうして私が役場の仕事を終える頃には、エリーは疲れて眠ってしまっていた。
そんな彼女をおぶって宿へ向かう私の姿は……やはり……きっと……母親のものに見えたのだろうな……っ。
ともかく、明日はハルで同じことをする。
その更に翌日にはヨロクへ向かわなければならない。
魔獣を前にエリーがどんな反応を見せるのかは気掛かりだが、今はジャンセンさんの推薦を信じるしかない。




