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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第二章【惑うものと惑わすもの】
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第百六十一話【正義と計算】

「――ユーゴ。待ってください、ユーゴ」


 怒って出て行ってしまったユーゴの後を追い、私も工房跡を飛び出した。


 その姿は見えている。けれど、その歩みは普段よりずっと速いものだった。

 そして、その背中は普段よりもずっとずっと小さく見えた。


「ユーゴ、待ってください。その……気持ちは分かります。確かに、気分の良い話ではありません。ですが……」


 ですが……と、その言葉の後に、私は何を言ったらいいのか分からなくなった。


 だって、彼の中にあるものを私も持っている。

 小さければ犠牲が出ても構わない……なんて、そんな考えは間違っていると、そういう正義は私の中にも確かにあるのだ。


「……っ。ユーゴ、戻ってください。話をしましょう」

「嫌だというのならば――そんな作戦は受け入れられないというのならば、きちんと面と向かって話をすべきです」

「貴方もジャンセンさんも、特別隊の大切な一員です。受け入れられないから拒絶する、それだけではいけません」


 きれいごとだろうか。打算的な大人の意見だろうか。

 けれど、今はそれしか言葉を持っていない。


 そして、ユーゴにもそういう性質はある。

 感情的にはなったけれど、冷静に――計算高くものごとを考え、落としどころを見極める能力は確かにある。


 ならば、彼とジャンセンさんなら出来る筈だ。

 一方的な拒絶以外の対話が。


「ユーゴっ! 話を……もう一度、きちんとジャンセンさんと話を……」


「いらない。必要無い」


 私の言葉に、ユーゴは立ち止まってそう言い切った。

 そして、ゆっくりと振り返って……もうずいぶんと落ち着いた表情で、私の前まで戻って来てくれた。


「アイツの言ってることは間違ってない」

「もしマリアノが操られたら、それは流石に結構面倒だ。俺なら勝てるけど、勝っても損はするんだ」

「だから、アイツの言ってることとやってることは間違ってない」


「……ユーゴ? ええと……それが分かっているのならば、感情的に拒絶するだけではなくて、しっかりと自分の意見と考えをジャンセンさんにも伝えれば……」


 そんな必要なんて無い。と、ユーゴはちょっとだけ語気を荒げた。

 でも、もう怒っている様子ではない。


 部屋を出る時には確かに憤っていた筈だが、彼の表情からはもうそんな感情は窺えなかった。

 見えてくるのは、確固たる信念……だろうか。


「――間違ってないけど、正しくもない」

「被害は出さない、出させない。俺なら出来る。だから、先に俺がやる」

「お前だって、そういうやり方が出来るならその方がいいだろ?」


「……え……? あ……ジャンセンさん……」


 お前。と、ユーゴは視線を私の斜め後方へと向けて、唇をツンと尖らせてそう言った。

 その先には、一緒に追いかけて出てきたジャンセンさんの姿があった。


「お前はお前で作戦立てて準備してろ。どうせ、俺がいなくても平気なように考えてるんだろ」

「俺がフィリアのそばから動かない前提で立てた作戦を、俺とフィリア抜きでやればいい。俺が全部終わらせた後に」


「……ま、そうだな。お前の力は最終的にはアテにしてるけど、お前の力ありきでの作戦は立ててない」

「お前が勝手に何しても、こっちには特に不都合ねえよ」


 ユーゴの眼差しは、いつものものとは違った。

 いつも向けている微弱な嫌悪感はもうどこにも無くて、あからさまな蔑みの視線をジャンセンさんに送っている。


 それを受けたジャンセンさんも、もうユーゴに甘い顔を向けていない。

 いつかも見せた、冷たくて何も読み取れない顔をしていた。


「でも、それでフィリアちゃんになんかあったら困るんだよな。だから、勝手はさせねえ」

「悪いけど、フィリアちゃんはもうお前だけのモンじゃないんだよ」

「って、もともと誰のモンでもない、この国全部を所有してる側の人間なんだけど」


「何も無い、あるわけない。俺がいたらフィリアには何も起こらない」

「それに、お前が困る分には問題無い」


 ユーゴの言い分は、子供の駄々と同じに感じた。

 けれど、それをそういう小さなものと片付けてしまえない背景も同時に抱えていた。


 彼は子供の言い分を押し通しても、結果を出せるだけの能力を有している。

 だから、わがままを自覚していてもジャンセンさんと張り合えている。


「おいこら、クソガキ。微妙に否定しにくいこと言いやがって」

「そりゃ確かに、フィリアちゃんが操られないとなったら、あのゴートマンとかいう女魔術師はそこまでの脅威じゃないのかもしれない」

「でも、お前が操られない可能性はまだ無いんだ。だったら、アイツの術は一回やり過ごしてから……」


「俺も操られない。根拠ならある。フィリアと同じように、俺も操られるとこまでは行かない」


 私と同じように……?

 ユーゴの言葉を支えるものは、私では想像出来なかった。


 私は……人間として、大切な部分が欠けているから……だろう。

 あの魔術師が他者を支配するには、嫌な思い出を引きずり出し、それによって精神を弱らせるという前提が必要だ。


 しかし、私にはその頃の嫌な感情が無い。

 だから、私は使役され得ない。


 けれど、ユーゴはそうではない。

 嫌な出来事は嫌なものとして覚えているし、ジャンセンさんの裏切りに対しては動けなくなるほどの動揺も見せた。


 それに、ゴートマンに襲われた時だって……


「……そういえば、ユーゴは随分と早くに目覚めていました。もしや、それが何か関係しているのでしょうか」


「関係……してるかは知らないよ、魔術なんて分かんないし。でも、無関係じゃないと思う」


 その根拠は。と、ジャンセンさんは急かすように問いかける。

 それに対して、ユーゴはまたじろりと鋭い眼を彼に向けた。


 そして、お前ともフィリアとも違うんだ。と、そう言い放った。


「俺だけさっさと起きたのは、引きずり出される記憶が少ないからだろ」

「あの時、確かに何個か見せられたけどさ。でも、一番嫌な記憶は出てこなかった」

「多分、無理なんだろ。アイツが俺に見せられるのは、こっちに来てからの記憶だけっぽい」


「こっちに来てから……って……お、おおっ⁈ そういやそうだった、普通にその意識抜けるわ」

「お前、えーっと……なんたら魔術式で呼び出されたんだったな」


 召喚屍術式……ですね。


 しかし……そ、その話は本当だろうか。

 もしそうだとすれば、確かに大きな根拠となるだろう。


 だって、少なくとも最悪の記憶には触れられずに済むのだ。

 自己の死を認識する瞬間は、どんなに足搔いても良い思い出とはなり得ないだろう。


 操られない保証にはまだ出来ないが、絶対に屈してしまうとは断言出来なくなった。


「そもそも、まだ一年も経ってないからな。思い出させられるも何も、まだ忘れてないし。見せられてもちょっとイラっとしただけだ。だから、俺は操られない」


「……ぐっ。思ったよりちゃんと根拠出してきやがったな」

「でも、たまたまそれを見せられなかっただけ……って可能性は…………ねえわな。拘束も目的の内だった筈だ」

「なら、手加減なんかして無駄なリスク負う理由は無い。ってーなると……」


 んんー……? と、ジャンセンさんは声にならないうめき声をあげて頭を抱えてしまった。


 当然、彼の中にも私達と同じものはある。

 犠牲は出ないのならばそうに越したことは無い。


 けれど、現実的にそれが難しいから、それでは目的を達せられないから。

 そういう計算があるから、ジャンセンさんもこの作戦を立てたわけなのだから。


 その根幹を揺るがされれば、動揺は大きいに決まっている。


「……いや、それでもダメだな」

「だってお前、周りのやつらが操られたらどうすんだよ。そいつらに手が出せないだろ。分かってんだぞ、お前の性格は」


「そうだな。お前なら喜んでぶっ飛ばすけど、他のやつは……あんまり殴ったりしたくない」

「マリアノだったらまあ……殴んないとこっちが危なそうだし、多少なら殴っても平気そうだし……」


 なんの想定をしているのでしょうか……それは……


 しかし、ジャンセンさんの指摘にはユーゴも納得しているようだ。


 彼は基本的に心優しい少年でしかない。

 当然、無辜の民が相手では攻撃など出来ない。


 となれば、部隊の他の若者が支配されてしまった場合、どうしても攻撃力が落ちてしまう。

 それを解決出来ない限りは……


「……でも、別に問題無いだろ。だって俺だけ行けばいいんだし。パーティよりソロのが早いんだぞ、大体」


「……俺だけ……って……あー、その手があった……ねえよ⁉ いや、あるのか……? いや! ねえって!」

「絶対ダメだ! アホか! そんな……お前とフィリアちゃんだけ行かせるとか……」


 ユーゴの言葉に、ジャンセンさんは大慌てで……否定も肯定もし切れないでいた。

 ううん……なんと悩ましい、的確に急所を射抜かれた気分だ。


 確かに彼ひとりならば、周りの味方が操られて……という不安は無い。

 無いが……いいや、流石にこれはダメだ。他にもっと心配すべきことが増え過ぎる。


「……なんでフィリアもそんな顔してるんだ……? だって、そういう予定だっただろ、最初は」

「っていうか、ずっとそうしてたし、そうするって聞かされてたんだけど」


「……え? あっ……えっと……ええと?」


 おや。はて。


 ええと……そういえば、初めの頃はずっと私とふたりだけで……いや、いいや。

 その頃にも護衛の兵士は…………戦うことはほとんど無かったが、しかし同行はしてくれていた。

 それに……それに…………


「……ユーゴの力はずっとずっと大きなものになっていますから……いえ、流石にそれは……ええと……ううん……」


「揺れないで⁉ フィリアちゃん! 冷静に! まともに考えて!」

「自分の身が危ないの! なんかあったら、ヤバいのはユーゴじゃなくてフィリアちゃんだからね⁉」


 何も無い! と、ジャンセンさんに食って掛かるユーゴの姿は、今はただの子供のものにも見える。

 だが……彼がどれだけの力を有し、これまでに発揮してきたかも知っている。

 ナリッドでの件もあるし……


「フィリア、お前が決めろ。お前が決めたように俺は力を使うんだから」


「あー! よっしゃ! 墓穴掘ったな!」

「フィリアちゃん! まともで冷静で聡明で美しいフィリア陛下! さっすがにこんなチビガキとふたりで、ロクに情報も無い最前線に突っ込むのがどれだけ危ないかなんて理解してらっしゃるよね⁉」


 私が……そうか。


 ユーゴもジャンセンさんも、なんだか期待を込めた視線を私に向けている。


 私が決める……のならば、もう答えは決まっている。

 今までに無いくらい熱い眼差しを向けられているが……今日ばかりは、その期待には応えられないだろう。


 私の返答に、ふたりは対照的な表情を浮かべた。

 分かっていた反応でも、ここまで大袈裟だと少しだけ笑ってしまいそうだった。

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