第百五十九話【平和の象徴との再会】
宮の仕事も落ち着き、伯爵からの報告も受け、ユーゴの学習の時間も十分に設けた。
そのすべてが完璧だ……とは、残念ながら断言出来ないが、それでも今出来る範囲を十分にこなしただろう。
そんな自信と自負と、それ以上のじれったさで身体がうずうずし始めた頃、宮に来訪者が現れた。
「お久しぶりです、女王陛下。本日は拝謁の機会を設けていただき、誠にありがとうございます」
「ジャンセン=グリーンパーク、参上いたしました」
「お久しぶりです、ジャンセンさん。ウェリズの調査、ご苦労でした」
それは、普段よりもずっと立派な装いに身を包んだジャンセンさんだった。
これはつまり、特別隊の幹部としての正式な訪問――私とユーゴも調査に合流出来るという証なのだろう。
「ここではしにくい話もあるでしょうから、場所を変えましょう。私達には私達の話し合うべき場があります」
「もちろん、ジャンセンさんが宮に馴染んでくださることも、また大切なのですが」
宮で話をする以上、ジャンセンさんは私を女王として扱……あれ、普段はどうしてあそこまで気さくに接されているのだろうか。
まあ、私としてもあちらの方が気が楽で良いのだけれど。
ともかく、この場所では普段のようには話せない。それでは少し息苦しい。
私はジャンセンさんとユーゴと共に宮を出て、いつも通り特別隊の活動拠点へと向かった。
そこはもう私の魔術工房だった場所ではなく、隊の人々が出入りする場所……だから。
「フィリア! 久しぶり! です! 元気だった?」
「お久しぶりです、エリー。はい、私は元気でしたよ。貴女はどうですか?」
元気! と、元気いっぱいに答えてくれたのは、ランデルに駐在する特別隊の馭者、エリーだった。
そういえば他の街の隊員は、ここで働く部隊のことを“本隊”と呼んでいるのだっけ。
能力の高い人材をこのランデルに集中させている。
だから、ここで働くことはつまり王に認められた証である……という、私が全く知らない話を、ナリッドでガーダーという青年から聞かされたこともあった。
だが……
「おーい、ちびっこ。俺には? 俺にも挨拶しろよ、おいこら」
「……えー。カシラはいらない。ます」
フィリア! と、私には笑顔を見せてくれるのに、エリーはジャンセンさんに対しては妙に冷たい。
もしや、ジャンセンさんは子供に嫌われる性質を持っているのだろうか。
ユーゴもこうだったし、エリーがこうも露骨な態度を取るとは思いもしなかったし……
「はあ。コイツ、昔っからそうなんだよ。姉さんにはべったりなんだけど、俺には全く懐かなくてさ」
「男が嫌なのかと思ったら、他のやつらとは普通に接するし」
「性格がにじみ出てるからだろ。誰だって嫌だぞ、こんな人間のクズと仲良くするの」
マリアノさんには懐いているという言葉は、なんとなく……いえ、彼女の性格、人格、それにこれまでの言動行動を鑑みれば、人に慕われる人物であるというのはよく分かる。
しかし……それはジャンセンさんにも同じことが言えるのではないか?
そんな私の疑問だが、残念ながらそれを問い合わせるあては無い。
たった今、余計なことを言ったユーゴとジャンセンさんが、いつも通り睨み合いを始めてしまったから。
「頭。俺達は席を外しましょうか」
「女王陛下との会談となれば、姉さんはともかく、俺達は聞かない方がいい話だって出るでしょう」
「おう、そうしてくれ。お前はいつも気が回るな、ゴルドー。ここに遣って正解だった」
「大変だろうけど、女王陛下の補佐をしっかり務めてくれよ」
「今は国軍に力を借りにくいからな、宮から出たフィリアちゃんを守るのは俺達特別隊の最重要任務だ」
エリーは私に甘えだして、ユーゴがジャンセンさんに文句を付けて、そしてジャンセンさんがそれに乗っかって喧嘩が始まってしまう。
三人ともいつも通りと言えばいつも通りなのだが、それを波風立てぬように諫めたのはゴルドーだった。
なるほど、今のジャンセンさんの言を思えば、ガーダーの言っていた本隊という括りも、あながち間違いではないのかもしれないな。
「だそうだ。エリー、行くぞ。あんまり陛下を困らせるな。まだ厩舎の掃除が残ってる、そっちを先に片付けよう」
「えー。もうちょっとフィリアと遊ぶ。ます」
今までも遊びに来ていた覚えは無かったけれど、どうやらエリーは私を遊び相手として認識しているらしい。
一緒に遠くへ出かける友達……くらいの認識なのだろうか。
子供の可愛らしいお願いにはどうしても応えたくなってしまうが、しかし今日はそうもいかない。
「エリー、また次の日に遊びましょう。またクロープを訪れる予定もありますから、その時に」
私のお願いに、エリーは渋々ながらも頷いてくれた。
うん、素直な良い子だ。
そしてゴルドーや他の若者達と共に席を外し、そうして部屋の中はいつも通り私とユーゴとジャンセンさんの三人だけになった。
「……あの、ジャンセンさん。ランデルに配備した部隊員は、それぞれ優秀な能力を持った人物……なのでしょうか」
「ゴルドーに対する態度や言動もそうでしたし、エリーの能力については私も体感しています」
「他の街の若者がそうではない……という意味でなく、ここにいる彼らが特別なのでしょうか」
「ん? あー、うーん。どうだろうね」
「ま、なるべく仕事出来るやつ……宮の連中に見られて恥ずかしくないやつを選んだつもりはあるけどさ」
やはり、本隊というものは正しい認識だったのか。と、そう感心するだけでは終わらなさそうなのは、ジャンセンさんが苦い顔を浮かべているからだ。
能力を最優先に選んだだけではない、と?
「……んー……っとね。実際、能力はあると思うよ。というより、無かったら話にならなかった連中って言うべきかな」
「ほら、覚えてる? 俺達が盗賊行為を働いて、その素性が国軍にバレなかった理由」
「え? ええと……はい。国軍にも、役場にも、盗賊団の人間が入り込んでいたから……と……ああ」
ああ、納得した。なるほど、彼らはその時忍び込んだ者達だったのだな。
もちろん、同じ街同じ人ではいろいろと問題も起こるだろうから、かつて働いていたのとは全然違う場所へと送り込まれたことだろうが。
「あのちび以外は基本的にそういう経緯を持ってるやつらだね。その分、魔獣との戦闘経験はあんま無いけど」
「でも、わりかし安全なランデルなら、ああいうやつらの方が使い勝手いいでしょ?」
「使い勝手……というのは分かりませんが、頼もしいことは事実です」
ゴルドーも他の皆も、一度は役人として採用されただけの能力を有していたのだな。
なるほどなるほど、全貌が見えてきた。
体力に自信のあるものを、ヨロクやナリッドのような危険な街に。
役場に潜入して国営事業の経験を持つものを、ランデルのような安全な街に配置しているのか。
「……あの、ではエリーは何者なのでしょうか?」
「いえ、その……子供ですから、一番安全なランデルに……という事情も分かります。あの子の能力も理解しています」
「いえ、だから……でしょうか」
あの歳でどうしてあそこまで馬の扱いに長けているのだろうかという疑問と、あんな子をどうして特別隊に入れたのだろうかという疑問。
比較的安全とはいえ、ランデル近郊にも魔獣はいる。
あのくらいの歳の子ならば、ウェリズで安全に暮らしていてもおかしくないのに。
「ちびに関しては姉さんの決定なんだよね。真意は分かんないけど、経験を積ませたかったんでしょ、多分」
「マリアノさんが……ですか」
経験というのは、仕事の経験……だけではないだろう。
単純に、子供が積むべき経験のこと。
いろんな場所に行って、いろんなものを見て、楽しい思いも悲しい思いもたくさん積み上げる。
多分、そういうことを指した言葉だ。
「姉さんも子供には甘いからね。ま、能力があるのも事実だし、あのちびなら邪魔にならないだろうって考えなのかもね」
「それか、フィリアちゃんの近くに置きたかったとか。どっちにも良い影響があれば……ってね」
「良い影響……はい、そうですね。あの子の純真さには心が洗われる思いです」
さて、そんな呑気な話はよくて。と、ジャンセンさんはぱんぱんと手を叩いて真面目な顔を作り直した。
いけない、随分と関係無い話で盛り上がってしまっていた。
わざわざジャンセンさんにランデルまで来て貰ったのだ。その本題は…………本題は…………?
「うん、そういう平和な顔をあのちびに見せたかったんだと思う」
「どうしてもさ、俺や姉さん……それに、切羽詰まってる街にいる連中が相手だとさ、子供も荒むから」
「ちなみに、まだ何しに来たとかは話してないから、分かんなくても変じゃないよ」
「うっ……私の呑気さも何かの役に立つのなら、それも本望です……」
なるほど、マリアノさんらしい理由に思えてきた。
さて、もうエリーの話はこれで終わり。大体疑問も解決した。
ならば、ここからは緊張しなければならない話ばかりだ。
ジャンセンさんがわざわざ訪れたということは、大なり小なり北の調査で結果が出たということだろう。
平和な顔……というのをしていた私も、ずっと不貞腐れていたユーゴも、ジャンセンさんの前に背筋を伸ばした。




