第百五十八話【朗報とこれから】
宮での待機指示が出てから四十日が過ぎて、私の下に一通の手紙が届いた。
宛名はバスカーク=グレイム。洞窟の奥に住まう、かの吸血鬼伯爵からのものだった。
その内容は、国土の南部における調査の完了……とだけ書かれていたが、しかしこれほど分かりやすい一文も他に無い。
お願いしてあったチエスコ以南の街々の状況を確認し終えたということだ。
それを受けて、私はユーゴと共にまた洞窟を訪れた。
南の……私達がまだ到達出来ていない、最終防衛線の外の人々はどうなっているのか。
この数十日の待機によってなおのこと焦れていた心は、暗くて滑る洞窟の中でも足を速めた。そして……
「よぉーく来たであーる! 今日は朗報でもてなすのであーる!」
「っ! こんにちは、バスカーク伯爵。朗報……ということは、やはり……」
チエスコより南部――カンタビル、ブラント、オクソフォン、サンプテムの四つの都市の現存を確認出来たのであーる。と、伯爵は満面の笑みと最大の朗報を以って私達の訪問を出迎えてくれた。
これまでにも温かく迎えて貰ってばかりだったが、今日のこの時ほど喜ばしい歓迎は無い。
「その中でも、オクソフォンの街は凄いのであーる!」
「他の三つの都市と違い、海に面していない街でありながらも、魔獣の侵攻をほとんど寄せ付けていないのであーる!」
「どうやら、街そのものが武装組織として成立しているようであーる!」
「オクソフォンが……そうですか。ならば、バンガムかカンビレッジから急ぎ使者を送り、事情を直接伺いに参らなければ」
魔獣は海には生息しない。だからこそ、ウェリズの街は比較的安全な生活を送れていた。
そういった自然の加護も無しに、オクソフォンという街は完全に自立してこの状況を耐えてみせているという。
なんと……なんと頼もしく、心強い話だ。
この街の解放を……いいや。彼らにも協力をして貰えるのならば、特別隊も国軍も、ずっとずっと作戦を遂行しやすくなるだろう。
「それと、サンプテムから西、バス半島の様子もある程度確認済みであーる」
「こちらは予想通りと言うべきか、魔獣の数も少なく、街と街の交流も盛んなのであーる」
バス半島――この島国の南西端にある、長く突き出た角のような形の半島だ。
海からの脅威が少ないということは、つまりこういった地形が魔獣からの侵攻に遭いにくいということ。
それは最初から予想出来ていたが、しかし街同士の交流……つまりは経済活動まで健在だとは。
「喜ばしいのであーる! 南部の解放において、ナリッドのような重篤な都市はもう存在しないのであーる!」
「……喜んでいいのか、それって。頑張ってるってだけで、まだ解放出来たわけじゃないんだろ?」
そ、それはそうなのだけれど。
盛り上がる私と伯爵に冷静に水を差すユーゴの表情は、いつもよりやや険しいものだった。
まだ気は抜いちゃいけないんだろ? なら、はしゃいでる場合じゃないだろ。と、そう言われてしまったらしい。
「そち! よく言ったであーる! その通りであーる!」
「まだ油断は出来んであーる。まだ、解放になんの障害も無いと分かっただけであーる」
「解放に障害……って、魔獣が少ないから……か? それとも、魔獣に対して最初から対抗する手段がありそうだから……?」
それもそうなのであるが……と、伯爵は真面目な顔を取り繕って……しかし、笑みをこらえきれずにほおを緩め、にこにこと笑いながら私のそばで小躍りを始めてしまった。
踊りたくもなるというものだ、まったく。
しかし、ユーゴはまだ冷たい目をこちらに向けたままだから……こほん。
「ええと……ですね。魔獣が少ない、魔獣との戦いに参加出来る戦力が期待出来る……というのも、確かにひとつの理由です」
「しかし、それ以上に大切なのは、これらの大きな都市が、組織として成立するほど健在であったこと、なのです」
「……? だから、まだ大丈夫そうだったから、戦えるやつが多そうだって話だろ?」
もう、いつも冷静で思慮深いのに、どうしてこういう時は戦闘ばかりを心待ちにしてしまうのですか。
この話をジャンセンさんとした時には、ユーゴもそばにいた筈なのに。
「街の解放……と、言葉で言うよりもそれは単純ではないのであーる」
「防衛線の外にある街をまた国の中に収めようと思えば、経済の保証や、通貨の発行、流通なども欠かせないのであーる」
「しかし、街そのものが弱り切ってしまっていては、すぐに経済活動に組み込むなど不可能であーる」
「ナリッドの街でジャンセンさんが苦心していた部分ですね」
「解放には当然、人もお金も装備も膨大に注ぎ込まなければなりません」
「解放した街が弱っていれば、そこに兵を派遣する必要もあります」
「しかし、そのお金も兵も装備も、今の宮ではとても潤沢には準備出来ませんから」
解放に掛かる資金をどこから捻出するのか。
そして、解放した後の街にどれだけお金が掛かるのか。
人の命にかかわる話を前に、お金お金と言うのもはばかられるのだが……しかし、現実問題として立ちはだかるのだから仕方がない。
「……言われてみると……確かに、聞いた気もするな。そんなに金無いのか? なら、俺の飯代とか大変そうだな……」
「い、いえ、そのくらいは問題無いのですが……そうですね」
「経済活動には参加出来ない国民を何万……何十万人と保護する必要が出かねませんから。そうなると、食費だけでも破綻してしまうでしょう」
その場合は、食費よりも食料そのものが不足するだろうが。
戦うにしても、畑を耕すにしても、結局は人手が足りていない。
優先順位を付けるようなことではないと分かった上で、どうしても掛けた資金に見合うだけの成果が求められてしまう。
全ての街を解放するという最終目標に向けて走り続けるには。
「これらの都市には一度連絡を試みるとして、その上で先に北の解放を目指すべきだと進言するであーる」
「南はもはや解放出来たも同然。現時点で拒まれたとしても、国力が強まれば協力に応じてくれるようになるであーる」
「なんとかなってるとこはちょっとほっといて、それよりあの魔人の集いとかいうのを優先……ってことか」
その通りであーる。と、伯爵の表情から笑みが消え、声からも強く真剣みを感じられるようになった。
そう、ユーゴの言う通りだ。
あの魔術師の能力が判明した以上、もう手をこまねく必要は無い。
その為にジャンセンさん達が動いてくれているのだから。
「北については、特別隊に調査をお願いしています」
「あの魔術師の能力を考慮して、ジャンセン=グリーンパークを初めとした幹部を排した隊を編成して出発させました」
「誰かが操られた時、被害を最小限に抑える為の策であーる?」
「なんというか……フィリア嬢らしからぬ策であるな。それは、隊の誰かの指示であーる?」
私らしからぬ……か。それもそうだろう。
この策はマリアノさんの考案したものだ。
彼女やジャンセンさんを含む部隊を送り込んで、もしもふたりのような特別な力を持つ重要な戦力が操られてしまったら。
隊の全滅で済めば良い方。最悪の場合は、マリアノさんが操られて敵になってしまいかねない。だからこそ……
「……替えの利く人材による、犠牲を前提とした作戦……だと思いますか? 私は……私も、そうは思います。それでも……」
「……その者を……マリアノという少女を信頼しての決定なのであるな。ならば、我輩が口を挟むものではないのであーる」
……私は父の死を仕方のないものだと思っている。
けれどそれは、人の命を軽んじてのものではない。
過ぎたことを悔やまない、未来の為に邁進する。
そういった決意の形として、父も、五名の師も、もう終わった犠牲として切り捨てたに過ぎない。だから……っ。
けれど、悔しくても、マリアノさんが決めたのだ。
私などよりもずっと隊の皆に愛情を持っている筈の彼女が。なら……
「伯爵。お願いがあるのです」
「南の件、それにナリッドの件。これまで、それに今現在にも、貴方には多大な負担を強いてしまっているとは理解しています」
「それでも、貴方の能力に頼らざるを得ない部分がどうしてもあるのです」
「……北の組織、魔人の集いに関する直接の調査……であるな」
これまでは街の解放を優先してきた。
北に組織があると知ったのも、ジャンセンさん達を……盗賊団を調べている最中に、副産物としてのことだった。
だが、これからは組織そのものへと調査の手を伸ばす。
危険だと分かっている組織を相手にさせてしまう。
それでも、伯爵の協力はどうしても欠かせない。
「我輩はコウモリに指示を出すだけなのであーる。だから、我輩の身を案じる必要は無いのであーる」
「しかし……情報について、これまでのように正確なものが手に入るとは保証出来んであーる」
「はい。断片的なものでも構いません」
「皆の努力が一刻も早く実を結ぶように、ひとつでも早く手を進める情報が欲しいのです。どうか、よろしくお願いします」
伯爵はしばらく黙った後、分かったであーるとゆっくり頷いてくださった。
私はそれに、深々と頭を下げる。頭を下げることしか出来ないでいる。




