第百五十六話【事実上の三者同盟】
「――ふぅーむ、遂に勘付かれてしまったであるか。思うようにはいかんものであーる」
洞窟最奥の空洞、バスカーク伯爵の屋敷の中に、その主人の唸り声が反響する。
これまで秘密裏に進められていた私達と伯爵による調査だったが、その一端をジャンセンさん達に気付かれてしまった。
それを打ち明けたのだから、渋い顔をされるのは当然だろう。
「申し訳ありません。私の落ち度です」
「私がもっと優秀ならば……他者を出し抜けるだけの振る舞いをこなせたなら……」
「……いいや、フィリア嬢の所為ではないであーる」
「そもそもが難しい話……不可能に近い話であーる」
「人は情報を持てば、それに基づいて行動を決めるものであーる」
「同じ情報を持っている者同士ならば、いつかは気付いて然るべきであーる」
「それが警戒すべきものに対する情報であるのならば、なおのことであーる」
だから、謝ることではないのであーる。と、伯爵は笑ってくださるが……しかし、約束を違えたことには変わりない。
私はその言葉への感謝と、そしてもう一度謝罪の意味を込めて、深く頭を下げた。
「それで、その男はなんと言ってきたであーる?」
「協力関係の解消であるか? それとも、情報の共有であるか?」
「出来れば後者……今の形を維持する要求だと良いのであるが……」
「はい。ジャンセンさんは、共有しても良い情報が何かを伯爵と相談して、可能な限り特別隊にもそれを持ち込むように……と、おっしゃってくださいました」
「なので、伯爵の素性や居場所、他にもまだ伏せておくべきものがあれば、彼らの不利益にならない範囲ならば受け入れてくださるそうです」
私の言葉に……いいや、ジャンセンさんの言葉に、か。伯爵は目を丸くして驚いていた。
無理も無い。
あちらとしては、裏切られたと感じてもおかしくない一件だったのだ。
それを全て許すと言っているのだから、むしろこちらから罰を申し出たくもなる。
「ふむ。その男……ジャンセン=グリーンパークといったであるか」
「なかなかどうして、フィリア嬢に全幅の信頼を寄せているのであーる。もっとも、そうせざるを得ない事情もありそうであーる」
「そうせざるを得ない事情……ですか」
「その……確かに、彼らと協力関係を結んでから分かったことですが、かつてあった盗賊団は、私達が思っていたよりもずっと小さく、危ういものでした」
「国の後ろ盾が欲しい。資金的な余裕、活動の援助が欲しいというのであれば、確かに納得ですが……」
それだけではないであーる。と、伯爵は私を見てにんまりと笑った。
ええと……何か、私が彼らにしてあげられたことがあっただろうか。
今のところ……足を引っ張ってはどやされている覚えしか……
「打算によるものならば、当然落としどころを探すものであーる」
「しかし、そこに個人の感情が入り込めば話は別であーる」
「どういった感情かは分からんであるが、ともかくその男はフィリア嬢に好意を持っているのであーる。やはり、美人は得であーる」
「は、はあ……確かに、嫌われているようには感じませんでしたが、しかし……」
しかし、その実はどうなのだろうな。
やはり、先の前提がある。
ジャンセンさんにとって、私達は――国は、貴重な財源になり得るものだ。
これまでは盗賊行為の延長として扱われた街を守る行為も、私とならば大義名分を得られる。
そうであるならば、私に対して分かりやすい嫌悪感など向けないだろう。
もちろん、本心から私に良くしてくれているのだと信じているが。
「それに、フィリア嬢の抱く理想は人を惹き付けるものであーる」
「人は人を、顔や言動、行動でも理解するものであるが、同時に掲げた信念にも同じことが言えるのであーる」
「ならば、美しい言葉を使い、誠実に働き、そして国を守ろうという理想に向かう美人なフィリア嬢は、やはり人に好かれるのであーる」
「そんな……ふふ、ありがとうございます。伯爵にそう言っていただけるなんて、光栄です」
お世辞ではないのであーる。本心からの賛辞であーる。なんて、伯爵は少しはしゃぎながらそう言った。
美人……というのは……やはり、どうだろうな。
私の顔は……少し、怖い気がするから……
「おい、バカプリン。そんな話はいいだろ」
「アイツらに話していい情報……いや、話さない方がいい情報、か。早く決めないと、ここのこともバラすぞ」
「バスカークであーる……遂にはどこも合っていないようになったであーる……」
「そちは粗暴で物覚えの悪い、子供でなければ距離を置かれる人間であーる。今のうちに改善しないと、大人になった時に大変であーる」
私と伯爵の呑気なやり取りに、やはりユーゴがしびれを切らしてしまった。
だが、伯爵の言う通り、あまり失礼な態度ばかりを取っていては信頼されなくなってしまう。
もっとも、私と伯爵とジャンセンさん以外には、比較的まともな対応をするのだが。
どうしてパールやリリィにするように出来ないのですか。
「むぉっほん。それでは、そちの言う通り本題に戻るであーる」
「特別隊には、我輩に関する情報以外は全て話してしまって構わんであーる」
「そもそも、例の魔術師による情報の抜き取りを危惧してのことであったのだから、それが無いとなれば、もうどこにも問題は無いのであーる」
「意外と出し惜しみしないな、お前。もっとこう……交渉の為にいくつかは秘密に取っとけ……とか言うと思ってたのに」
我輩をなんだと思っているのであーる……? と、伯爵はユーゴに怪訝な目を向ける。
だが、ユーゴの言い分も理解出来る。それと同時に、伯爵の考えも。
「件のジャンセン=グリーンパークがフィリア嬢を警戒しているようなら、それもまた一考であーる」
「しかし、あちらが信頼を見せている以上、こちらが一方的に疑うのは無意味であーる」
「共有すべきはする、隠すべきものが無いのであれば全て晒す」
「駆け引きよりも、組織としての完成度を高める方が優先であーる」
「ふーん。信頼されてるからそれに応えた方がいい……じゃなくて、信頼されてるならそれは使った方がいい……って感じだな」
何故そう悪い方へ解釈を深めるのですか……
しかし、伯爵はユーゴの言葉に苦笑いで頷いて、何ごとにも計算は大事であーると答えた。
「もしも踏み込まれたならば、我輩の名前とこの場所くらいは喋っても構わんであーる。どうせ簡単には入り込めんであーる」
「そもそも、フィリア嬢が頻繁に出入りしている以上、この洞窟に何かがあるとくらいは誰にでも察しが付くのであーる」
「うっ……そ、そうですね。これからはもう少し秘密裏に訪れるように……」
だから、それは問題無いのであーる。と、伯爵は私にも苦い顔を向けた。
問題無いと言われても、俗世から離れて生活したいという伯爵の願いを妨げかねないのは事実だ。
兵士や馭者にはいつも他言無用と言っているが、それにも限度はあるのだし。
「我輩のことよりも、むしろ自分の身の回りに気を遣うのであーる」
「件の魔術師に顔を知られていた以上、あちらはもうフィリア嬢を明確に敵だと認識しているに違いないのであーる」
「北に近付かなければ安全とは言い難いのであーる。いかなる時も備え、気を引き締めるのであーる」
「はい、承知しました」
「次はまたウェリズへ……ジャンセンさん達に、今日のことを報告しに参ります」
「長期滞在は予定していません。その後はしばらくランデルに留まりますので、何かあればご連絡ください」
こちらも、次はきっと吉報を伝えたいものだ。
私達は伯爵に別れを告げて、そしてまた宮へと帰還する。
今回の報告で何かが大きく変わったり、前進したりということは無い。
だが、再確認によって身が引き締まったのは事実だ。
私達はまだ、北の組織についてほとんど知らない。
暗闇の中に潜むその正体を、まだ何ひとつとして見出せていないのだ、と。
「フィリア。宮に戻ったらちょっと話いいか?」
「カスタードはああ言ってたけど、隠した方がいい……っていうか、伝えるとややこしくなりそうな情報があると困るから、俺達で再確認しとこう」
「多分、そんなの無いだろうけどさ。一応、念の為」
「そうですね。もう一度整理することで見えてくるものもあるかもしれません」
「では、戻り次第…………そ、その前に一度、執務室へ寄っても良いですか?」
「しばらくぶりに戻りましたから、仕事が溜まっていそうですので……」
帰りの馬車に揺られながら、ユーゴは真剣な顔で提案してくれた。
彼も伯爵の話に気合を入れ直したのだろう。
その様子は、普段よりも更にぴしゃんと背筋が伸びて見えた。
そんなユーゴと共に宮へ帰り、そして私達はこれまでにいただいた情報の整理を始めた。
量は膨大……というほどでもない。
結局、伯爵の力を借りたとて、得られるものには限りがあった。
それに、その内の半分くらいは、あのゴートマンと名乗った魔術師についての推論だったのだから、仕方ないだろう。




