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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第二章【惑うものと惑わすもの】

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第百五十四話【未完の正義】



 このアンスーリァとは別の国、別の世界、別の生活を聞かされて、皆の目は子供のように輝いていた。

 それは、いつも目つきの悪いマリアノさんも例外ではなかった。


 マリアノさんすらも例外なく興奮させるもの――期待が、ユーゴの言葉の中には詰まっていた。


「……いやはや、本当かよ。フィリアちゃん、こいつデタラメふかしてるだけじゃないの? 本当にありかよ、そんなの」


「わ、私もたまに窺うくらいだったので、驚いてばかりですが……しかし、ユーゴがそんなつまらない嘘をつくとも思えません。ならば、これが真実なのでしょう」


 暗くて、頑丈で、物々しい砦の中で聞かされた話には、こんな武装拠点などどこにも必要のない、安全で清潔な生活が繰り広げられていた。


 これまで断片的に聞かされていた話とも辻褄が合う。

 彼の世界は、技術も文明も圧倒的に進化した後の世界だ。


「ここに存在しない技術について、ひとつとして理解出来るもんが無かった。俺としちゃこれが一番おっかねえわ」

「技術ってのは、需要の下に開発、進歩するのが道理。つまり、ユーゴの世界では俺達の知らないような関心ばっかりが広がってんだ」

「それは……お前、いくらなんでもシャレになんねえよ。どんだけかけ離れてんだ、そことここは」


「だから、大体全部違うって言ってるだろ」

「この力が無くて、ただ観光に来てたんだとしたら、多分……三時間で飽きてた。いや、二時間かも」


 ううっ。そんなにも魅力の無い国だったのですか……なんて、今更怯むことも出来ない。


 戦いにばかり彼が興味を抱くのは、それ以外の娯楽らしい娯楽の全てが古臭いつまらないものに見えたから。

 彼の世界が安全で平和なものである反動か、そこに無い魔獣という脅威に興味を示したというのも、頭の痛い話だが納得も出来よう。


「……ま、でもちょっとはやる気出たわ。人間、がんばりゃそこまでは行けるのな」

「正直、先が見えないと言うかなんと言うか、これまで生きてて本当にこの地獄は終わるのかって不安はあった」

「でも……いつになるかは知らないけど、ちゃんと平和が来るんだな」


「……ここが平和になるかどうかは、あの世界とは関係無いだろ」

「ずっとこのままって可能性もある。俺はずっと戦ってたいからそれでいいけど」


 よくない。よくないのですよ、それでは。

 ユーゴは妙に張り切って発言するが、いつまでも魔獣に脅かされる生活など誰も送りたくないのだ。


「けど、動物園とかあるしな。危険な動物も飼育したり展示したりするようになったわけだし、魔獣ともなんだかんだ馴染むんじゃないの?」

「蚊とかハエとか、うざいだけの虫は向こうでもまだいたし」


「羽虫と同じ被害で済むならほっといてもいいけどよ、そうじゃねえからお前も俺達もやっきになって戦ってんだろうが」

「はあ……なんか、ちょっとずつお前のこと理解し始めた気がするわ」

「基本はフィリアちゃんと同じなんだな。ものごとの判断基準が俺達と違い過ぎるんだ」

「良くも悪くも、デカいもんを見過ぎてるんだよ」


 違う! 全然違う! 一緒にするな! と、ユーゴは立ち上がってまでジャンセンさんの言葉を全力で否定した。


 その……すみません、泣いてしまうかもしれない。

 普段から私を守ってくれている、心配してくれているという前提は理解した上で……ユーゴはいったい、私をなんだと思っているのだろうか……


「同じだよ、指標がズレてるってとこについては間違いなく」

「んで……結果として今日分かったのは、フィリアちゃんの方がぶっ飛んでて、ユーゴの方がまだマシだってだけだな」

「本質は同じ、頭おかしいやつだ」


「っ!? そ、そろそろ聞き捨てなりませんっ」

「確かに、私の行動はとても論理的でない場合もありますし、倫理観の欠如についても自覚はあります。ありますが……」


 それでも、きちんと良識に沿って行動しようという意思はあるし、国の目指すべき形を見誤ったつもりもない。

 私がそう反論すると、ジャンセンさんは大きく大きく頷いて……そうじゃなくてね。と、優しく私の肩を叩いた。


「これまでの行動が、さっきの話が、全部自覚あった上で……ってのが一番ヤバいよ、フィリアちゃん。一回冷静になろう」


「っ⁈ そ、そんな目で見ないでください……まるで気狂いを諭すような、そんな……」


 気は狂ってるだろ。と、マリアノさんにまで追撃されてしまった。


 自己の倫理観の破綻、その前提あっての良識的な行動、しかし結果として浮き彫りになる常識との齟齬が、どうやら私を奇妙な人間に仕立て上げているらしい。

 まじめに頑張っていることが悪いと言われた気分だ。知りたくなかった……


「まあでも、そこも強みではあると思うよ、フィリアちゃんの」

「狂人、変人。言い方を変えるなら、向いてる方の違う人」

「大きな組織だからね、国なんてのは。画一的な思考じゃ絶対に行き詰まる、どっかで破綻する」

「狂ってようが何してようが、常識に首を傾げられる人間は大事だよ」


「ほ、褒められている気がしませんが……しかし、その論には私も同意します」

「その……宮には思考の凝り固まった人間も多いので」


 ならば、私のこの狂人ぶりも適役……なのかもしれないな。

 或いは、伯爵のような浮世離れした人物だからこそ、私達には予想もつかない手段で情報を仕入れられているのかもしれない。

 そうと考え始めたら、言われてばかりなのも多少は苦ではないか。


「姉さんだってそう思うよね? 組織には変わったやつが必要だ……って、そもそもは姉さんの教えだしさ」

「だから、なるべく出身の遠い、経験の異なるやつらを幹部に据えたんだし」


「程度ってもんはあるけどな。うちにいるバカどもなんざ比にならねえよ、そこのイカレ女は」


 前言を撤回させていただきたい。

 もう、かれこれずっと悪口を言われている気がしてくる。


 しかし、そろそろ拗ねたふりでもしようかと思った頃には、誰かしらからのフォローが入る所為で、いまいち怒るに怒れないでいるのも事実。

 ここまで見事にもてあそばれているのだという自覚を持てるのは、それだけ皆が人心の把握に長けているからなのか。それとも……


「……おい、クソガキ。まあなんとも楽しそうな話の最中で悪いが、一個だけ確認させろ」


「別に楽しくはないけど……なんだよ。スマホならこっちじゃとても作れそうにないぞ?」


 見たことも無えモンに縋らねえよ。と、マリアノさんはため息をついて、しかしどこか真剣な表情でユーゴと向き合っていた。

 ついさっきまでの和気あいあいとした空気は少しだけ横に退けて、私もジャンセンさんも、もちろんユーゴも真面目に彼女の言葉に耳を傾けた。


「……テメエ、その世界で死んだんだよな」

「それはあれか? その歳で……今のテメエと変わらねえ歳の頃に死んだってことでいいんだよな」


「えっ……ま、まあ……そうだけど……」


 ふう。と、マリアノさんは小さく息継ぎをして、ゆっくりと顔を伏せる。


 そう……だな。そうだ。

 ユーゴはこの歳で亡くなったらしい。

 そして、亡くなったからこそ、こうして屍術による召喚に応じてくれた。


 それは先に説明した通りだが、そこにまだ疑問があるのだろうか。


「……それは、お前が特別なのか?」

「奇病に罹った、不慮の事故に遭った。どこにも誰の意図も無い、偶発だけが生んだ死……なのか?」

「詳細は答えなくていい。お前の死は、その世界では当たり前のものだったのか?」


「……俺の……死……? 当たり前……っていうと……」


 マリアノさんは顔を上げて、これもまたゆっくりと、間違えないようにゆっくりとユーゴに問いを投げた。

 自分の意図が間違って伝わらないように、悪意などが混入して聞こえるような事態にならないように、と。


 慎重に慎重に選んで紡がれた言葉は、ユーゴの死因についてのものだった。


「お前と同じような死に方をするやつは他にいるのか」

「お前と同じような歳で、偶発以外の理由で死ぬやつはいるのか」

「早い話が、戦いに巻き込まれて死ぬガキはまだいるのか……って、聞きたいだけだ」


「……戦いに……は、俺の住んでたとこではあり得なかった」

「でも……違う国でなら、あったらしい。習った程度だから、見てはないけど」

「あと……事故とか病気以外で死ぬ子供って意味なら、多分どの国にもそれなりにいた」


 魔獣と戦ったりはしないけど。と、そう付け加えて、ユーゴはマリアノさんの問いへの答えとした。


 ユーゴの住んでいた国は、特別平和な国だったのだな。

 しかし、まだそうではない国もある、と。


 そして……何かしらの意図が介入した子供の死は、そんな平和な国にもあった……か。


「……チッ。そうか、心底がっかりしたぜ」

「そんだけ甘っちょろい世界になっても、まだガキが殺されてんだな」


 マリアノさんはやや暗い顔でユーゴに頭を下げた。

 嫌な思いをさせた。と、謝罪の意味を込めているのだろう。


 それと同時に、言葉通りの落胆も窺えた。

 本気でがっかりしているのが私にもよく分かった。


「……なんか、正義の味方みたいなこと言うな。似合わないぞ」


「バカ言ってんな、クソガキ。この国に正義なんてもんはとっくに無えよ」

「国が街を捨てた時点で、そんなモンは消えて失せてんだ」


 ユーゴの言葉にマリアノさんはそう吐き捨てて、そして私に視線を向けた。

 まるで睨まれているみたいに鋭い眼付きだった。


 けれど、それは私を――国を責める意図のものではないと、すぐに分かった。


「……はい。この国に、貴女の言う正義を取り戻す。それもまた、民を救うということです」


 正義を――社会的な善性を、人が人を守るという当然を、彼女は心から求めている。


 ユーゴの住む世界にすらまだ無い完全な正義を、きっといつかはこの国が手に入れられるように。

 私はこの狂った自己と付き合いながら邁進しよう。

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