第百五十三話【理解は難しいけれど、夢のような話】
「……ちょっ…………と、待ってね。えーっと……」
「あの、いっぺんに理解しようとしなくても……難しい話ですし、それに……信じがたい話でもありますから……」
砦の会議室の中で、私はジャンセンさんにユーゴの全てを打ち明けた。
そう、全て。
召喚術式のこと、それを基に組み上げられた召喚屍術式のこと。
ユーゴに付与された能力のこと、その進化条件のこと。
そして……私が知る範囲の、ユーゴの元いた世界の生活のこと。
部屋の中にはもう冷たい空気なんてどこにも無くて、ジャンセンさんのうめき声だけが反響していた。
「……召喚術式ってのは理解した。ごめん、嘘。そういうもんがあるとは納得出来た。屍術……ってのも、まあ腹に収めた」
「正直、フィリアちゃんみたいな子がそんなもん本当に出来るの……って疑問はあるけど、それも飲み込んだ。で……だ」
だ。と、言葉の最後を数度繰り返して、ジャンセンさんは視線を机の上と天井とを行ったり来たりさせている。
しばらくそうして考え込んで……ゆっくりとその顔をユーゴへと向けた。
信じられないといった面持ちなのは、それを見る前から分かっていた。
問題なのは、何が信じられないか、だ。
「……このチビガキが特別な力を持ってることに、違和感が無かったわけじゃない」
「だけど、だからってここまで特殊な出自と言われても納得出来ない」
「だって、何も違わないじゃないか。どこをどう切り取って見ても、ただの人間の子供にしか見えない」
「子供じゃない、殺すぞこのクズ」
「別に、人間なことには変わりないだろ。この身体が何で出来てるとかは……俺もさっき聞いたばっかりだから、あんまりちゃんと考えてないけど」
「もともとは普通の人間として生きてたんだから、人間だ」
そう言われるとこっちはもう何も言えねえんだよ。と、ジャンセンさんは肩を落としてしまった。
ユーゴが自分を人間だと言うのなら、それを周りが否定など出来よう筈も無い。
もっとも、彼を人でないものとして扱おうなんて考えは、ジャンセンさんの中には初めから無かったように思えるが。
「んで……なんだっけ……えっと……一番強い力……なんかちょっと違うな、ニュアンスが」
「この世界で最も強い……と、私は式にそう付け加えて、ユーゴの肉体にその特性を付与しました」
「いえ、その……あまりに漠然とし過ぎている、と。今ならばもう少し細かく条件を定めて式を組み上げられたでしょうが、その頃には余裕も能力も無かったものですから」
最も……というくくりも、どこからどこまでを包括しているのか分からない。
強いという指標もまた、何を以って強者とするのかが定かではない。
あまりにも曖昧な条件式によって得られた力は、想像出来る範疇の行動ならばなんでも出来るという、大雑把に条件を満たしてしまえる能力だった。
その理不尽さもまた、ジャンセンさんを苦しめているらしい。
「姉さんがあんなになるまでに、どれだけの鍛錬を積んだと……はあ。いや、そこはいいんだ」
「姉さんは強い、けど絶対に誰にも負けないとは限らない。それは最初から理解してた」
「だから、お前が乱雑に姉さんを超えていくのはいい。けど……」
「けど……なんだよ。もっと苦労しろとか言うのか? やだよ、めんどくさい」
「大体、他人の成功に苦労を強いるのは、無能なバカのすることだぞ」
どこで覚えて来るんだ、そんな言葉。と、ジャンセンさんはまたがっくりとうなだれる。
ユーゴの言葉は、元の世界で習った――優れた師に教わったものだろうか。
発達した世界と言っていたから、私達では想像出来ないような部分で学びを得るのかもしれない。
書物で得るよりも更に効率的で、ユーゴのような幼い子でも理解しやすい手段があるのかも。
「……裏付けが無いのはいただけねーな、やっぱ」
「イメージするだけでそれに届くってのは、まあなんとも夢のようなお話だよ」
「でも、そこには裏付けが無い。自分で納得出来る理由が無いんだ」
「お前が嫌だって言う努力も、それはそれで大事なんだよ」
「努力に裏打ちされた自信があれば、いざという時に迷わなくて済む」
「いざという時なんて来ない。もう散々隙を突かれたからな、何されても驚かない。驚かなかったら、俺なら絶対間に合う」
その言葉自体は頼もしい限りだ。
しかし、ジャンセンさんの言にも一理ある。
極限の状態で咄嗟の判断を迫られた時、人は培ったものでしか決断を下せない。
結果……私は魔術という手段を用いた。
政治などはまともに学んでいなかったから、数少ないとりえと呼べるものに縋ってしまったのだ。
「……ま、そうだな。今のお前が咄嗟の判断を要求される時なんて、一生来ない可能性の方が高い」
「失敗を経験してるなら、それを忘れない限りは備えるもんだ」
「けど、だからって来ないとも限らないからな」
「姉さんに言って鍛えて貰ったらどうだよ。技術があれば、その能力にだけ頼らなくても済むぜ?」
「マリアノに何を習うんだよ。俺の方が強いのに」
そうじゃなくて。と、ジャンセンさんは頭を掻いて困ってしまった。
ふたりの言い分はどちらも理解出来る。
それに、争っているわけでもない。
だが、どうもユーゴは、ジャンセンさんの言うことを素直には聞きたがらない節がある。
その所為で話が前に進まないのはいかがなものか。
「はあ。ま、そのうち自分で気付けよ」
「努力は嘘つかないからな、やったらやった分だけ自信は身に着くんだ。成果と結果は保証しねえけどな」
「結果が出ないなら意味無いだろ。このアホ」
短い言い争いはすぐに終わって、ジャンセンさんは席を立って部屋を出て行ってしまった。
ただひと言、ちょっと待っててとだけ言い残して。
「マリアノさんを呼んでくるのでしょうか」
「まだあの魔術師についての話も途中でしたし、これからの調査についても相談しなければならないことが山ほどありますから」
「知らないよ、便所だろ。それか言い負けて逃げただけだ」
もう、どうしてジャンセンさん相手だと冷静さを失ってしまうのですか。
砦へ到着したばかりの時、そして話を始めたばかりの時にはやや怯えた様子もあったのに、今となってはもうすっかりいつも通りだ。
むすっと不貞腐れて、先ほどまでジャンセンさんが座っていた席を睨み付けている。
ちょっと。という言葉に偽りなく、ジャンセンさんは僅かな時間で戻って来た。
その隣には、やはりマリアノさんの姿があった。
それと、同行してくれた若者ふたりの姿もあって……
「よっしゃ、そんじゃ色々聞かせてくれよ、ユーゴ。お前の世界とやらについて」
「あの変な女の話とか、林の調査とか、なんか……フィリアちゃんのヤバそうな話とかは一回忘れようぜ。いやもうマジで、頭痛いんだわ」
「……俺の世界の話? そんなの聞いてどうするんだよ」
どうもしなくても気になるだろうが。と、ジャンセンさんは悪い笑みを浮かべてユーゴに詰め寄った。
もしや……いいや、間違いなく、か。
ユーゴの知る知識……技術、文明、科学を用いて、解放した街を効率的に復興していこうと考えているのだろう。
もちろん、自分の能力の向上や利益もそこには含まれているだろうが。
「お前の普段の生活……あー……この世界に来てからの生活と、前の生活とだと何が一番違う?」
「パッと思い付くもんで、無いものとあるものの差を教えてくれ」
「差……って、いっぱいあるぞ。っていうか、大体全部違う」
「宮みたいにデカい家に住んでたわけじゃないけど、街にある家よりは大きくて綺麗なとこに住んでた」
「っていうか、この世界の家は割と汚いのばっかだからな。潔癖症だったら宮から出なかったと思う」
ううっ。き、汚いのですか、この世界は……
しかし、文明の進歩と衛生の向上は比例するものだと思えば、それも当然なのか。
しかし……ううん。
この国の生活様式、文化は、魔獣という脅威によって荒らされてはいるものの、衛生という観点ではかなり進んでいるものだと自負していたのだがな。
他国に比べて、疫病の発生は劇的に少ないし。
「食べるものも違うし、飲むものも違う。っていうか、着るものも全部違う。もっと美味いし、こんなごわごわしてないし……」
「あー、違う違う、そうじゃない」
「そりゃ文化圏が違うからな、食うもん着るもんは違うなんてのは想像出来る」
「そうじゃなくて、もっと根本的な……この世界には全く無いものとかさ」
「逆に、お前の知る世界には無かったものとか」
「ここが変とかじゃなくて、もっとばっさり、あるか無いかで違うもんを教えろよ」
めんどくさいな、いちいち。なんて悪態をつきながら、しかしユーゴは真剣に考え込み始めた。
なんだかんだと真面目に取り合うのは、彼がそういう性格だからかな。
押されると断れない、それに基本的には面倒見がいい。
だから、請われれば応えたくなるのだろう。
「こっちに無いもの……は、もう多過ぎてちょっとめんどくさい。でも、向こうに無いものなら簡単だ」
「魔獣と、それと戦うこと」
「フィリアが言ってる魔術ってのも無い。話の中には出て来るけど、そんなの現実には存在しなかった」
「げっ、魔獣いないのかよ……はー、そっちに生まれたかった」
「いやしかし……そうなると、お前もまた大変だったんだな」
「いきなり呼び出されてみたら、なんかヤバい生き物うじゃうじゃいる世界だった……ってことだろ?」
いつの間にか、ジャンセンさんの表情は子供のようになっていた。
それを相手するユーゴもまた、少し背伸びをしているけれど、やはり子供のように楽しそうなものだった。
そんなふたりが中心になって、部屋の中では秘密のおとぎ話が繰り広げられる。
この世界には無い、ユーゴだけが知る夢のような世界の話が。
気付いた時には、若者達も、私も、遂にはマリアノさんまでもがそれに夢中になっていた。




