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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第二章【惑うものと惑わすもの】
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第百五十話【打ち明ける】



 日が昇ればすぐに、私達は宿を出て砦跡へと向かった。

 例の魔術師について、一刻も早く情報を共有しなくては。


 そして、次こそは林の奥にあるものを突き止める。

 可能ならばそのまま北へ――更に更に北へ、最終防衛線の外側へと突き進みたい。


「おはようございます。フィリアです」


「だから、その挨拶……いや、まあいいか」


 こんこんと分厚いドアを叩いても、きっと中にはあまり聞こえないだろう。

 それでも、やはり礼は尽くしたい。不要な、無駄なものであっても。


 この場所は確かに、現在も頑張っている皆の戦う場所なのだから。


「今朝は早いな、デカ女。ジャンセンならまだ寝てるぜ」


「おはようございます、マリアノさん。ジャンセンさんはまだお休みでしたか」


 急用なら叩き起こすが、どうする。と、マリアノさんはもうそうするつもり満々で指をバキバキと鳴らしていたが、しかし昨日の今日だから……


「いえ、まだ休んでいらっしゃるのなら、もうしばらくゆっくりしていただきましょう」

「昨日は大変なことが起きましたし、それにジャンセンさんはずっと忙しくしてらっしゃいますから」


「大変なこと……ねえ」


 少なくとも、精神的にはかなり参っている筈だ。それを急かしてはいけない。


 無理をすれば、あの魔術師の能力が更に危険なものになりかねない。

 私の推測通り、心を弱らせて付け込む魔術なのだとすれば。


「……昨日は珍しくあのバカが報告をサボりやがったんだ。何があった」

「まさかとは思うが、アイツがヘマして勝手にへこんでるだけ……なんて間抜けな話は無えだろうな」


「ええと……その件について、ジャンセンさんにも知っていただきたいことがありまして」

「それから、昨日同行していただいた二名にも」


 皆が揃ってから、順を追って説明します。と、そう伝えると、マリアノさんはやや不満げに私とユーゴとを見比べた。


「……おい、クソガキ。昨日……じゃ、ねえな。今朝、何があった。随分おとなしいじゃねえか」

「それに引き換え、女王様は随分勇ましいツラしてやがる。なんだ、中身が入れ替わりでもしたか?」


「……っ。入れ替わってはないけど……フィリアはちょっと変わった気がする。変えようとしてるみたいなんだけどさ」


 ユーゴの言葉に、マリアノさんは感心した様子で私を睨んだ。


 私の変化が隊にどのような影響をもたらすのか、じっくりと見極めようとしているのか。

 それとも、私の変化の所為でジャンセンさんに何かがあったのでは……と、懸念しているのかも。


「ま、どっちにせよ全員揃わねえと話も出来ねえわけだな。なら、あのバカ叩き起こしてくるさ。休ませるのはその後でも構わねえだろ」


「あっ、ら、乱暴はダメですよ。本当に昨日は大変だったのです。出来るだけ穏便に……」


 出来ればな。と、マリアノさんはそう言って、それはそれは楽しそうに口角を釣り上げてどこかへ向かってしまった。

 きっとジャンセンさんの寝室だろう。


 だがその表情は、魔獣を前にしている時のものによく似ていた。


「……ジャンセン、無事に起きれるといいな」


「え、縁起でもないことを言わないでください。マリアノさんも加減はしてくださいます」


 きっと。


 しかし、不安は別にある。


 マリアノさんがどうこうではなく、ジャンセンさんの受けた精神的なダメージがいかほどか、私では推し量れない。

 思っていた以上に……という話があれば、当然しばらくは一切動けないものとして考えることも視野に入れるべき――


――さっさと起きろ――このクソボケがァ――ッッ!

 と、まるですぐ近くで大砲でも発射したのかと思ってしまうような怒号が砦の中に響いて、私もユーゴも思考能力と言葉を一瞬で失ってしまった。

 い、今のはマリアノさん……?


 そうしてふたりでやや怯えながらわたわたしていると、右の頬に大きな痣を作ったジャンセンさんと、まだどこか不満げな顔のマリアノさんがすぐに現れた。

 ら、乱暴はダメと言ったのに……


「お、おふぁよ、ふぃふぃあひゃん。ねえ、あねふぁん。ふぁんふぇこんふぁふぃふぁふまふぇふぁぐったふぉ?」


「アァ? 何言ってっか分かんねえよ、殺すぞクソボケ」


 何を言っているのか分からないのは、腫れあがった頬が唇の動きを阻害しているからだと思うのだけれど……


 そんな文句など一切受け付けないといった面持ちで、マリアノさんはジャンセンさんの背中を蹴っ飛ばす。

 さっさと話を進めろ……と、そう言いたいらしい。


「え、ええと……ジャンセンさんが喋りづらそうなので、私が進行しても良いでしょうか?」

「何かあれば、都度頷くか首を振るかしていただければ……」


「ふぁふふぁ、ふぃふぃあひゃんふぁやひゃひいふぇ」


……すみません。何を言っているのかが全く分からないのです。


 しかし、ジャンセンさんは私の提案に首を縦に振ってくださった。

 では……こほん。私が進行を務めて、それに対してジャンセンさんは首を振ることで理解不理解を伝えるということで。


「ええと……まずは昨日の件をマリアノさんにも知っていただく必要があるかと」

「他の若者達には……出来れば秘密にした方が良いでしょう。混乱やパニックを避けたいので」


「ん、分かった。お前ら、聞いてたな。さっさと散れ、今すぐに」


 今すぐに。と、マリアノさんが手を払うしぐさをすると、部屋の入口の辺りでばたばたと足音が聞こえた。

 どうやら、ジャンセンさんの様子に不安がっていた隊員が聞き耳を立てていたらしい。


 もっとも、その不安が昨日の様子によるものなのか、たった今見せた姿によるものなのかは分からないが。


「こいつらは昨日いたから良いんだよな? ま、目の前で起こったこと隠されてもな。余計に不安になるばっかりだ」


「そうですね。そちらのふたりには、きちんと聞いて、理解して、その上でそれを他言しないようにしていただければと思っています」


 分かったな。と、マリアノさんが睨む先には、昨日同行してくれた若者ふたりの姿がある。

 そして、もう部屋の外には誰の気配も無いとユーゴが教えてくれた。

 なら、ここからが本題だ。


「……ふぅ。私達は昨日、北にあるという組織のひとりと思しき人物に遭遇しました」

「女性の魔術師で、その人物は人心を操る術を持っていました」


「人心操作……印象だの振る舞いだのの話じゃなくて、魔術による強制的な認識の上書きか」

「報告は上がってる、北の戦線じゃよく聞く現象だ」


 やはり、その点まではマリアノさんも知っていたのだな。


 だが、その目撃情報は北の戦線……つまり、ここから更に遠い場所でのものばかりだった筈。

 ともなれば、当然動揺も生まれようところだ。


 それを、マリアノさんは少々の苛立ちを見せながらも、冷静さを欠くことは無かった。

 流石といったところか。


「その魔術師について、私達はとある情報筋を頼りに調査をしていました」

「といっても、その者が北の組織に属していること、そして人心を操作する魔術を扱う女性の魔術師であることくらいしか知りませんでしたが」


「言ってたな、どっかから情報を受け取ってるとは」

「しかしまあ、前線に立ってるオレ達と同じだけの情報を得られてるんなら、それなりに諜報能力の高いやつなのか」

「それとも、うちに情報を横流ししてるバカがいるのか」


 バスカーク伯爵とかつてあった盗賊団との関係は……どうだろう。きっと無関係だとは思う。


 しかし、彼らはかつて、コウモリのシンボルを使っていたことがあった。

 故に、コウモリを使役する彼との関係を疑ったこともあったが……結局のところ、それも分からないままで済ませてしまっていた。


 思い返すと、私達はずさんな計画の上に危険な橋渡りをしてきたのだな……


「こほん。その人物については、先日の決定通り一度話し合ってから皆さんに報告をさせていただきます。さて、本題に戻らせていただきますね」


 本題。それは、例の魔術師の能力について――その能力のおおよその全貌、そして抜け道について、だ。

 私がそれを告げれば、マリアノさんもジャンセンさんも強い関心を持って食いついた。


「人心を操作する……とだけ聞かされていた魔術ですが、直に体験することでその仕組みは理解出来ました」

「あれは、人の嫌な記憶を引きずり出し、それを共有することで、心を弱らせそこに付け込む準備をするというものだと思われます」


 それと同時に、弱った心に毒を差し込む魔術も並行することで、精神を完全に隷属させてしまう。

 ふたつか、或いは記憶を覗き見るものが別なのだとすれば、三つの魔術を併用した高度な技術なのだろう。


「おそらくですが、ジャンセンさんやマリアノさんのような、精神的に強い方ほど、その危険に晒されやすいかと思われます」

「あの時は……たまたま、最も耐性のあった私が標的になったので、全滅するという最悪の展開は免れましたが……」


「ァア? オレとこのバカは耐えられねえのに、デカ女は耐えられるったぁどんなカラクリだ」


 ええと……それについての説明もしなければならないな。

 だが、それよりも先に……


「すみません、マリアノさん。その疑問はもっともです」

「ですが、それに対する解答よりも先に、ひとつだけ明示しておかなければならないことがあるのです。そちらを優先させてください」


「順番はなんでもいい。聞いてやるからさっさと話せ」


 そう、優先すべきは私が耐えられた理由ではない。

 耐えた結果見えた、あの魔術の限界――警戒しなければならない境界を、指揮官であるこのふたりに共有しておかなければ。


「まずひとつ。あの魔術による支配は、時間が限定されている」

「一度使役したからといって、遠距離での支配は不可能でしょう」

「そして、同時に支配出来る人数の上限は分かりませんが、ひとりずつに術を仕掛ける必要があることも確かです」


 これの証明は簡単だ。


 遠距離での支配が可能ならば、わざわざあそこで姿を現す必要は無かった。

 それに、一度目に私が昏倒した際には、支配の魔術は掛けられなかった。


 あの時ならば、私も無抵抗だった筈だ。

 だから、離れた場所から支配出来たならば、あそこでもう全てが終わっていただろう。


 しかし、そうならなかった。


 人数についてはもっと簡単な理屈だ。


 あの時、私だけを支配しようとしていた。

 一度に複数人へ術を掛けられるのならば、最初からそうすれば済む。


 しかし、そうしなかった。

 ならば、不可能なのだろう。


「そしてもうひとつ――支配の準備段階での魔術、悪夢を見せる魔術についての穴も判明しています」

「これは、嫌な記憶だけを引きずり出すものでしょう」

「つまり、私達の記憶を覗いて、こちらの情報を全て抜き出す……という使い方は不可能かと思われます」


「……最悪の想定はしなくていい……ってことか」

「そりゃありがてえが、しかしその理由は。そっちについては、支配の為にそれしかしなかったって可能性もあるだろ」


 いいや、それは無い。

 同時にいくつもの記憶を覗けない……というのならば、複数人を同時に相手することも不可能だろう。

 だから、しなかったという線は極めて薄い。


 それに、支配するよりも情報を抜き出すだけの方がリスクも少なくリターンも十分だ。

 それでは終わらない……となれば、出来ないと考えるのが筋。


「そして、私はそれを決定付ける証拠を掴んでいます」

「単純ですが、しかし通常ならば考えられない状況こそが、この魔術の性質を明らかにしました」


「つうひょうなりゃば……考えられにゃいふぉうひょう……?」


 そう、普通ならばあり得ない。


 あの魔術は絶望の瞬間を切り出し、その傷口を抉るもの。

 ならば、その直後――地続きの記憶に、奇跡的な幸福や希望がある可能性は極めて低い。


 だが、私には――あの時見せられた三つの記憶の中のひとつだけには、その瞬間が訪れるのだ。


「――魔術師に見せられた記憶の中に、絶望が希望に転換する瞬間のものがありました。しかし、それは直前には消え失せたのです」

「私に希望を持たせない為……ではありません。それならば、初めから見せなければいい」

「しかし、そうしなかった。それは、出来なかったからに他ならない」


「絶望が希望に……まあ、そうある話じゃ無えわな。だが、根拠に欠ける」

「記憶はその魔術師にも共有されンだろ? なら、その気配を察知したから回避した……と考えるのが筋だ」

「引き出す記憶を選べないとなりゃ辻褄も合う」


 いいや、それはあり得ない。

 何故なら、その状況を理解出来るものが、私以外存在し得ないからだ。


 私の言葉に、マリアノさんは肩を竦める。


 そんな筈は無い。どんな事象であれ、絶望の形には限りがある。希望にも限度がある。

 心境をも読み取れるならば、当然理解出来ない希望などあり得ない、と。


 そう、そうだ。通常ならば――だ。


「いいえ、あり得ません」

「何故ならば、その瞬間の記憶――私の行動は、その転換までは完全なる絶望の中にありました」

「そして、それが裏返らないとする根拠も、あの魔術師には覗かれています」


 同じように、私は屍術による失敗で心を砕かれた。


 それ以上の対価を支払ったとて、それは成立し得ない。

 それは、あの魔術師ほどの技量ならば簡単に看破出来るだろう。


 だからこそ、その術式には辿り着けない。

 誰も知らない――私だけが紡いでしまった、最悪の式には――


「――私が見た記憶、それは――五名の師を葬り、召喚屍術式を起動する瞬間のもの――」

「師を、師の尊厳を、あらゆる魔力をなげうち、無に帰す行為。それが希望に転換する瞬間は――」


――ここにいるユーゴの姿を見るその時までは存在しない――

 ユーゴの召喚成功を以って、私の絶望は希望へと転換された――


 その言葉を理解するまでの数舜、部屋の空気はしんと静まり返っていた。

 けれど、それをおふたりが飲み込んだ時、まるで沸騰した鍋のような激しい揺らぎが私達を包み込んだ。

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