第百四十八話【狂気】
「あ、あの……ユーゴ……? どうなさったのですか……?」
ヨロク北方、魔獣のいない林の中で、私達は件の魔術師と遭遇した。
心を操る――と、そう考えられていたその力は、人の記憶を――嫌な記憶を無理矢理掘り起こし、共有し、弱みに付け込んで意思を支配する……というものだったのだろう。
それを、私は自ら体感した。
「ジャンセンさんも……な、何故私を見るのですか。今は私よりも……」
けれど、私はそれに屈しなかった……らしい。
理屈も道理も分からないが、ともかく何ごとも無くこうして立っている。
自分の意思をきちんと保てている。
それは良い。それは、だが。
「――フィリア=ネイ=アンスーリァ――っ。お前は――お前は人の子ではない――っ」
「そんな精神性を――気の狂ったお前を――私は人とは認めない――っ!」
お前は人ではない。そう告げたのは、青筋を浮かべて私を睨み付ける魔術師だった。
先ほどまで術の不発に動揺していた筈だったのに、今ではもうすっかり冷静に……いいや。
これもまた、狂乱状態であるのかもしれない。
あまりに強い怒りが、憎しみが、私に向けられているのが窺えた。
「――フィリアちゃん。今の話……っていうか、さっきまでここにあったであろう話、ちゃんと聞かせて欲しい」
「俺の聞き間違いじゃなかったら……だけどさ。フィリアちゃんは……お父さんの……先代国王陛下の死をなんとも思ってない……って、そう聞こえたんだよね」
「流石に……これはあれだよね。フィリアちゃん特有のボケ……だよね。言葉選びが変っていうか……」
「っ⁈ こ、言葉選びが……」
そ、そんな風に思われていたのですか……
しかし、ジャンセンさんは引きつった顔で私を見ている。
捕らえるべき魔術師ではなく、私を。
ならば、この一事はそれほどまでに重要だ……と、そう考えているのか。
「……はい。私は父の死を――前王の死を、重大なこととは捉えていません」
「いえ、もちろん、王の死というものは重く捉えています」
「けれど――現在、この時点において。十年以上前に父が没したという過去は、重大ではないと考えています」
「――っ。それは……それはさ、その……王様として……だよね」
「今はフィリアちゃんが女王として国を治めてる、治められてる」
「だから……結果としては、前王が今この瞬間にいないことは、とりあえず問題になってない……って、そういうこと……だよね?」
そう、その通りだ。良かった、伝わっていた。
言葉選びが奇妙だ。と、そう言われてしまったから、私の真意は届いていないものかと思ってしまった。
しかし、これまでのやり取りは……どうだろうか。
パールやリリィとも、一度しっかりと話し合いの席を設けなければ……
「――それはさ――っ。女王としての考えであって……フィリアちゃん自身はつらいよね? 悲しいよね?」
「だって、王様が……いや、お父さんが亡くなったんだ。それをほじくり返されたのは、今のフィリアちゃんとしては、きっとすごく悲しい筈で……」
「……? いえ、悲しみはしません」
「きっと、無念であっただろうとは思います」
「もう一度、あの時の夢を見せつけられましたから。凶弾に倒れる父の姿を、その直前までの偉大な背中を、まるで昨日のことのように感じられるほど鮮明に見せつけられました」
「だから、父の無念は理解出来ます。けれど……」
悲しい……というのは、今の私には無い。
父の死によって、私は急遽玉座に就くこととなった。
その重圧には苦しんだし、逃げ出したくもなった。
だから、父を蘇らせようとした……のだった筈。
そこの記憶もまた、贄に捧げてしまっているから。どうにもおぼろな部分はあるけれど……しかし。
「――父の死は、仕方のないことだったのでしょう」
「父は言っていました。民を愛する限り、敬意を払う限り、民は王を愛し守ってくれる、と」
「ならば……父の愛は、届いていなかった。或いは、父の愛では民は満たされなかった」
「無念とは思いますが、きっとそうなのでしょう」
だから、私は民の為に戦うと決めた。
父の愛では民は満たされなかった。
ならば、私はそれよりももっと深く強い愛を注ぐと決めた。
父のように、愛した筈の民に殺されてしまわぬように。
「――下種が――っ」
「フィリア=ネイ、私はお前を人とは認めない。お前のような王の治める国を認めない」
「私はお前を――お前達のやり方を決して許容しない――っ!」
「――っ! な――何が――っ」
認めてはいけない。魔術師が力強くそう言い放つと、ゴワン――と、鐘の音のような音が響いた。
まさか――いけない、この魔術師は音を利用して攻撃をしている。
言霊以外にも、陣や音色によって魔術を使うのかも――
「――――我らが名はゴートマン――――っ!」
「魔人の集い――人々を解放するもの――魔人の集いのゴートマンである――――ッ!」
「人の心を持たぬ王、フィリア=ネイ=アンスーリァよ!」
「お前の政がいかに優れようと、お前の治める国の形を我らは許容しない――――っ!」
「――っ! フィリア!」
ガォン――と、また鈍い金属音が響いて、そして私の眼前に金属製の像が降りかかった。
私がそれを像だと理解したのは、ユーゴの手によって救い出されてから――彼がその青銅の塊を両断したのを見届けてからのことだった。
そして――
「――っ! どこへ――あの魔術師は――ゴートマンはどこへ――」
ゴートマンと名乗った女魔術師は、もうどこにも見当たらなかった。
ユーゴも大慌てで周囲の様子を窺い始めたが、しかしそれで何かを捉えた様子は無い。まさか……
「……まさか……消えてしまった……っ⁈」
「そんな……だって、ユーゴがいて……っ。逃げる算段が付いていたからこそ、私達の目の前に……」
「テレポート……か。強いやつって言ったけど、思ってたのと違うすごいのが出てきたな……」
てれ……? ユーゴの言葉は相変わらず分からなかったが、しかし彼の抱いた感想については全くの同意だ。
これは完全に想定外だ。
よもや、風に乗ってどこかへ消えてしまった……などと言うのではないだろうな。
「――っ! そうだ、皆は無事ですか!」
「ユーゴ、どこにも怪我は――身体だけではありません、心は無事ですか!」
「あの魔術師に支配されていたり、奇妙な人格を植え付けられたりしていませんかっ⁉」
「うおっ……おう、俺は大丈夫だけど……」
良かった。どうやら、あの魔術師の攻撃――魔術による心の支配は、一度に複数人にかけられるわけではなさそうだ。
持続については分からないが、ともかく狙われていたのであろう私が無事な以上、誰も取り込まれたりはしていないのだろう。
「それにしても……まさか、人心の操作に加えて、物質の瞬間移動まで可能だなんて」
「そんなもの、本当に魔術の領域に収まっているのでしょうか」
人を操る魔術については、少しだけだが情報を手に入れられた。
だが、まさかもっと厄介になるであろう能力まで持っていたとは。
誰も隷属させられなかった、誰も殺されなかったと安堵すべきなのか。
それとも、もっと危険な敵であったと嘆くべきなのか。
「ユーゴ。人の気配……は、消えてしまったのですよね」
「ならば、以前からこの林の奥にあったという気配はどうですか? 貴方がここを危険視した理由は、そこにあったのですよね」
「え……あ、ああ、うん。人の気配は無い。でも……奥にはまだなんかいる感じがするな」
ということは、あの魔術師とその気配とは別のものなのか。
しかし、それが無関係とは断ぜられない。
むしろ、そんなものがあるところへわざわざやって来たのだ。関係が深いと見るのが筋だろう。
「……このまま奥まで調べに行きたいところですが、一度念入りに準備をするべきですね。軽装である理由はもうありませんから」
「この先に何があっても平気なように、準備を整えて再調査を――」
「――ちょっと待って。ごめん……ごめんね、フィリアちゃん。ちょっと待って貰っていいかな」
やはり、あの魔術師を捕えられなかったのが惜しい。
そう歯噛みしながら次の段取りを模索する私に、ジャンセンさんは重たい表情で待ったをかけた。
そして、そんな彼に続いてユーゴも……
「……ジャンセンさん……? どうかなさったのですか? ユーゴも、そんなに暗い顔をしてどうしたのですか」
「もしや、あの魔術師の攻撃で心を……」
「違うよ。それも……まあ、キツイもん思い出させられたから、全く無いわけじゃないけど。でも、違うよ。違うんだよ」
では……いったいどうしたのだろう。
ユーゴは珍しくジャンセンさんの様子を心配しているみたいで……いいや。私の方を向いている……のか?
その不安そうな眼差しは、私を映してそんなにも曇ってしまっているというのだろうか。
「……お父さんが亡くなったのを、悲しくないとか……嘘だよね……?」
「だって……だって、フィリアちゃん、いつもあんなに優しいじゃない。あんなに甘っちょろくてさ、あんなに……っ」
「……あの、ジャンセンさん……?」
ごめん。と、ジャンセンさんは呟いて、そして顔を伏せたまま地面に転がっている荷物を纏め始めた。
若者達もそれを手伝って、それからすぐに私達は林を出る為に歩き始める。
危険は去った。
得難かった北の組織と魔術師の情報も、重大でかつ貴重なものが手に入った。
なのに、帰り道には言葉も笑みも無く、ただ重たい沈黙だけが満ちていた。




