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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第二章【惑うものと惑わすもの】
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第百四十七話【温度差】



――いけない――


 父を蘇らせる魔術式は完了した。

 結果としては、蘇生は成らなかった。


 手元に残ったのは、成形しきれなくてぐずぐずに崩れた肉の塊と、そして何も成せなかったという喪失感だけ。


 父のぬくもりも、それを確かめる為の記憶も、何も残っていなかった


――いけない――この場所を早く離れなければ――


 父の顔が思い出せない。


 目の形は覚えている。

 顔の輪郭も覚えている。

 髪型も、ひげも、全てを覚えている。


 けれど、それをいとおしいと思っていたのかどうかが思い出せない。

 家族の愛情も、王に向けた尊敬も、何も思い出せない。


――この夢を――終わらせなければ――


 けれど、空っぽになったおかげで、私の心は随分軽くなった。


 もう、恐れる必要は無い。

 私は私だ。

 尊敬する父も、偉大なる王も関係無い。

 ただ、ここには結果だけがある。


 私の父は、民の期待に背いたから殺された。

 ならば、私は民の期待に応えれば良い。


 そうすれば、私は王として成立するのだ。


――このままでは――


 私はこの愚かな結果を以って、愚かな前王と同じ道を歩まぬようにすれば良い。

 私が縋るものは私の力だけ――これから積み上げる経験だけ。


 私はもう、魔術などというものには縋らない。魔術程度のものには縋らない。


――このままでは――ユーゴが危ない――


 屍術、召喚魔術式。

 此度の失敗で活路が見えた。


 魔術を超越した外道の業を以って、私はこの国を救ってみせよう。


 このアンスーリァに――国民に、安寧をもたらす為に――




「――っ――ユーゴ……」


 っ。

 意識が――飛び掛けていた……いいや、確実に意識が切れていた。

 地面についていた両手が目の前にある。


 どうやら、ユーゴが感知していた存在こそが――聞こえていたという声の主こそが、北の組織の魔術師――人の心に干渉する術を持つもので間違いなさそうだ。


「――っ! ユーゴ……ジャンセンさん……っ。起きてください……皆……起きてください……」


 まだ頭が重い。がんがんと内側から大きな木槌で殴られているようだ。

 顔を上げればめまいもした。


 けれど、視界に飛び込んだ光景に、意識は嫌でも覚醒させられる。


 ユーゴもジャンセンさんも、供してくれていた若者ふたりも、誰もが無抵抗に地面に転がっていたのだ。


「――起きてください――っ。ユーゴ……お願いします、起きて……」


 私の声は届いていないらしい。


 喉が……大きな声が出せない。

 ぎゅうと何者かに首を絞められているのかのような窒息感がある。


 まさか、これも魔術による拘束なのだろうか。


「――あら。起きちゃったのねぇ、王女様」


「っ! 貴女が……」


 なんとかユーゴのそばへ近付こうともがいている私に、背後から声を掛けたものがいた。


 振り返ることも出来ないが、そうするまでもない。

 先ほど聞こえた声――怨嗟のような言霊を紡いでいた魔術師の声だった。


 すぐ後ろ――いつでも私を手にかけられる場所に、その魔術師はいる。


「極上の悪夢だったというのに、あれを見せ付けられても折れないなんて」

「芯が強いのね、あんな場所に生まれ育っておいて」

「それとも、自分でそこを地獄にしちゃったからかしら? 外法の魔女、フィリア=ネイ=アンスーリァ」


「……っ。まさか……貴女の魔術は、他者の記憶を……」


 ぱちん。と、小さな音が聞こえた。

 それと同時に、目の前に古い景色が展開される。これは――


「――へえ。へえ、へえぇ。王女様は魔術を使えないのね」

「使えなくなった――棄ててしまった……が、正しいのかしら」


「――ぅぐう……っ。まさか……とは思いましたが、しかし納得も出来ようものです」

「間違いありません。貴女の魔術は――」


――記憶を掘り起こし、それを共有するもの――


 たった今見えた景色は、私がユーゴを召喚した瞬間のものだった。

 師を五名、贄に捧げたあの日。

 希望の始まりでありながら、その瞬間は最大の喪失の瞬間でもあった。


 それを――その瞬間だけを――


「――そう。私の魔術は、人の心の傷を抉り起こすもの。そして――弱り切って脆くなった心を支配するもの――っ!」

「さあ――親殺しの王女様――っ! その痛みから逃れたくば――私の言うことを聞きなさい――ッ!」


 いけない――っ。このままではまずい、危険だ。


 胸の内側に熱が湧き上がるのを感じた。

 これは――この暖かさは――危険過ぎる――っ。


「――ユーゴ……ジャンセンさん……っ。起きて……逃げてください……」


 これは――この毒は、人の心には甘過ぎる――


 満たされようとしている。

 刃こぼれした短刀で抉られた古傷が、暖かな慈愛で満たされようとしている。


 この魔術は――この魔術師のやっていることは、ふたつの術式による人心の掌握――いや、人心の支配だ。


「――ユーゴ――っ! 起きて――起きてください――っ!」


「――無駄よ――っ! もう堕ちる――このまま堕ちる――私の手の中に堕ちるのよ――っ!」

「そして全ては私の思うまま――なにもかもが私のものになるのよ――ッ!」


 この力とは相性が悪過ぎる――っ。


 ジャンセンさんには大き過ぎる傷がある。


 生まれた時点で負っていた傷、生きていくうちに背負わされた傷。

 疑わずには誰も信じられない、傷だらけで脆い心がある。


 ユーゴにも、私には見えない傷がきっとたくさんある。


 あの日――ジャンセンさんの傷を見せ付けられたあの日、ユーゴの反応はただごとではなかった。

 どだい、こんな少年が既に没していること自体がまともではないのだ。


 平和な世界にあった筈の彼が、何ごとも無く命を落とす筈が無い。

 そこには必ず――大きな傷が――


――このままでは――ふたりが――


「――ユーゴ――ユーゴ――ッ!」


「――さあ――堕ちなさい――“女王フィリア”――ッッ‼」


 ぎゅう――と、目を瞑ってしまった。


 きっと、最大の術が仕掛けられたのだろう。

 胸の奥がじんじんと熱い。

 抗えなくなりそうなほどの安らぎがその先にあるのだと、直感的に感じ取ってしまう。


 だから――目を開けられなかった。


 ユーゴが……きっと、誰よりも安寧と平穏を知っている――それを取り上げられているユーゴが、こんなものに耐えられるわけが無い。

 これに耐えてまで過酷な戦いを目指す姿も見たくは無い。


 だから……目を瞑って……


「……さあ、ゆっくり立ち上がりなさい。そして、目の前の敵を殺すの」

「それはあなたをつらい道へ引きずり込む敵。それさえいなければ、あなたは幸せになれるのよ」


「――っ。ユーゴ……いけない……ユーゴ、お願いします……気を……しっかり……っ」


 砂を踏む音がして、ユーゴが立ち上がったのが分かった。


 こんな――こんな終わりがあってたまるものか。

 ユーゴは私と共にこの国を救うのだ。

 私が彼の隣でその活躍を見届けるのだ。


 それがどうして――


「――何を――やっている――? 起きなさい――っ!」

「起きて――そのガキをくびり殺すのよ――“女王フィリア”――っ!」


「――え――何を――」


 女の声は、酷く焦ったものだった。


 しかし、そんな筈は無い。

 だって、窮地なのはこちらだ。


 私達は術中に嵌まり、身動きが取れなくなった。


 そして……あろうことか、最も頼もしい筈だったユーゴの心を操られてしまって……ユーゴの……心を……?


 ユーゴを……殺せと、私に命じたのか……?


「……っ! ユーゴっ! 無事ですか! 良かった……標的は貴方では無かったのですね」


「……? お、おう。おう?」


 大急ぎで顔を上げると、そこには事情を飲み込めずに混乱しているユーゴの姿があった。


 もしやとは思うが、あの魔術師は見誤ったのだな。

 ユーゴが幼い姿をしているから、付け込む為の大きな傷をまだ抱えてなどいないだろう、と。

 彼の背景をほとんど知らないから。

 だから、最も心の弱そうな私に命令を下そうとしたのだ。


「――あり得ない――っ。あり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないぃぃいいいい――ッッ‼」


「っ。コイツ――フィリア、コイツが――」


 あり得ない――っ! と、魔術師はそればかりを繰り返し、両手で自分の前腕を搔きむしり始めた。


 あり得ない。あり得ない。と、ひと言発する度に皮膚は切り裂かれ、ジワリとにじんだ血が撒き散らかされる。

 こ、この動揺ぶりは……


「――キィィイイイイ――っ!」

「どうして狂わない――っ! どうして焦がれない――っ! どうして私の言うことを聞かない――っっっ!」

「最低最悪の魔女が――っ! 実の父を無間の闇へと葬っておいて――それに一切の負い目を感じていないとでも言うつもりか――っっ!」

「この悪鬼! 外道! お前には人の心が無いのか――っ!」


「お、おい……フィリア、お前めちゃめちゃ言われてるけど……?」

「実の父を……とか、アイツは何を言ってんだ……?」


 癇癪を起した魔術師の叫び声に、ジャンセンさんも若者達も続々と目を覚まし始めた。


 そして……誰にも心を支配されている様子は無い。

 皆、一様に魔術師の姿に怪訝な目を向けている。


「えっと……どちらさん? まさかとは思うけど……こんな間抜けそうなのが俺達の敵? マジ?」


「らしい……ぞ? でもなんか……フィリア、知り合いか? めっちゃ悪口言われてるけど」


 いえ、そういうわけでは……と、今はゆっくりなごんでいる時間は無い。

 この者を捕え、情報を聞き出すことが出来れば、この国の問題は一気に進展する。


 声が聞こえてから意識に割り込まれるまでには時間があった。

 ユーゴの力なら――この間合いなら、もう何をされるよりも前に捕まえられ――


「――答えろ――フィリア=ネイ――っ!」

「父を――前王の魂の尊厳を踏みにじり――師事した魔術師五名を葬り――それでなお、お前はなんの負い目も感じていないと言うつもりなの――っ!」

「死者への手向けなど全く必要無いと――お前が殺しておいて、そうのたまうつもりなの――っっ!」


「えっ。ええと……はい」

「私達は――国は、民を守る為にありますから」

「懺悔はしますが、しかしそれを負い目とは思いません」

「父は……申し訳ないとは思っていますが、師は同意してくださってのことでしたから」


 魔術師の顔色が変わったのが分かった。


 さっきまであんなにうろたえて、ヒステリックになって、文字通り真っ赤になっていた顔から、すっと血の気が引いた。


 けれど、今更冷静になったところでもう遅い。

 この間合い、ユーゴならば一歩で――


「――フィリアちゃん……? なんの話……? よく分かんなかった……けど。けど……それ……」


「……フィリア……?」


 一歩で捕まえられる。

 だから、捕縛をお願いします……と、彼に声を掛けようとした時だった。


 私はそこで、血の気の引いた顔がいくつもこちらを向いていたのに気付いた。

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