第百四十四話【温度を測る】
今朝もユーゴの声で目を覚まし、私はまた砦跡へ向かってジャンセンさん達との合流を図った。
また、あの林を調査しに行く。
緊張感は間違いなくあって、また何かが起こってしまうのではないかという不安が身体を強張らせる。
「そいじゃ、ぼちぼち出発しようかね。姉さん、あとよろしく」
「言われるまでも無えよ。さっさと行け、このボケ」
私とユーゴが到着してすぐ、ジャンセンさんはそう言って出発の準備を始めた。
地図を広げての軽い段取り決めはしたが、しかしこれといって相談や準備はしていない。
こんなにも気楽で大丈夫なのかと不安になるのに、その上マリアノさんは同行しないのか。って、流石にそれは……
「ジャンセンさん。その……マリアノさんも同行願うわけにはいきませんか?」
「あの方がいればやはり戦力的に安心ですし、ユーゴの負担も減らせます」
「相手が相応の策を以ってこちらを陥れようとしているとしたら……」
「ん? あー、うん。そうだね、もしそうなら姉さんはいないと困る。だけど、今回は大丈夫だよ」
今回……は? ジャンセンさんの悠々とした態度に、私もユーゴも首を傾げてしまった。
「昨日見に行って分かったのは、とっくのとうにアイツらが引き上げてるってこと。多分、ここでやりたかったことは全部やったんだろう」
「その中のひとつが、フィリアちゃんに対するなんらかの攻撃――牽制なのか、それとももっと強い脅迫の意図があったのかは分かんないけど」
「どっちにせよ、もうすることが無くなったから、きれいさっぱり片付けたんだろう」
「で、ですが……」
それに。と、ジャンセンさんはそこで言葉を口の中に留めて、ちらりとマリアノさんへ視線を向けながら私達に近寄って来た。
聞かれたくない話がある……と?
「姉さんがいるとね、おびき出せるものもおびき出せなくなるからさ」
「今日、あの場所には何も無い。俺としては、その可能性が九割九分ってとこ」
「だけど、もしもがある。もしも、まだ何かを企んでるんだとしたら」
「……その時マリアノさんの姿があれば、向こうも手を出しにくくなってしまう。接触の機会を逸してしまいかねない……ですか」
そう。と、ジャンセンさんはまたそろりとマリアノさんの方へ眼をやって、睨まれていないことを確認するとすぐに背筋を伸ばし直した。
「ま、出来ることなら解決までやっちゃいたいからね」
「俺達の戦力は向こうにバレてる。姉さんがヤバい人だって、とっくに警戒されてるからね」
「その点、まだユーゴはそう知られてない筈」
「俺とフィリアちゃんをエサにして、食いついたらユーゴの力で叩きのめしてやろう」
「誰がお前なんかの作戦に従うか。勝手に食われろ、このクズ」
こらこら。
しかし、ユーゴもその策自体には乗り気らしい。
なんだかんだと言いながら、先日確認したばかりの装備を点検し直し始めた。
「……と、まあそうは言ってもさ、アイツらがこんなとこまで来たことは無いんだ。今までは、だけど」
「このヨロクは最終防衛線の内側、そして俺達の活動拠点が複数集まってる場所でもあった」
「国と盗賊団、ふたつを一挙に相手取るのは向こうも骨が折れるだろうからね」
だから、やっぱりナリッド解放がきっかけなんだろう。と、ジャンセンさんはそう言うと、自分の荷物を準備しに行くと部屋から出てしまった。
ナリッドの街を解放したから――防衛線の外、そして盗賊団の管理外の街を解放したから、北の組織に警戒されてしまった、か。
「……順番は間違ってないと思うぞ。カスタードも言ってたけど、やっぱり南からだったと思う」
「そりゃ、奇襲かけてたらこうやって罠とか準備されなかったかもしれないけど」
「ユーゴ……そうですね。まず、国を建て直す。目的はそこにありますから、それだけは間違えてはいけません」
「こうしてナリッドに関わることで見えてきたものが、後に大きな意味を持つ可能性もあります」
少なくとも、ジャンセンさん達とは時間を掛けたおかげで良い結果を出せたと思う。
もっと簡潔に、盗賊団を捕縛すると軍を動かしていたら、きっとこの特別隊は結成出来なかった。
当然、組織力の向上も図れない。
今のこの国と特別隊が力を合わせている図式は消え失せ、国の力だけで北の組織とぶつかることになっただろう。
そうなれば、きっと戦う以外のことに目を向ける余裕は無い。
問題を取り除けたとしても、その後に建て直しを図る体力が残るかどうか。
それからすぐにジャンセンさんは戻って来て、私達はまた林へと向けて出発した。
したのだが……
「……ほ、本当にこれだけの人数で良いのでしょうか……? マリアノさんのことは理解出来ましたが……」
「良いの良いの、っていうか大人数じゃ意味無いからね」
「姉さんは一番警戒される存在だから論外ってだけ。そもそも、人が多いってだけで警戒されるんだから」
それはそうだが……と、私が不安を感じているのは、出発した馬車の中に座っている若者の人数だ。
私とユーゴとジャンセンさんと、もう三人の若者と、そして馭者を務めるものがひとり。
それに、その若者も誰ひとりとして武装していない。
警戒されない為……とは言ったが、しかしこれでは……
「フィリアちゃん、そう心配しないで」
「そもそも、俺達が武装する理由は何か。それは、魔獣と戦う為だ。けど、あの場所にはそれがいない」
「じゃあ他の理由は何かあるかと問われたら、魔獣以外の脅威と戦う為だ」
「だけど、昨日の調査の感じではそれも見当たらなかった」
となれば、そこへ乗り込むのに重装備じゃ不自然だろう? と、ジャンセンさんは笑う。
「自然に……ってのが一番難しい」
「フィリアちゃん達が北の組織の件に触れようとしなかったように、アイツらが林の掃除を念入りにし過ぎたように」
「結局、自然を演出しようとするとかえって不自然になる」
「その不自然は、絶対に取り除けない。俺でも、姉さんでもね」
「では……こうして武装を解いて少人数で向かうことも、自然を演出しようとしている不自然だ……と、看破されてしまうのではないのでしょうか」
私の言葉に、ジャンセンさんは少しだけ唸って黙り込んでしまった。
急所を突かれてしまった……と、そうではないのだろう。
「ま、それならそれで、なんだよ。こっちの思惑を看破出来るかどうかってのもひとつの情報」
「腹の探り合いにはさ、際限が無いんだ」
「相手の思惑にハマってるかも、こっちの思惑はバレてるかも。そういう見えない部分にやきもきするばっかりで、基本的には大した成果は得られない」
「でもね、ひとつだけ確実に手に入るものもある」
それは……と、ジャンセンさんはそこでまた言葉を口に含んで、きゅっと目を細めて子供のように笑った。
彼の人柄をよく表していると、なんとなくそう思える顔で。
「――相手の温度だ」
「姿が見えない戦いってのは、どうやっても焦れるし不安になる。だけど、それはどっちも同じこと」
「でも一回冷静になってみれば、そこには必ず手掛かりがある」
「突き止められるだけのものじゃないけど、向こうの熱量が分かる程度のものは見つかるんだよ、絶対に」
押し返したいのか、押しとどめたいのか、押された勢いで撤退したいのか。
指を三本立てて、ジャンセンさんはそう言った。
熱量――つまり、方針。モチベーション、やる気。
この駆け引きに対して、どれだけの価値を見出しているかを推し量る……と。
「それさえ分かったらさ、大体局面は予想出来るんだ」
「こっちの熱量が上回ってれば、基本的には押して押しての戦いになる」
「逆に下回ってるなら、押されたときの被害を減らす方向にシフトしなくちゃならない」
「そんで、押し返してくる力が弱いなら、他に何かを企んでると想定して動かなくちゃならない」
「狙いが別にあるかもしれない……と」
「ヨロクでも、私でもなく、他の標的があちらにはあるかもしれない……と。では、それはいったい……」
そこまではねえ。と、ジャンセンさんは肩を竦めてしまった。
そんな様子にユーゴは大きなため息をついて、使えない。クズ。役立たず。死ね。と、またいつもの罵詈雑言を並べ立てる。
さっきまで興味深そうに聞き耳を立てていただけに、がっかりさせられてしまったのかな?
「言ったろ、突き止められるわけじゃないって。そこまで分かったらそりゃもう神様だよ。もしくは、歴史に名を遺すような軍師だ」
「そんなの、少なくとも俺達の中にはいない。姉さんだって、その域には達せない」
「至極簡単な道理だけど、俺達は組織が小さ過ぎるからさ」
「大きな組織で大軍を指揮して初めて、その能力に目覚める……というのでしょうか?」
私の言葉にジャンセンさんは笑みをこぼして、しかし首を横に振った。
逆だよ、と。小さくそう呟いて。
「大きな組織で大軍を指揮して、初めてその能力があることに気付くんだよ」
「そして同時に、そうであったと大衆に認められる」
「能力ってのはつまり、結果、成果でしか推し量れないもんだからね。だから、姉さんにも無理なのよ」
いつかこの特別隊がもっと大きくなった頃には、姉さんも前線で指揮を執らなくていいようになってるだろうからさ。と、ジャンセンさんはそう言って、やはり笑顔を浮かべた。
少しだけ寂しそうにも見えたが、それでも笑っていた。




