第百四十三話【疑わしきを信ぜよ】
 
ヨロクの砦の一室で、私は今誰と向き合っているのだろうか。
目の前にいるのは、果たしてジャンセンさんなのか。
それとも、何者かに操られてしまった彼なのか。
私の目には、そのどちらにも映らない、いつかも見た無貌の男の姿だけがあった。
「――わ――私達に協力する情報提供者がいる……と? 何故そう思うのですか?」
「私はただ、ジャンセンさんに見せて貰ったものと、それからユーゴの感覚を元に……」
「そういうの、今はいいよ」
「後ろに誰がいる。そいつはフィリアちゃんを使って何をしようとしてる」
「フィリアちゃんは、そいつを使って何をしようとしてるの」
っ。彼の中にはどうやら確信があるらしい。
情報提供者がいる。
それも、組織について深いところまで探りを入れられるものが。
少なくとも、自分達の知っている以上の情報を提供している誰かが、私達の背後には存在する、と。
「……フィリア。疑われちゃってるなら、もう説明した方が良いかもな」
「約束はあるし、理由も分かってるけど、これで黙ってるのは流石に無理がある」
「ユーゴ……そうですね。ジャンセンさん達に不信感を持たれては、特別隊も立ちゆきませんから」
私とユーゴのやり取りを聞いてか、ジャンセンさんは少しだけほっとした表情を浮かべた。
敵対する意思があるわけではなさそうだと、警戒を緩めてくれたのだろう。
「おっしゃる通り、私達はある方から情報を受け取って、独自に調査を進めていました」
「ジャンセンさんの問いに答えるのならば、私達はその方の助力によって、この特別隊と同じ目的を成そうとしています」
「隊と同じ目的を……わざわざ隊とは関係無しに、ってこと?」
「それは……俺達をそんなに信用してないって意味なのかな?」
いえ、そうではなく。
ジャンセンさんとしても、きっと軽口やからかいの意図は含めていない。
そう捉えられても仕方が無い、当然の反応だろうというものを私の前に突き付けただけだ。
だから、私もそれには慌てずにきちんと向き合えた。
「特別隊を設立するよりも前から、その方には協力いただいているのです」
「ただ……その方は宮にも属さず、隊にも入ってはいただけませんでした」
「なので、その方と私との関係は、情報提供者と宮の一役人という関係になっています」
「一役人……ね。女王って立場も伏せなくちゃならない相手なの? なんか、妙な感じだね」
いえ……そうでもなく……
伯爵はなんでも知っている。なんでも調べられる。
その上で、私の素性には気付いていない。
或いは、知っている上で無視している。
ならば、あの場には女王という肩書を持ち込むべきではないのだろう。
女王ではなく、私個人に協力してくれているのだと思うべきだ。
「その方の素性には私も詳しくはありません」
「ただ、目的を同じくするものとして、手を貸していただいています。この国を豊かにする為に」
「ふんふん……なるほどね。ま、議会には属さない貴族、或いは権力者ってところかな?」
「もしくは退役した軍人か、或いは外国の著名人か」
貴族、権力者。言葉としては、確かにそれが当てはまるのかもしれない。
伯爵と名乗るくらいだし、それに振る舞いや言動、感じられる精神性は確かに立派なものだ。
ならば、ジャンセンさんの言う通り、元は外国の貴族だったのかもしれないな。
「それで、そいつの狙いは分かってるの?」
「まさか、手を貸してくれるから一緒になってやってるだけ……なんてこと……あり得るか、フィリアちゃんなら。俺はそれが怪しくて疑ったわけだし」
うっ。そこを詰められると……私には、伯爵の真意や目的など分からない。
ただ、あの方は私と目的を同じくしている。
ひとまず、この国の安寧――魔獣の問題、盗賊の問題、そして北の組織の問題。
これらに対し、本気で協力してくれている以上、そこは間違いないだろう。
「……すみません、私はその……あの方を疑ったのは初めの頃だけで、目的がなんであるかというところは把握していませんでした」
「ただ、あの方は決して私利私欲の為に他者を陥れる人物ではありません」
「ユーゴも私も、きっとあの方にとっては不出来な子供に映っているのでしょう」
「その成長を手伝ってくださっているのだと、私は考えています」
「まあ、ふたりの未熟さについては俺もおおむね同意見だけどさ」
「しかし、本当に信頼出来るの、そいつ。だって、一切素性を明かしてないんでしょ?」
フィリアちゃんの素性について尋ねて来ない、調べないとこも怪しい。と、ジャンセンさんは口をへの字にして眉をしかめる。
「こっちは突っ込まないから、そっちも事情を探るのはやめてね。って、そう言ってるようにも思えるね。踏み込まれると困る腹があると見た」
「それも多分、フィリアちゃんの性格を理解した上でやってるだろう。義理堅いと言うか、計算が出来ないと言うか」
良く言えば素直、悪く言うと狡猾さが足りない、そんなフィリアちゃんの弱点を利用してる気がする。
ジャンセンさんはそう言って、そして視線を私からユーゴへと向けた。
お前はどう思ってるんだと尋ねたいらしい。
「俺は……別に、アイツはただのアホだと思ってる。まあ、調べものするのは凄いと思うけど。でも、基本的にはただのバカだ。プリンバカ」
「おう、俺以外にそんな汚え言葉遣いする相手がいたんだな」
「ってーなると……うーん。能力については本物か。悪意があるかどうかってとこは……なんともだけど」
ユーゴの言葉遣いのカラクリに、ジャンセンさんも気付いていたのだな。と、それは良くて。
確かに、私もこれまで伯爵について考えていなさ過ぎたかもしれない。
あの人物は、心から平和を願っている。
非情に強い善性を持っている人物だと信じて、それっきり彼を知ろうとしていなかったのは間違いないのだし。
「それで、そいつはどこにいんの。普段何してて、どういう経緯で知り合ったのさ」
「ええと……すみません、その方の名前と居場所は、どうしてもお教えすることが出来ません」
「それと……普段……についても、私は何も知らなくて……」
経緯……については、どう説明したものか。
人々を脅かす吸血鬼伯爵が洞窟の奥に住んでいる。と、そんな噂話を調べていたら辿り着いた……なんて話、どう噛み砕けば伝わるのか。
「うーん……思ったよりテキトーにやってんね、フィリアちゃんも」
「ま、いいや。とりあえず、ふたりには俺達を裏切るとか、他に隠してる目的があるとかは無さそうだ」
「多分……いんや、まず間違いなく。そいつ、北の組織の魔術師についても話をしたんでしょ」
「そいつの能力が奇妙だから、疑えるとこは全部疑って情報は出来るだけ漏らすな、とか言ってさ」
っ! そ、そこまで見通されているとは。と、私が感嘆の言葉を口にしかけたところで、ユーゴに頭を叩かれた。
それを見て、ジャンセンさんも呆れたように笑っていた。
そこで頷いたら、なんの為に黙っていたのか分からなくなるだろうと言いたいのか。なるほど。
「おい、クズ男。こっちからも質問あるぞ、ちゃんと答えろ」
「お前、どこで気付いた。ずっと見てたけど、この件についてはフィリアも上手くやってた」
「嘘は相変わらず下手だけど、嘘をつかない範囲で上手いこと誤魔化してた。なのに……」
「いやいや、誤魔化せてないからでしょ。ユーゴ、お前もだぞ」
「ま、俺とか姉さんが相手じゃなかったら問題無いだろうからさ、それでいいとは思うけど」
うぐっ。誤魔化せていなかった、私達の振る舞いでは意味が無かった、と。
はっきり言われてしまっては、もうなんと取り繕うことも出来ない。
しかし、果たしてどこで気付いたのだろうか。
「少なくとも、俺はランデルに招かれた時点で気付いたよ」
「特別隊が認可された日。魔術工房だっけ、あの暗い建物。あそこに案内された時点で、なんか隠してる……っていうか、なんか知ってるなーとは思ってた」
「フィリアちゃんの振る舞いもだけど、ユーゴが上手いことやるからな」
「俺……? フィリアじゃなくて俺からバレてたのか……」
ユーゴも嘘が上手いとは思わないが、しかし漏洩するならユーゴよりも私からだろう。
そう思っていたが、どうやら違うのだろうか。
「今回の件と一緒だよ」
「隠そうとするとさ、不必要に綺麗になり過ぎるんだ」
「普通なら、もっと突っ込んでくるでしょ。北にある組織について、知ってる情報は何かないか、って」
「現状の最終関門だからね、少しでも手掛かりを集めようとする。だけど……」
「私達は、自分の持っている情報を――協力者から情報を入手したことを、貴方達に悟られてはいけなかった」
「だから、迂闊なことは出来ないと、通常よりも慎重になり過ぎていた、と?」
まあそんなとこ。と、ジャンセンさんはユーゴに向かってにやにやと笑みを向けた。
これ見よがしの挑発に、ユーゴはむっとしてそっぽを向く。
だが、背けた顔には負けず嫌いの苦い顔が浮かんでいた。
「んじゃま、この件はちょっと保留にしようか」
「林を調べたら、ふたりはランデルに戻ってそいつと話し合いをすること。んで、どこまでなら俺達に情報を共有してもいいか決めて来て」
「それをさ、ここで俺達だけで決めちゃうと、そっちの信頼関係が壊れかねないでしょ」
「お心遣いありがとうございます。調査が済み次第、すぐに向かいます」
伯爵との約束は……守れたとは言い難いだろうな。
だが、こうなってしまったことを悔いるよりも、伯爵の力とジャンセンさんの力を合わせられる可能性が高まったことを喜ぶべきか。
まだ、私では決めかねる状況にある。




