第百四十一話【過激主義者】
お留守番。と、そう言われた通り、私達はジャンセンさんとマリアノさんを見送って、ヨロクの街に留まった。
以前、彼が私達に用いた手法は、魔術の効力で起動する道具――魔具によって罠を仕掛けるというものだった。
それならばユーゴの感知をすり抜けられる。
それならば、この前の調査で私が倒れたことにも説明が付く。
そう聞かされはしたものの……
「本当に可能なのでしょうか」
「確かに、あの時ユーゴは魔具の存在に気付けませんでした」
「ですが、気付かれない為にジャンセンさんは準備に準備を重ねて臨んだ筈です。それを……」
いつ来るのか、どこを通るのか、何を知っているのかが全く分かっていない状態で、果たしてあの時のように上手くいくだろうか。
上手くいったとして、結果として私はこうして生きている。
となれば、当然再調査に赴くだろう。
それも、何かしらの罠があると身構えた上で。
「そうなれば、複数仕掛けた罠というのは、ただいたずらに痕跡を残してしまっただけに終わる」
「そんな愚策を、果たしてこれまでひとつの痕跡も残さずに振る舞ってみせた組織が立てるでしょうか」
答えは……分からない。
限りなく低い可能性のように感じるが、しかしそれは、私がまだその組織の影すらも見ていないからかもしれない。
見えない存在を勝手に大きく見積もり過ぎているだけで、実際にはなりふり構っている余裕など無い……というのだって、否定は出来ないのだから。
「ユーゴはどう思いますか? 本当に……本当に、魔具の残骸なんて直接的な手掛かりを残すなんてあり得るのでしょうか」
「……知らないよ、そんなの。どんな奴らなのかも分かってないのに」
ユーゴは私の問いに、呆れたようにため息をついた。
どれだけ考えても、最終的には彼の言う通りの結論が出る。
私達には情報が足りていなさ過ぎる。
伯爵から貰った断片的な情報は、結局のところ結果でしかない。
組織の内情や目的といった部分に迫るものは、ひとつとして見つかっていないのだから。
「……アイツらに聞けたらいいんだろうけどな」
「でも、まだやめといた方が良いと思う。向こうから説明されたら聞いとくけど、こっちから下手に探らない方が良い」
「けど、全く無関心なのもそれはそれで怪しまれる。困ったな」
困った。と、ユーゴは小さな声でそればかりを繰り返し始めた。
困った困った……そう、困ってしまった。
伯爵との約束を思うと、これからの私達の振る舞いにも困ってしまう。
「念の為、パターン決めとくか」
「まず、手掛かりが見つかったって言われた場合。これは……もう普通に聞けばいいだろ」
「それに無関心なのは怪しいし、もしアイツらが操られてなかったらむしろ俺達が疑われかねないし」
さっきまでぶつぶつ言っていたかと思えば、ユーゴはまるで困った様子などどこにも見せずに、パターンとやらを列挙し始めた。
変に誤解を招くのもめんどくさいから、手掛かりが見つかったなら素直に話を聞こう……とか。
「で、見つからなかった場合……だけど、こっちはいろいろパターン考えられるよな」
「何も残ってなかったとか、残ってたけどとても何かは分からなかったとか」
「探そうとしたらアイツらも倒れた、とか……」
「ま、待ってください。ええと……はい、言いたいことは分かるのですが、なんというか……」
少し急過ぎやしないだろうか。
いいや、分かっている。
この話は、ジャンセンさん達が帰ってくるまでには終わらせなければならないものだと。しかし……
「その……あの、ですね。こんな時に尋ねることではないとは分かっているのです」
「分かっているのですが……ユーゴ、貴方……た、楽しんでいませんか……?」
「え? 楽しいぞ? ダメかな?」
だ、ダメです……
いえ、貴方に楽しみが増えてくれること自体は良いのですよ。
しかし……今、私達は困っているとユーゴも自分で言ったばかりではないか。
それを……それを楽しいとは……
「楽しいだろ、実際。そりゃ、困ってるけどさ。でも、楽しい。なんかスパイ映画っぽいし」
「スパイえいが……? ええっと……それは、貴方の知る娯楽のひとつ……なのですか?」
映画は娯楽だな。と、ユーゴはそう言って、今度は地図を引っ張り出して机の上に広げ始めた。
「アイツらは一応仲間。で、北にいる連中は敵」
「だけど、そいつらについて、俺達は誰にも相談出来ない」
「情報はきっと、俺達の方がアイツらよりも持ってる」
でも、実際に戦ったことがあるのはアイツらだ。と、ユーゴはそう言って、地図の上に一本の線を引いた。
その境界は、ランデルと……いいや、伯爵の屋敷がある山と、それ以北とを切り分けている。
「この線の内側のことは誰にもバレちゃいけない。でも、アイツらが知ってる現場の情報は手に入れたい」
「だけど、アイツらの中には敵になってるかもしれないやつがいる」
「しかもそれがマリアノとかゲロ男かもしれない、と」
「ほら、やっぱりスパイ映画っぽい……えっと、うーん。なんか……推理小説……とかならあるのか? たとえが難しいんだよな」
「え、ええと……たとえについてはよく分かりませんが、貴方の挙げた現在の状況は、とても私達にとっては不利なものにしか思えません」
「ユーゴはそれが楽しい……のですか?」
不利なのが楽しい……と? 私がそう尋ねると、そういうわけじゃなくて……と、ユーゴは困ってしまった。
どうやら、彼が真に伝えたいものを知るには、別の世界にあるもののたとえを、私がなんとかして理解しなければならないらしい。
「とにかく、こういう展開ってよくあるんだよ、映画とかドラマとかだと。だから、その中に入ったみたいでちょっと楽しいんだ」
「まあその、最初の頃はここにいるだけで同じ気分になれたんだけどさ。今はもう慣れちゃったから」
「ええと…………貴方の知る物語の中には、こういったひっ迫した状況は普遍的なものだ……と」
「そして、その物語の中に自分が飛び込んだような気持ちになるから、それが楽しい……と?」
そうそう。と、ユーゴは笑って頷くが……わ、笑いごとではないのだけれど……
確かに、策謀の渦巻く伝記や叙事詩などは、この国にも存在する。
その中にも、どこを向いても危機と未明が待ち受けるようなシーンはいくつもあるだろう。
だが……それに感情移入したとて、自分に降りかかる問題を楽しいとはとても……
「……はあ。ユーゴにはそれだけ余裕がある……ということでしょう」
「襲われたのだと私を説得していた時には、どこか危機感や不安があったように感じたのですが……何がどうなったらそんなに楽しそうに笑えるのですか」
「何も状況は変わっていないというのに」
「そ、そうだけどさ……」
「でも、ちょっとだけ気合が入るっていうか、テンション上がるっていうか……うーん」
「こればっかりは、フィリアには伝わらなさそうだしなぁ」
ともかく、ユーゴの中にある経験……知識や娯楽の思い出が、危機的状況であるという前提を無視して、今現在を楽しいものとして認識させている……と、それは理解出来た。
出来たが……はあ。それはつまり……
「……ユーゴはどうも……はあ。快楽というものを、もう少し平和な部分に求められないのですか」
「強い魔獣に心を躍らせたり、物語として語り継がれるような窮地に胸を高鳴らせたり」
「それを悪いとは言いませんが、それ以外にも楽しみを見出せなければ、平和になった後が思いやられます」
マリアノさんにも類似した趣向があることを思えば、それは闘争心の表れであるのかもしれない。
が、それはそれとしても、ユーゴはまだ幼い少年なのだ。
もちろん、すぐに問題の全てが解決するとは私も思っていない。
だが、このまま北の組織の問題をどうにか出来たならば、その後には魔獣の問題と経済の問題が残るばかり。
そうなれば、ユーゴは戦わなくてもよくなるだろう。
「ここにある娯楽では、貴方の楽しみにはなり得ないのだとしたら……」
「いっそ、貴方に指導して貰って、この国に新たな娯楽を作るほかにないのかもしれませんね。娯楽大臣という役職でも作りましょう」
「娯楽大臣って……なんか、嫌なネーミングだな。バカにされてるみたいだ」
嫌味を言ったつもりは無いが、しかしこの状況下では嫌味な名前になってしまっているかもしれないな。
現状では、それだけ遠い未来の話というわけだ。
「ま、全部終わったらの話は終わってからでいいだろ。それより、アイツら帰ってくる前に決めとくこと決めとかないと」
「フィリアはボロが出るからな、簡単に。ちゃんとしとかないと怪しまれるぞ」
「うっ……そうですね」
「ええと……先ほど挙げてくださった例ですと、手掛かりが見つからなかった場合……でしたよね」
「何も見つからなかった……となれば、その時は潔く退く……ええっと、この場合は、その後も決めておいた方が良いでしょうか」
「何も無いと分かったなら、今度こそ調査に乗り出すべきだと言うのが自然ですよね」
自然か不自然かを考えながら発言していては、きっと私は不自然な振る舞いをしてしまうのだろうな。
だから、先に全ての段取りを決めて準備しておこう、と。
やや不穏で不謹慎な発言も見られたが、しかしユーゴの案は理に適ったものでもある。
私達はジャンセンさん達が戻って来る前に、大急ぎでいくつかの返答のパターンを揃えた。




