第百三十三話【ふたりきりの遠征】
ひとまず、この場においてはナリッドの調査は約束出来ないであーる。
最終的に伯爵の出した結論はそれだった。
進行中の調査が多いのもさることながら、あまりに情報の少ない、手掛かりの無い調べ物は、気安く受けられない、と。
だが同時に、手掛かりの手掛かりになるようなものでも見付かれば、その時には必ず協力すると伯爵は約束してくれた。
それを私達が見付けた時か、或いは伯爵が調査中に何かに辿り着いた時か。
どちらにせよ、何かがあれば連絡を寄こしてくれるらしい。
そうして私達は、頼もしい協力者の下を離れ、数日の後にランデルも出発した。
目的地は北――ヨロクだった。
「――到着しました、女王陛下」
「ありがとうございます。貴方も早く建物の中へ、温かくしてゆっくり休んでください」
雨の降る中を、ユーゴに道を拓いて貰いながら進む。
そうして泥だらけになった馬車は、しばらくぶりのヨロクの街へと私達を運んでくれた。
以前あった魔獣の襲撃の面影は、もうどこにも見当たらない。
こんなにも時間が経っていたのだな。
「ユーゴ、お疲れ様でした。早く役場へ入りましょう」
「すぐに温かいスープを準備させますから、しっかりと休んでくださいね」
「別に、疲れてないって。前に来た時でも余裕だったのに、今更こんな魔獣くらい……へっぶしっ!」
魔獣は平気かもしれないが、しかし雨に濡れて体温が下がるのは無視出来ないだろう。
ときおりぶるぶると震えてはくしゃみをする姿は、とても子供らしくて安心もする。
だがそれはそれ、ユーゴに何かあっては困るのだから。
「明日の天気はどうでしょうね。雨が続くようだと、外での活動も難しくなってしまいます」
「今度もあまり時間は取れませんでしたから、出来れば手早く済ませてしまいたいのですが……」
天候ばかりはどうにもならない。
分かっていても、もどかしく感じてしまう。
もう日の暮れた真っ黒な空では、雨粒など目に見えない。
これは何も夜に限った話ではなく、木々の茂る林の中でも同じだろう。
それでは調査も何も出来たものではない。
今回の訪問の目的は、当然のように例の林の調査だった。
ウェリズ、カンビレッジ、そしてこのヨロク。
魔獣すら住み着かない奇怪な地を、今一度しっかりと調べ尽くす必要がある。
ユーゴの言う、林の奥にある脅威というものとも、場合によっては対面しなければならないだろう。
「……さて。ユーゴ、後で部屋に来ていただけますか? 温まってからで大丈夫です、ゆっくり休んでからで。少しだけ話をさせてください」
「……だから、大丈夫だって。疲れてないし寒くもない」
寒くはあるだろうに。
まだ唇の青いユーゴだったが、どうにも見栄を張らなければ気が済まないらしい。
後でと言っているのに、私の背中を押して別室へと向かい始めてしまった。なんとも強情な。
「もう、せめて毛布を被っていてください。何かあっても、きっと貴方は隠すでしょうし。体調を崩さないように、きちんと予防をしなければ」
「大丈夫だって、うるさいな」
うるさくもなってしまいますよ。まったく、聞かん坊ですね。
まるで母親のように私がそう言うと、ユーゴはむっとして毛布をひったくった。
心配されるのをうっとおしいと思っているのではなく、過保護にされるのを嫌がっている。
子供扱いを嫌う彼らしいが、そういうところが子供なのだ……と、言ったらまた拗ねるかな。
「……それで、話……なのですが……」
「分かってる。だけど……だったらなおさら、雨だと困るんだよな」
理解が早くて助かります。
私達は例の林を調査しに向かう。
その最終目的は、ここから更に更に北にあるという謎の組織、そしてそれに属する魔術師について調べること。
その一環として、ウェリズからナリッド、そしてナリッドからここへと飛んでいる奇妙な痕跡を調査したいのだ。
だが……
「兵士にも、アイツらにも頼れない。カスタードの話がでたらめじゃないなら、やっぱりそうなるよな」
「……はい。誰を信じて良いか……と、疑い始めたらきりがありません」
調査するにあたって、大き過ぎる障害がひとつある。
それは、問題に上がっている魔術師の能力が、人を操るものであるという点だ。
故に伯爵は、屋敷での会話――それをもとにした作戦、及び屋敷と伯爵の存在そのものを、可能な限り秘匿するようにと釘を刺した。
誰が組織と通じているか分からない以上、調べていることを悟られてはならないから。
そうなった時、私は既にあの林を目指すわけにはいかなくなっている。
この訪問も、表向きには、以前あった襲撃の事後処理を確認しに来たということにしている。
そんな建前ひとつで疑われないなどとは思っていないが、しかし大っぴらにあの林を調べるとは言い難い。
他二か所の異変を見て、何かに辿り着いたのでは……と、疑われる可能性は、出来るだけ下げたいのだ。
「明日は何かの理由をでっちあげて、私達だけで林へ向かいます」
「もちろん、それで完全に対策出来ているとも思いませんが……」
「まあ、思いっきり怪しいからな。でも、やらないよりは……か」
もしも護衛にと連れて行った兵士が既に操られていたならば。
今までは問題ない行動だと見逃されていたとしても、林に何か手掛かりがあったとしたら話は変わってくる。
その場で襲われる可能性もあるし、そもそも組織そのものに隠れられてしまう可能性も高い。
「……はあ。頭が痛くなってしまいますね。誰も彼もを疑わねばならないとは……」
「フィリアは普段から疑わなさ過ぎだから、むしろそれでバランス取れてるのかもな」
そんなところで帳尻を合わせる必要などどこにも無いのです……
この件については、ジャンセンさんやマリアノさんとも相談出来ない。
パールやリリィにさえも、だ。
私とユーゴと伯爵の三人だけ。
私と、異世界から来たユーゴと、洞窟の中に隠棲する伯爵だけが、この問題を共有している。
「こればかりは論じてもなんともなりませんね。もう今日は休みましょう」
明日は晴れてくれると良いのですが……
私がそう呟くと、ユーゴはちょっとだけ笑顔を見せた。
「なんか、遠足の前の子供みたいだな」
「子供……はあ。幼稚だと言われたり、かと思えば歳を上にばかり間違えられたり、子がいると勘違いされたり」
「私はいったい、はたからはどのように見えているのでしょうか……」
もしかしたら、私の中の最大の悩みはこれなのかもしれない……
そう思えるくらい大きなため息が自然と出てしまった。
そんな私に、ユーゴは苦笑いを浮かべるばかりだ。
その……せめて何か言ってください。
「……では、また明日」
「ん、晴れたらな」
雨なら雨で、その時は役場の仕事を手伝ってくださいよ。
部屋を後にする彼の背中にそう投げかけて、私はそのままベッドへと入った。
晴れならば、明日は大変な調査になるだろう。
馬車で向かう道を歩いて行くのだ。
今はとにかく、書類仕事でくたびれた体を休めないと。
翌朝、私は久しぶりにひとりでに目を覚ました。
もちろん、宮にいる時にはユーゴも私を起こしには来ない。
でも、比較的危険な遠征先では、いつもいつも起こしに来てくれていたから。
「……では、このヨロクにはそう脅威を感じていない……ということなのでしょうか」
もしそうなら、それは朗報だ。
ここは魔獣の脅威と戦い続けてきた街だ。
それが危険でないと判断されたということは、魔獣の勢いが落ちてきているという可能性が高い。
もっとも、彼の魔獣に対する危機意識が麻痺してしまっているだけ……という可能性もあるが。
「フィリア、起きろ……起きてるのか。珍しいな」
「おはようございます、ユーゴ。今朝は少しだけ遅かったですね」
「いえ、貴方に起こして貰わなくても起きられるのですが……」
そんなに遅かったつもりも無いけど。と、ユーゴは首を傾げて、カーテンを開けて空を眺めた。
そこには、まだ雲こそ残っているものの、その隙間から降り注ぐ日の光が輝いていた。
「晴れましたね。良かった、雨が続いたらどうしようかと……」
「……洗濯物溜まってイライラしてるおばちゃんみたいだな」
おば……っ。
貴方が率先してそういうことを言うから、私は毎日のように悩まなければならなくなっているのですよ、もう。
「じゃあ、俺はもう仕度出来てるから。早くしろよ」
「はい、すぐに」
ユーゴはこくんと小さく頷いて、そして部屋から出て行った。
もう仕度出来ている……とは、相変わらずの早起きと生真面目さだな。
宮にいる時にもこうなのだろうか。
もしそうなら……彼の勤勉さは、もはや強迫観念にも近いものなのかもしれないな。
身支度を整え、朝食を済まして、そして私達は役場を出た。
街の外へ魔獣の様子を見に行ってくる。
砦の方ではなく、住宅街に近い場所――被害が出ては困る場所を中心に。
そんなでたらめを役人に言い残して。




