第百三十二話【苦悩する吸血鬼】
「――よく来たのであーる――っ! フィリア嬢! 歓迎するのであーる!」
「お久しぶりです、バスカーク伯爵。お元気そうで何よりです」
前回の訪問から三日後。伯爵からの連絡を受けて、私達はすぐにまた彼の屋敷を訪ねていた。
以前感じた寂しそうな声色はどこにも無く、忙しさや悩みからはとりあえず脱せられたのだなと安堵する。
「先日はすまなかったのであーる。せっかく訪ねて貰ったというのに、顔も出せなかった非礼を深くお詫びするのであーる」
「いえいえ。むしろ私達の方こそ、いつも突然の訪問になってしまって、申し訳ない限りです」
私も伯爵も揃って頭を下げあって、そして一緒になって笑顔になった。
なんにしても、またこうして話が出来るのだから、問題はどこにも無い。
先日の伯爵を非礼と言うなら、普段の私達を無遠慮としてお互いさまということにしよう。
「ところで、はて。先日はもうひとり子供がいたように記憶しているのであーる。あの子はなんだったのであーる? そちの妹であーる? それとも、フィリア嬢の娘であーる?」
「むす……いえ、あの子はですね……」
だから、私はまだあの歳頃の子供がいるほどの歳ではないのだと……こほん。
きょろきょろとわざとらしく私とユーゴの背後を探す伯爵に、エリーは特別隊で――元は盗賊団で馬の世話をしている、腕の良い馭者であると説明する。
そして同時に……
「今日はですね……その……先日の一件が怖かったみたいで……」
真っ暗な洞窟の奥で、声だけが聞こえて姿が見えない伯爵と呼ばれる謎の存在。
それは、まだ幼いエリーには少々恐ろしいものだったみたいだ。
あの時はそう怯えている様子も無かったが、もう一度わざわざ確認しに行こうとは思えないのだろう。
今日もここへ来ると伝えると、馬車をゴルドーに任せて馬房へと隠れてしまったのだった。
「そうであったか、あの盗賊団の」
「ふーむ、初めの頃は国を荒らす賊という認識であったというのに、ふたを開けてみればなんとものどかな組織だったのであーる」
「のどか……かどうかは私からは断言出来ませんが、しかし平和を求めて立ち上がった人々であることは確かです」
「エリーのような子を守る為に、町や村を維持し続けてくださっていました」
伯爵は私の言葉に満足げに頷いて、そしてこれまたわざとらしく咳ばらいをひとつした。
こんな和やかな世間話をしに来たわけではないだろう、と。確かに。
「では、報告させていただきます」
「チエスコとカンビレッジを道路で結び直し、そして私達はそこから更に東――魔獣の姿の確認出来ない林の向こう、ナリッドの街を訪れました」
幸い、街はまだ形を残していて、ぎりぎりではありながらも、人々は生活を繋いでいてくれた。
私はあの街を、あの一件を、良い出来事として扱いたい。
もちろん、生活が苦しいことも、まだまだ問題が山積みであること――それらがひとつとして完全には解決していないことも理解した上で。
「街の状況を見て、私達は他の地域に関しても似た状態にある可能性が高いと認識しています」
「もちろん、魔獣や地形の条件が全く違いますから、あくまでも類似という話です」
「生存の為に生活を縮小させて、魔獣に怯えながら暮らしている……と」
だからこそ、他の地区についても解放を急がなければならない。
その為の資金問題に悩まされている真っ最中だが、言葉にすればとてもへこたれていられる状況ではないという認識が強まる。
「ヨロク、ウェリズ、そしてカンビレッジで確認されていた、魔獣をはじめとした生物のほとんどが住まない地域についても、少しずつ見当が付き始めています」
「重ね重ねになってしまうのですが、伯爵にはその件についての調査を依頼したいのです」
そして今、私がすべきは資金の問題を解決すること……だけではない。
それが解決した後、まだ何も分かっていないからと手をこまねくような無駄を避けねばならない。
よって、全ての最終防衛線範囲外の街への遠征における最大の障壁――魔獣ですらない何かしらの脅威についての情報を、ここで集めてしまわなければならない。
「以前にお話しした、チエスコで発見した魔獣の幼体の話を覚えていらっしゃいますでしょうか」
「どうにも、その件が関わっている可能性が高い……と、まだ推測の域を出ませんが……」
「ふーむ……人為的に造られた魔獣と、魔獣の住まない地域……であるか」
「確かに、チエスコからナリッドは近いのであーる。しかし、だからこそそれが関係深く見えるだけ……という可能性は無いであるか?」
「フィリア嬢は、いかような理由でそのふたつを結び付けたのであーる?」
それは……それには確固たる理由は無い。
状況証拠と、そしてマリアノさんの言葉が不気味なほどすっぽりと疑問の穴に当てはまってしまったから、そうではないのかと思ってしまっているだけなのかもしれない。
「……伯爵もご存じの通り、特別隊にはマリアノさんという方がいらっしゃいます」
「もともとは盗賊団の中の、特に重要な人物でした。素性の分からない頃に調査をお願いしたこともありましたね」
「覚えているのであーる。あの怪力少女がどうかしたのであーる?」
ああ、そういえばその誤認がまだ……と、それは今更もういい。
私がヨロクやカンビレッジにある異変とあの魔獣の幼体とを結び付けて考えているのは、マリアノさんがそれを結び付き得るものだと言ったから……というだけ。
異変が起こっているのは、ウェリズ――国の西部。
ナリッド――国の東部。
そしてヨロク――それらよりもずっと離れた、最終防衛線の最北部。
この三か所に、それぞれ飛び地のように奇妙な地域が存在する。
「通常の魔獣や自然現象であれば、移動か、或いは侵食、感染といった痕跡が繋がって広がる筈です」
「しかし、この問題にはそれが無い」
「東端と西端、そして北方の離れた場所にまであるというのに、類似例が全く見当たらないのです」
「ならばこれは、人為的に海路を通じて運ばれているものではないか……と」
「マリアノという少女がそう言った……と? ふぅーむ……確かに、筋は通しているのであーる」
そういう可能性があると彼女が気付いたのは、奇しくも全く同じ海路を私が拓いたからだった。
そしてそれを馬鹿げだ妄想だと無視してしまえなかったのは、どうしてもその共通点が気に掛かったからだ。
「魔獣がいない……というだけではありません」
「ただの動物も生息しない、こんなものは異常という言葉さえも不適切な異変です」
「これら三つがそれぞれ独立した問題であると考えるのは、それこそ現実から目を背けているだけだと思いました」
「マリアノさんの言葉をひっくり返すだけの根拠が無いという理由ではありますが、十分に信ぴょう性のある話かと」
「それについては、我輩からも反論の余地が無いのであーる」
「あの少女、以前調べた活動から武闘派かと思っていたのであるが、理知的な考えもしっかり持っているのであーる」
「それが味方となったのなら、これ以上心強いものはないであーる」
それはもう、本当に。
マリアノさんもジャンセンさんも、頼もしいことこの上ないのだ。
だが、そのふたりを以ってしても、調査に踏み出せなかった問題なのだ、これは。
私達の調査能力だけでは、とても。
「ナリッドの状況確認も兼ねて、どうか街の周囲を調査していただけませんか」
「もしかしたら、北の組織にも通じる問題なのかもしれません」
「順当に想像するなら、この問題はまずウェリズから入って来たと考えるべきです」
「そこからナリッド、そしてヨロクへ」
「西から東、そして北へ」
「そのヨロクよりも更に北は、現在は全く調査出来ていないのですから……」
「……運び込まれた何かが、例の魔術師とも関係深そうだ……と。確かに、気味が悪いほどしっかりと答えが当てはまるのであーる」
「しかし、それを気の所為、深読みだと無視するには危険が大き過ぎる。まっこと困った話であーる」
んふー。と、伯爵は口を閉じたまま大きくため息をついて、珍しく眉間に深いしわを刻んで頭を抱えてしまった。
伯爵には南方の調査もお願いしてある。
これ以上は請け負いきれない……と、悩んでしまっているのだろうか。
「ユーゴ、そちはどう思ったのであーる?」
「そちは他の誰よりも正確に魔獣を感知出来るのであーる。そんな能力を持つそちの目から見て、この件はどう映るのであーる」
「……別に、魔獣を見付けられるからってそんなの分かるわけないだろ」
全くその通りであーる。と、伯爵はまた大きなため息をついてそう言った。
そうだ、ユーゴですらはっきりと認識出来ない脅威があの三つの場所にはあったのだ。
それぞれが別だなんて、とても考えたくはない。
伯爵はそれからしばらく、唸り声を上げながら考え込んでしまった。
私の依頼を受けるかどうか……でなく、どうすればそれを調べられるかと悩んでいるのだろう。
ぶつぶつと……きっと本人なりにはぶつぶつと呟いているつもりなのだろう独り言が、まるで演説のように屋敷の中に響いていた。




