第百二十九話【身の回りの変化】
魔獣を倒し、工期を定め、指示書を残す。
そうして数日のナリッド滞在を終え、私とユーゴはランデルへと帰った。
数こそ問題だったものの、魔獣が特別な動きを見せることもなく。
人手も資金も不足したままながら、防壁と道路の工事は無事進められそうだった。
「はい、承りました。お疲れ様です、陛下」
「この一件は必ず議会にも意識改革をもたらすでしょう。この国は、たった今にも変わろうとしているのだと」
「ありがとうございます、リリィ。そうですね、変えなければなりません。今出来ることだけでも」
宮へと戻った私は、此度の報告と、そしてそれに伴って発生した工事や支援の予算案の議会への提出を急いでいた。
ジャンセンさんとも話し合った結果、どうあっても井戸と医者、それから医療品については急務であると結論付けられたのだ。
疲弊しきっている街の人々にとって、変革とは多大なストレスに他ならない。
その点に対してのケアをしないのならば、私達はただの迷惑者となってしまうだろう、と。
「では、本日の定時会にて私から提出してまいります。陛下は少しお休みになられてください。今は特に急ぎの仕事もありませんから」
「はい、そうさせていただきま……? リリィ……? わ、私は休んでも良いのですか……?」
仕事も無いのに働かせたりはしませんよ……? と、リリィにひどく怪訝な顔をされてしまった。
そ、それはそうだが……
「……はあ。最近の陛下は、以前とはずいぶん変わりましたね」
「私やパールがうるさく言わなくても真面目に働きますし、逃げ出そうともしない」
「いえ、なんだかんだと言って、以前も最後の最後には向き合ってはいらしたのですが」
こほん。と、リリィはひとつ咳払いをして、どういうわけかユーゴのいる方へ……この執務室から少し遠い彼の部屋の方へ向かって小さく頭を下げた。
ユーゴに向けてのものだとすぐに分かったのは、私にも自覚があったからだろうな。
「ユーゴさんのおかげでしょうね。陛下は以前よりもずっとずっと強く自覚を持っていらっしゃるように見えます」
国を救う、民を守る。その言葉は昔と変わりませんが、そこに実感を持てるようになったのでしょう。
彼女はそう言って、今度は私に頭を下げて執務室を後にした。
実感が目の前の問題を鮮明にし、それに対処しなければとモチベーションを高く保つ。
実感が……成功の実体験が、私の中に明確な動機を湧き上がらせてくれている。
「……そうですね。ユーゴのおかげで、私はこの国を救えると本気で信じられたのですから」
ユーゴのおかげで、まだ先の見えない道へと踏み出せた。
その結果、ジャンセンさんという頼もしい協力者に出会えたのだ。
リリィの言う通り、それ以前の私は言葉ばかりで、どうすればそれを成せるのかという部分からは目を背けてしまっていた。
とても出来そうにないから、と。
「それにしても、まさかリリィに休んで良いと言われる日が来るとは思っていませんでしたね」
「それに、いざ言われてみれば、どうしていいのかも分からない」
私はこの場にいないユーゴに話しかけるように独り言をこぼした。
ぼそぼそと呟くのではなく、本当に彼に語り掛けるように。
何故そうしたかは……私にも分からない。
多分、最近はユーゴがいつもそばにいたからだ。
いつも話し相手になってくれて、相談に乗ってくれたから。
困ったら彼に話しかけようという、これはあまり良くないことだが、一種の思考停止に陥っているのだろうな。
「困りましたね、本当に」
「前はあんなに休みたかった、仕事から逃げたかったのに、今になってその時間を与えられてみれば、何をしたいのかが思い浮かばない」
「いえ……昔から何かをしたくて休みたかったわけでもないと思いますが」
何かをする時間が欲しかったのではなく、行き詰まった現実から目を背ける時間が欲しかっただけなのだろうな。
これを本当になんとか出来るのかと打ちのめされるのが嫌だったのだろう。
「……今では、なんとか出来る、なんとかしてくれる方がいますから」
「そんな方々に期待して貰いたくて、今ではむしろこの時間がもどかしいとすら感じてしまう」
「やはり、私は単純だったのですね」
「よく分かんないけど、それは俺もそう思う。で、ひとりで何言ってんだ、お前」
っ⁉
大きく腰を逸らして伸びをしながら話しかけていると、そこにいない筈だったユーゴから返事が返って来たではないか。
慌ててドアの方を向けば、そこにはつめたーい目をしたユーゴの姿があって、今にも頭がおかしくなったのかと言われてしまいそうな空気が流れていた。
「頭がおかしくなったんだな、遂に」
「まあ……いや、俺の所為かもしれない。やっぱり、あの時変なとこで無理矢理飯食っておかしくなったんだ。ごめん」
「っ⁈ ほ、本当に言わないでくださいっ。それに、その件は関係ありませんっ」
「ユーゴの所為……という部分は、遠からずといった感じですが……」
ホントに俺の所為なのか。と、ユーゴはちょっとだけ焦った様子で、ドアを閉めて速足でこちらへやってきた。
ユーゴの所為……と言うか、ユーゴのおかげと言うか。
「いえ、そのですね。最近はユーゴと会話をする時間が増えましたから。どうにもその癖が付いてしまっていて」
「……なんだよ、俺関係無いだろそれ」
「やっぱりフィリアがおかしくなっただけだ、勝手に人の所為にするなよ」
いえ、なので遠からず……という話でして。
ユーゴはちょっとだけ不機嫌になって、せっかく近寄ってくれたのに、また少し離れたところに座ってしまった。
いつもならリリィやパールに教わりながら仕事を手伝っている席に。
「それで、お前サボってていいのか? リリィがいないからって、そんなんだと後でバレて怒られるぞ」
「……貴方の中ではまだまだその印象をぬぐえていないのですね……」
「そのリリィから休むようにと言われたのですよ。今は仕事も無いから、と」
ユーゴは私の言葉に目を丸くして、珍しいこともあるもんだなと小さく呟いた。
私にぎりぎり聞こえるくらいの声量だったのは、きっとわざとなのだろうな。
「……なら、今は暇なんだよな? だったらまたカスタードのとこ行くぞ」
「ナリッドのこと、見といて貰うんだ。俺達がいない間にアイツらがサボるといけないからな」
「伯爵に……そうですね」
「今回の遠征で得た情報も共有しなければなりませんし、それにあの林の中にあったであろうものについても調査をお願いしたいところです。早速馬車を準備させて……」
あっ。と、ふたりして声を出して、そして全く同じタイミングで頭を抱えてしまった。
そう……だった。そういえば、今のランデルには――宮で活動する私達にはこの問題もあった。
「軍の馬車は借りられませんから、当然特別隊の力を借りる……のですが……」
「多分……やっぱりそうだよな。んで……アイツ絶対行きたがるよな」
フィリア! と、もう既に幻聴が聞こえてしまっていた。
事前の申請無しに軍の力は借りられない。
伯爵の下を訪れるにも、今からすぐにとなれば特別隊の馬車を使うしかない。
のだが……その馭者であるエリーが……
「伯爵は子供に寛容そうでしたから、彼の気を害するという心配はあまりしませんが……」
「流石に洞窟の中で迷子になられたらヤバいな。でも、だからって馬車に残してったら……」
それこそ後を追ってひとりで洞窟に入って来かねない。
そうなったら、あんな暗くて入り組んだ道など、迷わないでいられるとは……
あの子の体力を思えば、日も当たらず食料も望めないあの中では、一日もすれば衰弱し切ってしまうだろう。
「手を繋いで……も、足下に不安がありますから。転んで怪我をする可能性も……」
「いや、そのくらいは平気だろ……それよりむしろ、フィリアに任せたらふたり纏めて迷ったりしそうだ」
いくらなんでも、もうあの場所では迷わない自信があるのだが。
何度訪れたと思っているのか。
私とて、もうひとりでも問題無いつもりではいるのだ。
しかし、どう考えてもエリーを連れて行くことには不安が付き纏ってしまう。
「けど、明日になったら今度は仕事で忙しい可能性もあるもんな。行くならやっぱり今な気はする」
「……そうですね。はあ。こうなったら、エリーのことは負ぶって進むしかありません」
「ユーゴ、普段よりも少しだけゆっくりお願いしますね」
分かった。と、ユーゴは渋々ながらも頷いてくれた。
うん、やはり今日訪れた方が良い。
明日がダメでもその次なら、或いはその次の次なら……と、時間のある日はいつか訪れるだろう。
だが、やはり伯爵には多大な恩がある。後回しになど出来るものか。
私とユーゴは、魔獣を相手する時よりも強い決意を固めて宮を出た。
そうして向かった先で、やはりあの幼い少女に出迎えられる。
フィリア! と、元気いっぱいに駆け寄ってくる姿は、本来ならば癒されるだろう愛らしいものなのに、今はもう……ただただ不安を煽るばかりだった。




