第百二十八話【決定権】
翌朝もまたユーゴに起こされて、私は少し肌寒い朝に目を覚ました。
どうやら今日は雨が降っているらしい。水の跳ねる音が聞こえてくる。
「川、どうなってるかな。今日も見に行くつもりだったけど」
「この後の天候次第ではありますが、あまり近付かない方が良いでしょう」
「それに、雨が強くなれば魔獣も巣穴にこもるでしょうし」
もっとも、そうとは限らないのが魔獣の厄介なところだが。
雨を好む動物もいる、それは間違いない。
そういった動物の特性を持った魔獣は、当然雨の中でも活動する。
しかし、そうでない魔獣も、時には雨に打たれながら暴れまわるのだ。
体温が下がることなどお構いなしなのは、いったいどういう仕組みなのだろう。
「またジャンセンさんとも相談しましょう。魔獣の様子次第では、工事も始めてしまいたいですから」
「……まあ、俺達だけで勝手に決めるのは良くないとは思うけど……」
けど……? ユーゴはどうも歯切れ悪く口をもごもごさせていた。
何か気になることがあるのだろうか。
ジャンセンさんには打ち明けたくない――打ち明けづらい何かに気付いた、とか。もしや……
「……ユーゴ、何かに気付いたのですか……? それはもしや、北にあるという組織と関係が深そうな……」
ジャンセンさんは――彼らは皆、北の組織に属しているという奇怪な魔術師と接触している可能性が高い。
その魔術師というのが、人の心を操作出来得るかもしれないとバスカーク伯爵からの報告にある。
そこに気取られない為に、私もユーゴも、その組織についての話題を彼らの前では意図的に避けてきた。
「まさか、こんなところで足取りを掴めるとは」
「ユーゴ、何を見たのですか? それが例の魔術師と関係深そうだと思った理由……いえ、貴方の場合は、感覚的な部分で捉えたのかもしれません」
「それと似た感覚を、他の場所でも……」
「違う違う、なんだそれ」
「話に聞いてるだけで、別にそいつらのことなんて何も知らないのに、なんでそれと関係してると思えるんだ。そんなのは流石に分かんないぞ」
……そ、それもそうだった。
知らないものは分からない。その噂の魔術師についても話に聞いたというだけで、名前も顔も声も何も知りはしないのだ。
だが、しかし。その問題が関係無いとすると……
「……なんでもかんでもアイツに相談するの、なんか癪だから」
「やることは決まってるんだから、雨くらいでいちいち確認取らなくていいだろ」
「……そ、そんなことで意地になって……」
なってない! と、ユーゴは明らかにムキになって声を荒げた。
まあ、負けず嫌いを悪いものとは言わない。
だが、不必要なところで意固地になってしまうのは良くないことだ。
「安全確認と、それに予定が決まっているからこそ、それに沿わない行動は慎まなければなりませんから」
「私とユーゴだけではないのです。組織としての活動指針の邪魔になるようなことは……」
「分かってるよ、うるさいな。分かってるけど、そういうのを決めるのもフィリアの仕事だろ」
「なんでもかんでもあんなやつに聞かなきゃ決められないの、子供みたいでみっともないぞ」
うぐぅっ……ど、どうしても急所を抉らなければ気が済まないのですか、貴方は……
しかし、未熟を自覚しているからこそ、そして私の決定が大勢の安全を左右するからこそ、ひとりで決めてしまわないことが大切で……
「……そうですね、まずは自分ひとりで考えてみないと」
「今の雨の様子はどうですか? この後の天気は私では分かりませんが、今の川の状態くらいは予想出来ます」
「それをもとに、現段階での予定を組みましょう」
「お、おう。なんかやる気だな、分かんないけど」
雨はまだ小降りだが、しかし大きな水たまりが見える。
ということは、夜の間にたくさん降ったのだろう。
なら、この後は晴れるだろうか。
それとも、もう一度大降りになるだろうか。
空を見ても真っ暗で、とてもこの後の天気などは想像も出来ない。となれば……
「川は増水している可能性が高いですね。そして、この後落ち着くとも思えない」
「なら、私達も街の仕事を手伝いましょう」
「こうして小屋をひとつ建てて活動拠点は確保しましたが、まだこれは一歩にも満たない前進です」
「街の仕事……って言うと、街の建物とか道路を直すとか?」
それは確かに優先度が高い仕事だろう。
暮らしやすくなれば、街の皆にも活気が戻る筈。
安全な生活を担保して貰えるかもしれないという期待は、間違いなくこの街に一番必要なものだ。
ユーゴが魔獣を倒してみせたことで、今この街には前向きな疑念がくすぶっている。
もしかしたら、このまま魔獣に怯えずに済むようになるかもしれない、と。
「……決めました。まず、多くの期待を寄せて貰うのです」
「魔獣を倒す、建物を直す、道を作る、人が来る」
「目に見える効果は望めないかもしれませんが、こういった部分をないがしろにしては、皆も私達を信頼し切れませんから」
「決めたならまあいいんじゃないのか。どっちにしても、俺はフィリアが決めた通りにするだけだし」
はて。そういえば、その話で行くのならば、ユーゴのこのスタンスはどうなのだろうか。
自分で決めろと言う彼が、私の決定に従うと言っているのは、言葉の上ではやや矛盾して感じてしまう。
もちろん、そこにはちゃんと彼なりの考えや苦悩もあっただろう。が……
「……そういうユーゴも、私に決めて貰ってばかりですよ。貴方は何かしたいことなど無いのですか?」
さっき容赦なく痛いところを抉られてしまったお返し……ではないけれど。私は少しだけ意地の悪い問いを投げることにした。
別に、嫌味が言いたいわけではない。
彼の本心がどこにあるのか――彼が何を考えて私を信頼してくれているのかが知りたい。
やはり、まだ私はユーゴのことをあまり知らないままだから。
「俺……? 俺がしたいことはいつも言ってるだろ」
「俺は強いのと戦いたい、この力をもっともっと使いたい。強くなりたいし強くなったって実感を得たい」
「でも……それを俺の考えだけでやるのは……」
「……怖い人になってしまうから……ですか。ふむ……」
意外でも何でもないが、彼の考え、価値観は、ブレないのだな。
それを私に打ち明けてくれたのは、もういつだったかもおぼろになるくらい前のことだ。
ジャンセンさんと手を取り合う前どころか、まだ盗賊団というものがなんであるかも分かっていなかった頃だったろう。
「……それに、そういうのはフィリアがやりたいことなんだろ。やりたいことなのに人に決めて貰うのがダメなんだぞ」
「俺は俺のやりたいことは自分で決めてる。その上で、それをやり過ぎるとダメだから、ある程度のとこでフィリアに任せてるだけだ」
「……ユーゴは本当にしっかりした考えを持っていますね。なんだか……」
意地悪をした自分が恥ずかしくなってきた。
もっとも、彼の言葉にも多少の思考停止を感じなくもない。
私に決めて貰う……という部分は、もっと大勢に決定を委ねてみるとか、私を疑ってみるという過程を経ていない。
そういう意味で、彼の決意はやや未熟にも感じられる。
だが、未熟であろうと決意は決意。筋を通してきている。
「……自分で決めないとダメだぞ。自分で決めたから、俺はこうしてここにいるんだ。決めなかったらきっと……」
「自分で決めたから……それは、国を建て直すという私の望みを、共に目指しても良いと決めたから……ということでしょうか」
「それとも……? ええと……ユーゴ……?」
ユーゴは少しだけ暗い顔で唇をキュッと噛んでいた。
もしや、彼は何かをこらえて今の立場にあるのだろうか。
私が声を掛けると、ユーゴは目を伏せたままそっぽを向いてしまった。
「もしかして、何か嫌なことがあるのですか……?」
「その……私が思っている以上に、ジャンセンさん達と協力するのに抵抗が……」
「……別に、そういうのじゃない」
なら……と、私が深く尋ねようとしたのを察知してか、ユーゴは立ち上がって部屋から出て行ってしまった。
機嫌を損ねてしまった……わけではないらしい。
その後すぐに、決まったなら早く皆のところへ行こうと声を掛けてくれた。
「……何か悩みがあるのなら、すぐに相談してくださいね」
「ユーゴにはたくさん助けていただいていますから。たまには恩返しをしないと」
「別に、何も無いって。そんなこと言ってると、さっき決めたこと忘れるぞ」
わ、忘れませんよ、そんなすぐに。
私達はそうしてジャンセンさん達の待つテントを訪れて、今日の予定について案を伝えた。
マリアノさんからは悠長だと反発されたが、今日のところは私の考え通りに予定を進めることになりそうだ。




