第百二十二話【担うもの】
馬車から降りた私が目にしたのは、想定していたよりもずっと綺麗なままの街並みだった。
もっとも、それは本当に最悪の状況をも想定していたというだけで、目の前にあるナリッドの街が、他の街よりもずっと綺麗に残されているという意味ではない。
間違いなく魔獣の被害はあって、それでもまだ無事に耐えているという程度。
「フィリアちゃん、ごめん。やっぱり泊まれそうな場所は無かった」
「明日には小屋くらい建てるけど、今日は……」
「はい、それくらいは予想していましたから大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
今日は馬車の中で一夜を過ごす。ジャンセンさんは凄く申し訳無さそうに私に告げた。
もちろん、その可能性は理解していた。
むしろ、最初からそのつもりだった。
けれど、それで気になるのは私ではなく、ここまで戦ってきた皆の体力の方だ。
「これから港へ人を遣って、海の部隊に合流して貰う。到着は明日の昼になるのかな」
「そしたらまた街の外へ出て、出来る限り魔獣を蹴散らす。俺ならこうするけど、どうかな」
まだ苦い顔のままだったが、ジャンセンさんは早速この街の……いいや、地区の解放の順序を考え始めていた。
何よりも、魔獣の数が多過ぎる――人に対しての数が相対的に多過ぎるのが問題だ。
踏みとどまってくれてはいたが、しかしそれは維持のラインにも至っていない。
間違いなく消耗していて、いつ崩れ去るかも分からない。
そんな彼の言葉は、何もこのナリッドの街だけを指すものでは無いのだろう。
「……そうですね。道中の戦闘の多さを思えば、魔獣の駆除は急務です」
だが、私は彼の提案に頷くのを一度だけ待った。
決定権は私に。ユーゴはそう言った。
ジャンセンさんも、その上で栄誉を受けるべきだと言った。
ならば、ただ人の言葉に乗るだけではいけない。
魔獣の駆除が急務なのは間違いない。
それはどうやっても覆らない問題だ。
だが、だからといって今から使者を出す……というのも、危険極まりない行為だろう。
「……連絡は明日、日が昇って明るくなってからにしましょう」
「ジャンセンさんもマリアノさんも、明日は拠点の建設に力を尽くしてください」
「皆に休息を与えねば、死者が出なかったという喜ばしい結果も無駄になってしまいかねません」
「……うん、分かった。フィリアちゃんがそう決めたなら従う。だけど、それで本当に大丈夫?」
「そりゃね、一日やそこら急いだところで、事態が急激に良くなるだなんてことは無い」
「だけど、一日を生き残るのに必死な現状も間違いなくある。少なくとも、俺達の価値を街に見せ付けないと」
受け入れて貰えない可能性が高い……だろうか。
ジャンセンさんはその部分だけは言葉にしなかった。出来なかったのだろう。
私とてそれは口に出来ないし、するにしてもきっと相応の覚悟が必要になる。
以前ならば……ジャンセンさん達と手を取り合う前だったならば、もしかしたら簡単に言ってしまったかもしれないけれど。
「……理解しています。ですが、それを背負う覚悟を持って立ち上がったつもりですから」
この街は、誰からも救われずにここにある。
国に捨てられ、盗賊団による援護も受けられなかった。
そういう事実がここにあり、その結果が眼前に広がっている。
私は王だ。私は国を代表するものだ。
私は――この街を切り捨てたものだ。
それは間違えてはならない。
「――ああ、そういうことか。フィリア、珍しくまともだな、今日は」
「はい、お願いします、ユーゴ」
私とジャンセンさんの間に割って入るように、ユーゴはちょっとだけ嬉しそうに笑って口を挟んだ。
そんな彼の姿にジャンセンさんは首を傾げている。
そんな彼と私のやりとりに……か。
「――魔獣の討伐作戦は決行します。その為に温存していた戦力がこちらにはありますから」
「――っ! い、いやいや……いやいやいや! 待って、待った、待ちなよ! それは流石に――」
うるさい。死ね。黙れ。臭い。と、制止しようとしたジャンセンさんに、ユーゴは砂を蹴り付けて口を尖らせた。
相変わらず口は悪いが、しかしその根っこにあるものは心配だろう。
「バカにすんな。あの程度の魔獣、俺ならすぐだ」
「そもそも、ずっとそうやってたんだ。フィリアが色んなやつに手を借りるから出番が減ってただけで」
「いや、そうは言っても……お前の力はそりゃ信頼してる。だけど、数が数だ。だってお前……」
だって。と、言葉を濁して、そしてジャンセンさんは視線を私へ向けた。
言いたいことは痛いほど分かる。
自分も自分を不甲斐無い王だと、情けない大人だと、弱い人間だとは思う。
けれど、前はそうだったから、と。ユーゴがそう言ってくれるなら。
「はい。私とユーゴだけで魔獣の討伐に向かいます」
「もっとも、私が付いて行っても何も出来ません。出来ませんが……ユーゴが戦うのなら、そばにいなければ」
「邪魔なだけだけどな。でも、お前らのとこに置いとくのも危ないし」
「フィリアひとりくらい、守りながら戦っても余裕だからな」
お前とは違うんだ。と、ユーゴはそう言ってぷいと顔を背けてしまった。
ジャンセンさんは頭を抱えたまま唸り声を上げ始めて、何をどう伝えればこの暴挙を食い止められるかと考えているのだろう。
まったく……ほ、本当に申し訳無いとは思っています……
「すみません、ジャンセンさん」
「ですが、私はどうにも……その……どうしようもないくらい楽天家で、歩みの遅い人間です」
「現場をこの目で見ない限り、私は皆の期待から遠く離れた答えばかりを出してしまう気がするのです」
「……はぁー……そっか。そっか……そっかぁ……はあ」
「うん、分かってる。フィリアちゃんが意外と頑固なの、分かってるから」
「分かってるから……変なこと言い出す前にこっちから提案したんだけどなあ……っ」
す、すみません……
けれど、ジャンセンさんは何度も何度もため息をつきながらも、私の言葉を否定しようとはしなかった。
私の覚悟を――私が描いた理想の王の姿を、他の何かに書き換えてしまおうとはしないでくれた。
「……ユーゴ。絶対だぞ。絶対――絶対も絶対、マジで怪我ひとつさせるなよ。勝手に転んで……とかの言い訳も無しだからな」
「転ばせるな、走らせるな、っていうかもう歩かせるな。座って待ってても平気なようにしろ」
「最初からそのつもりだ。放っとくわけ無いだろ、目離したらどこ行くか分かんないのに」
ふたりは私をなんだと思っているのだろうか。
その警戒は、以前私がエリーにしたものだったと思う。
まだ十歳にも満たないであろう少女と同等の扱いをされるのは、いくらなんでも遺憾なのだけれど。
「せめて姉さんだけは連れてって……って言いたいんだけどな」
「おい、このバカガキ。さっさと俺達にも心開けよな。マザコンが過ぎるぞ」
「誰がマザコン……誰が誰の親だ」
「別に、フィリアを守るのはそういう約束があるからってだけだ」
「あと、コイツがいないと俺も好きには戦えなくなりそうだし」
っぐぅ……
だ、誰がこんなに大きな子を持つ母親ですか……っ。
私とユーゴとは、それなりに離れた姉弟くらいの年齢差なのだが、そんなにも私は歳をとって見えるのだろうか。
凄くどうでもいい言い合いの流れ弾に傷付いていると、そんなふたりを見かねてマリアノさんがこちらへ来るのが見えた。
「おい、このバカ。何遊んでンだ。連絡隊出すんだろ、さっさと支度しろ」
「あー、姉さん。そのことなんだけど……ほら、フィリアちゃん。ちゃんと自分で説明して」
っ⁈ そ、そういうのは卑怯だ。
連絡は明日にする、そして皆には拠点設営に尽力して貰う。
魔獣を倒すのは私とユーゴだけでいい。と、そんなことをマリアノさんに面と向かって言えば…………ぜ、絶対に怒鳴られる……っ。
そう怯えて言葉を撤回するだろうと手を打って来たか。
「……すう……はあ。そ、その……マリアノさん。港への連絡は明日、日が昇ってからにします」
「そして、皆には……マリアノさんも含め、特別隊全員には、このナリッドでの活動拠点を建設していただく予定です」
「もちろん、魔獣の駆除という価値を街に見せる必要も理解しています。なので……なので……」
すう。と、大きく息を吸って、そして……最悪叩かれる覚悟を持って、私はマリアノさんに告げた。
明日は私とユーゴだけで街の外へ出る、と。
告げて……言い切って……歯を食い縛って目を瞑って、いつ叩かれてもいいようにと身構えて……
「ん、分かった。ならアイツらはいったん休ませる」
「デカ女、お前もちゃんと休んどけ。ジャンセン、テメエはまだ仕事あンだ、さっさと戻ってこい」
「……え? あ、えっ、は、はい!」
アァ? と、怪訝な目で見られてしまったが、しかしマリアノさんはそれだけですぐにどこかへ戻ってしまった。
お、怒られなかった……? 呆れられた……感じでもなかった。
では……許可して貰えた……のだろうか。
「……姉さんで脅しても無理か、ちぇっ」
「ま、そこまで気持ちが決まってるならもう何も言わないよ」
「その代わり、本当の本当に約束してね。絶対に無事で……無傷で戻って来ること」
「小さい怪我ひとつすら許さない、どこから病気になるかも分からないからね」
「もしすり傷作って帰って来たら、二度と勝手は許さないから」
「……っ! はい、必ず」
ジャンセンさんは小さく頷くと、マリアノさんの後を追ってどこかへ行ってしまった。
そんな彼の背中を、ユーゴはなんとも恨めしそうに睨んでいる。
俺が守るんだから怪我なんてさせるわけない、だろうか。
なんとまあ、頼もしいことこの上無い。
「では、今日はもう休みましょう」
「討伐に出る……とは言いましたが、それ以外にも仕事はありますから」
「早い時間にそれを終わらせて、余裕を持たせて動けるようにしなければ」
「……ちゃんと寝とけよ。寝不足で帰り道にこけたとか、絶対やめろよ」
……本当に私をなんだと思っているのだろうか。
まるで小さな子を諭すようなユーゴの態度は遺憾だが、そんな彼の強さに明日は目一杯頼らせて貰おう。
馬車の隅っこで小さく丸くなった背中に、祈りを送って私も目を瞑った。




