第百二十話【機は熟し――】
季節が変わり、気温も随分高くなった。
チエスコの道路工事を始めたのも、造船の依頼を出したのも、もう何十日前のことだろうか。
「――全部隊揃いました、女王陛下。今一度、我々にご命令を」
「はい。では――ジャンセン=グリーンパーク、及び王室直属特別隊全隊員に命じます」
「これより、ナリッドの街の解放作戦を開始します」
「カンビレッジ、チエスコ、ナリッドをはじめとした主要都市の完全解放を以って、エールス地区の奪還を目標とします」
長い平穏が――準備期間が終わって、遂に私達は本格的な解放作戦へと移り始める。
ナリッドは、カンビレッジ以東に存在する最大の都市だ。
陸と海の両方から一気に進軍し、魔獣及び他の脅威となる勢力の排除を行う。
議会にその旨を伝え、私は宮を離れ、カンビレッジの砦にて、ジャンセンさん達に命令を下した。
「……ふう。ようやく全てが揃いました」
「もちろん、不安が無いとは言いません。これから向かう先の情報については、まだ何も分かっていないのですから」
「それでも、皆さんとなら必ず成し遂げられると信じています」
「うん、任せて。まずはこっから東――魔獣のいない奇妙な林を踏破する。問題無ければ、そのままナリッドまで突っ走ろう」
それで……と、ジャンセンさんは勢いそのままに盛り上がることはせず、神妙な面持ちで頭を抱えた。
彼が気にしている問題はその先。
林を抜けた先の地区がどうなっているのか、そしてそこへ海路から向かった部隊は無事に到着出来るのかという問題だ。
「ナリッドについては、俺達でも情報はほとんど得られてない。越えられなかったからね、あの林を」
「それも問題だけど、もっと気掛かりなのは海から行く部隊だ。準備期間があったとはいえ……だよね」
船乗りの不在や派遣する部隊の不足という問題は、準備の間にも完全には解決しなかった。
時間はあったから、国軍からも多少は兵を出すことも出来た。
けれど、彼らとて航海の経験は少ない。
そこへ特別隊の中からもいくらか戦力を分けてみたものの……
「はっきり言って、有象無象もいいとこだ。やっぱりそっちは補佐隊、本丸はこっち」
「姉さんとユーゴが早いとこ到着しないと、結局何も出来やしない」
「そうですね。連携を取る訓練も積んでいませんから、大きな戦闘になれば崩壊してしまう可能性もあります」
ナリッジにほど近い港へ船を着けたら、こちらからの連絡を待つようにと指示は出してある。
だから、私達との合流が遅れて部隊が壊滅する……という可能性は低い。
けれど、それはつまり、こちらの遅れが作戦全ての遅れになるということでもある。
「さて、それじゃあ最終確認だ。お前ら、ちゃんと話聞いとけよ」
「今回、イプシスへは向かわない。せっかく道路を通したけど、それより先にあの林を確認する必要があるからな」
あの場所が、もしも私達の予想以上に危険なものを隠しているのならば、迂回してナリッジを目指すのは愚策だろう。
ナリッジに他の脅威があった場合、最悪林からの脅威と挟み撃ちに遭いかねない。
いざという時の退路が限られてしまう展開にはすべきでないだろう。
「それから、最高指揮はフィリアちゃん……女王陛下だ。絶対に指示に従え。現場で何が起ころうと、自己判断では動くな」
「もしも問題を発見したら、すぐに姉さんかユーゴに報告しろ。んで、そのふたりからの指示があったらそれには従え」
「間違っても俺のとこへは来るなよ」
指示の統一、加えて緊急時の対処。
ジャンセンさんの発言は、若者達に少なからず動揺を与えた。
これまでずっと自分達を引っ張って来たリーダーが、その指揮権を放棄した。
全てを私にゆだね、緊急時にも自分ではなくあの小さな少年を頼るようにと命令したのだ。
混乱は当然だろう。
「俺は俺でフィリアちゃんの指示に従うだけだ」
「お前らの一部を連れて前へ出るか、それともフィリアちゃんの近くを護るか」
「出来ることって言やそのどっちかだけど、どっちにせよ今日の俺に考える頭は付いてない。そこはしっかり頭に入れとけ」
それでも、激励にも似た彼の命令は、皆に冷静さをゆっくりと取り戻させる。
この指示には意味がある。
彼が指揮権を放棄するのには重大な理由がある。
そう信じられるくらいの関係を、彼らは築いているから。
「……さて、その問題のユーゴだけど……大丈夫そうだな」
「うるさい。フィリア、そいつにひとりで戦うように命令出しとけ。さっさと死ねばいい」
こら。と、私が叱るまでもなく、ジャンセンさんは笑ってユーゴの頭に手を伸ばした。
しかし、その手が彼に触れることは無く、ジャンセンさんは安心した顔でまた若者達の方へと振り返った。
ユーゴは普段と変わらなかった。
気負うことも無く、退屈だとあくびをすることも無い。
本当にいつも通り、つまらなさそうな顔で熱気に湧く若者達を見ていた。
ジャンセンさんの煽りに引っ張られず、しかし自分の中だけで完結しようともしない。
いつも通り、可愛げ無いくらい澄ました顔をしている。
「フィリアちゃん、出発命令お願い。勢い付けたげて」
「なんだかんだで、こんなデカいイベントは初めてだかんね。どいつもこいつもまだ浮き足立ってる」
「姉さんが一番前にいる以上、後ろから鼓舞するのはフィリアちゃんにしか出来ない」
「はい。すう……それでは、出発します。マリアノ隊より順に、列を乱さず東へ」
浮き足立っている……なんて言われはしたが、彼らはもう地に足が付いているようにも見えた。
それはもしかしたら、私の方がまだ落ち着いていないからかもしれない。
だからそう感じる……というのと、だからこそ私に声を出させたというジャンセンさんの計らいなのかも。
「それじゃ、早速だけど俺に指示頂戴」
「ユーゴはここ、一番大事なとこの防御に使う。それは絶対だ」
「んで、姉さんは一番前。これも絶対」
「でも、全体がそれなりに大きいからね。俺が何人か引っ張ってって指示を通す役目をするから、上手く使ってよ」
「は、はい。では……マリアノさんに伝えていただけますか」
「実力は信頼しています。ですが、貴女を失えば部隊の士気は最小にまで下がり、戦力的な意味でも、それ以外の意味でも、この特別隊は崩壊します」
「必ず、生還を優先するように、と」
ジャンセンさんは私の言葉に苦い顔をして、それ伝えたら俺が蹴られるんだよね……なんてため息をついた。
しかし、その役を買って出たからにはと、彼はすぐに数人を引き連れて私の下を離れていった。
まだ部隊はゆっくりとした進行で、この時点では馬を使わずとも先頭に追い付けるだろう。
「……問題は走り始めてから……だな。アイツ、途中で事故って死ねばいいのに」
「そう……ですね。それが不安です」
「混乱があれば当然隊列など乱れますから、今のようにはいかないでしょう」
事故れ。と、ユーゴは呪いのように何度も呟いていた。
けれど、この時にばかりは彼の心情もよく分かる。
混雑の中を馬で駆け抜けようと思えば、接触事故の可能性は高まる。
落馬などすれば命さえ落としかねない。
言葉とは裏腹に、ユーゴもジャンセンさんが心配なのだ。
鎧の一部を大きくへこませたジャンセンさんが戻って来た頃、隊は段々と速く進むようになった。
私の乗っている大きな馬車は、騎馬隊と小型の戦車隊によって囲まれている。
だから、ここからは前の様子は見えないし、音もロクに届かない。
それでも、ユーゴの感覚はその一瞬を察知した。
「――多分、マリアノが魔獣とぶつかった。そのうちこっちの方にも来るかも。結構多い」
「――っ! では、もう先頭は林を抜けたのですね」
魔獣のいない範囲は、私達の予想よりも狭いようだ。
本格的な接触があったのならば、ここからはどの部隊も駆け足で先へ進むだろう。
ジャンセンさんはユーゴの言葉を受け、またいつでも伝令に出られるように準備をし始めた。
「……おい、ゲロ男。お前、本当に強いんだろうな。なんか、実はそこそこ強いみたいなこと言ってたけど」
「そこそこじゃない、かなり強いっての。ま、お前相手にそんなこと言うのもどうかと思うけどな」
「でも、ちゃんとそれなりに戦えるようにはしてきたから、安心して見送ってくれよ」
見送ってやるから、そのまま天に昇ってくれればいいのに。と、ユーゴはこの期に及んでも強情な姿勢を崩さない。
不謹慎というか、この場においては流石に冗談では済まない発言だ。
それでも、きちんとジャンセンさんの方を向いて、彼をまっすぐに睨み付けていた。
「おう、最期は看取ってくれるんだな。なら、安心して戦えるってもんだ」
ジャンセンさんはそう言うと、笑うことなくまた馬車から出て行った。
今度は馬に乗って前線へ加わったのだろう。
きっと、もうすぐそこにまで魔獣が迫っているのだ。
そのくらい、私にだって分かった。
「……どうか、ご無事で。マリアノさんも、ジャンセンさんも、皆も」
馬車は大きく揺れて、しかし速度を落とすこと無く進み続ける。
ユーゴは何度も渋い顔をしたが、自分で戦うと飛び出して行くことは無かった。
ジャンセンさん達を信じて、ここで私を護るという約束を果たす為に。




