第百十八話【幼いが故の緊張感】
もう一度クロープへと訪問します。
そう伝えると、ユーゴは凄く嫌な顔をした。
嫌な顔をしながらも、渋々ながらも、拗ねたような口ぶりながらも同行を了承してくれた。
そ、そんなに退屈だったのだろうか……
「……それで、またアイツ……なのか?」
「え……? ええと……はい、そう……なるでしょう。ランデルの駐在所には、彼女以外に馭者はいませんから」
マジか……と、ユーゴは頭を抱えて、これまたさっき以上に苦い顔をした。
アイツ、 彼女、とは、もちろんエリーのことだ。 私としては……心配が多いなぁ。程度の悩みなのだが、彼は……多分、本質的に苦手なのだと思う。
人と距離と取りたがる彼にとって、あの子の無邪気さは少々眩しいのだろう。
「しかし、馬の扱いについては本当に飛び抜けていましたから」
「マリアノさんもそうですが、生まれた環境の与える影響というのは計り知れませんね」
「……それでいくと、一番凄い環境に生まれてるのはフィリアなんだけどな。なんでそんなに威厳が無いんだ、お前は」
どうしてこんな時にまでちくちくと私を刺すのだろう……
何も言い返せない罵倒ほど苦しいものは無い。
幸いなのは、彼がそれでも私を頼ってくれていること。
頼るにあたって、このままでは頼りないという彼からの激励なのだと分かっていること。
自分の力を預けるのだから。と、背中を押してくれているのはよく分かる。
「……な、なんだよ」
「いえ、きっと期待に応えられるようにはなってみせますから」
彼は期待をしている、能力を認めている人間にこそ冷たくあたるのだ。
ジャンセンさんへの態度を見ればそれは間違いない。
そう思えば、彼の態度も励みになるというもの。
まだどこか怪訝な目をしているユーゴと共に、私はまたクロープへ向かう準備を始めた。
荷物を纏めて馬車へ向かうと、そこにはやはりエリーの姿があった。
先日と違うのは、それに加えてもうひとりの護衛が付いていること。
もちろん、私の護衛ではない。エリーのお守り役……とでもいったところか。
「フィリア! お待ちしてた! です! またクロープに行くの? です?」
「こら、バカ。お待ちしてました、だ。申し訳ございません、女王陛下」
それ言っちゃダメなんだよ。と、エリーは頭を下げる男にそう注意して、私にニコニコと笑いかける。
なんと言うか……心配にはなるけれど、この無邪気さと愛らしさは……
「……ふふ。はい、お待たせしました」
「またクロープへ行きましょう。馬のお世話をお願いしますね」
「任せましてです! マルマルも元気だから、絶対すぐに着くよです!」
癒されるし、こちらも元気にして貰える。
エリーは馬車を引く馬をマルマルと呼び、これまでに見た誰よりも慣れた手つきでその首を撫で回していた。
もしかして、この馬はランデルへ来る前から彼女に育てられていたのだろうか。
名前を知っているのも、随分懐いて見えるのも、ひとりと一頭との間に絆があるから……
「こら、エリー。勝手に名前付けるなって」
「軍用馬なんていつ死ぬかも分かんないんだから、後でキツイ思いするのはお前だぞ。大体、借り物なんだから」
「……関係無いのですね、触れ合った時間が長いか短いかなど」
では、単純に馬の扱いに長けているというだけ……なのか。
とすると、ずっと厩舎で面倒を見ている宮の調教師よりもなつかれて見えるのは、本当に彼女が凄い証拠なのだろう。
「エリーは馬が好きなのですね」
「それに、ええと……マルマルさん……でしたか。マルマルさんもまたエリーを好いているみたいです」
「あはは! マルマルさんだって! 馬にさんなんて付けないよ! それに、馬が私を好きかどうかなんて分かんないよ! です!」
子供の純粋さとは、ここまで無慈悲なものだったのだな……
なんとなく話を合わせようとした私を襲ったのは、あまりにも現実的な発言だった。
そ、そうですね……馬に敬称は付けませんし、馬の気持ちは分かる筈もありませんね。
ありませんが……ですが……はい。
「だけど、私はマルマルが好きです! マルマル以外にも、馬も牛も羊も好きです!」
「フィリアはマルマルが好き? です?」
「え、ええと……どう……でしょうか」
「その……好きか嫌いかを考えたことはありませんでした。ええっと……」
無邪気に笑って私のそばまで駆け寄って来たエリーを、こらと男が咎めた。
フィリアと呼ぶようにお願いしたのは私だからと事情を説明しても、彼は全然納得してくれない。
まあ……そうだろうな。
女王という立場を抜きにしても、特別隊は私の傘下……属している組織の、最も偉い立場の人間が相手なのだから。
子供とはいえ、無礼が無いようにと考えるのが大人というものだ。
「ええと……だ、大丈夫なのです、本当に」
「ランデルではいざ知らず、他の街では私の顔を知らないものも多いですし」
「それに、女王が武装隊による護衛も無しに訪れるとは誰も思いません」
「故に、女王と呼ばれないことで、騒ぎを起こさないという目的があって……」
私の説明に、男はなんとも言えない表情を浮かべた。
それが分かっているのならばきちんと護衛を付けろ、だろうか。
それは……それには……何も言い返せないのだけれど。
「……やっぱり、フィリア様陛下って呼んだ方がいい?」
「いえ、フィリアで大丈夫……いいえ、フィリアと呼んでください」
「貴方も、街では私を女王や陛下とは呼ばないでくださいませんか」
「民を不安にさせたくないのです」
「私が直々に訪れたとなれば、何か問題が起こっているのかもしれないと考える人もあるでしょうから」
言い返せないけれど、それは私の信念でもあるから。
私のお願いに男も黙ってうなずいてくれて、エリーはまた笑顔で私をフィリアと呼んでくれた。
「……ところで、ユーゴはどうしてそんなところに……」
「うるさい。早く行くぞ」
ひとまず場は丸く収まった。そう思った時、ユーゴは既に馬車の中へ乗り込んでいた。
やはり、エリーが苦手なのだろうか。
子供が苦手……なわけではないと思うが、距離を測りかねる相手に、どう振る舞うのがいいのか悩んでいるのかも。
「行くます! フィリア! 早く乗って! です!」
「はい、ただいま。クロープまでお願いしますね」
男はエリーの言動行動にいちいちハラハラしているようだが…………それはこの先の方が大変なのだと、彼も到着後に思い知ることとなるだろう……
今回の目的は、前回出した見積もりと、議会の決定によってズレてしまう部分の修正。
そして、その上で最も理想に近い船を造ること。
カバンの中には、以前よりも多くの資料と筆記具が入っている。
出来ればあの子に持たせる展開は避けたい。
「……ダメって言えばいいだけだろ」
「そ、それはそうなのですが……あの子も善意でやってくれていることですし、それに……あんな笑顔を向けられてしまうと……」
無下にしたくないと思ってしまうのが人情だろう。
こういうところだろうか。
威厳が無い、危機感が無いと言われてしまう原因は。
ユーゴにも呆れられてしまったし、もうひとりの男にも苦笑いを浮かべられて……
「……と、そうでした」
「護衛の任務を受けていただいてありがとうございます」
「今更名乗るのも変かもしれませんが、私はフィリア=ネイと申します」
「貴方のお名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「は、はい! 私はゴルドーと申します! 御身の安全を命を賭してでも守り抜く所存であります!」
い、いえ、命は賭さないでいただければ……
ゴルドーはまだ強い緊張状態にあるようで……中々ギルマン達のようにはいかないものだな。
彼らは宮で私といくらか接点があったというのもありそうだが。
「聞いているかもしれませんが、こちらのユーゴは腕自慢の戦士です。魔獣への対処は彼に任せてください」
「街では、出来るだけ遠くから私達を見守っていていただきたい」
「物々しい空気を出せば、やはり皆を怯えさせてしまいますから」
「はっ! かしこまりました!」
それと……出来ればエリーをお願いしたいのだけれど……
しかし、果たして彼女が今日は別行動だと言って聞いてくれるかどうか。
前は一緒に行ったのにと駄々をこねられたならば、きっと私は拒めない。
多分だが、ユーゴ以上に私の方が子供の相手をするのが苦手なのだろう。
叱れないし、拒めない。
「……ゴルドーさん。その……こ、ここから先の話は、もしも無理だと思えば拒んでください。出来れば……で、いいのです」
「出来れば…………私達の護衛を放棄して、エリーと共に街で時間を潰していていただけませんか……?」
「っ⁈ な、何をおっしゃるのですか⁉」
「陛下をお守りせず街で遊んでいるなんて、出来よう筈もありません!」
そういう反応をされると思ってはいた。
そして、これを命令として押し付けるのはあまりに酷だとも思った。
だから……出来れば、と。
多少の無責任感と、もしもの場合の不安を背負いきれるのならば……と、そんな胆力を彼に期待したが……
「……だから、ちゃんとダメだって言えばいいだけだろ。荷物なら俺が持てばいい。お前がアイツと手繋いでれば問題無いだろ」
「……そ、そうですが……」
それが不安だから……と、ここでユーゴに泣き言を言っても仕方が無い。
こうしている間にも、着々と馬車はクロープへと近付いている。
や、やはりユーゴの言う通りにするしかないのだろうか。
他に……他に手立ては……




