第百十七話【無邪気との遭遇】
海路を通す為に船を造る。
予算は正直かなり厳しいものがあったが、ひとまず議会に提出出来るだけの案として纏めることは出来た。
後はまた、返答を待つだけの時間があるわけだが……
「見えてきましたです! 女王様陛下! クロープの街が見えてきましたですよ!」
「は、はい。ユーゴ、起きてください。ユーゴ」
返事を待つ間、私はクロープを直接訪れて、造船が可能かどうかを確かめることにした。
申請はした、許可も下りた。
さあ、これで。と、そうなったその時に、今はどこの造船所も仕事を請けていないなどとなったら目も当てられない。
宮の書類仕事もきちんと終わらせて、国軍ではなく、特別隊の馬車に乗って急いで確認に来たのだ。
「お荷物をお持ちします! 女王様陛下! さあ!」
「あ、ありがとうございます、エリー。ですが、そんなに慌てなくても……ああっ」
「あ、あまり乱暴に扱わないでくださいっ。ああっ、あああっ!」
そう。国軍ではなく、特別隊の馬車に乗って。
急なことだったし、それに危険な遠征でもないから。
護衛もユーゴだけで問題無いし、国軍に申請して……などという手間は省きたかったのだ。
そこで、ランデルに駐在している隊の馬車を出発させたのだ。だが……
「ゆ、ユーゴ、起きてください。ユーゴってば」
「ああっ、エリー、待ってください」
「ユーゴ、エリーが行ってしま……え、エリーっ。もう少しだけ待ってくださいっ」
馭者としてランデルに配備されていたのは、ユーゴよりも更に幼い、長い黒髪の少女エリーだった。
なんでも、生まれた時から動物のそばで育ったから、他の誰よりも馬の扱いに慣れている……とのことだったが……
「……ん……ふわぁ。着いたのか。暇過ぎて……」
「起きてくださいましたね。早く……早くエリーを追いかけましょう。もうどこにも姿が見えなくて……」
馬の扱いは確かに上手だった。
それこそ、馬車の中でユーゴが眠ってしまえるくらいに。
馬の扱いは上手だったが……やはり、まだ幼い子だからだろう。
あまり来たことの無いクロープの景色に、大はしゃぎでもうどこかへ行ってしまっていた。
「……あっ。わ、私の荷物……っ! ユーゴ、早くっ。こ、このままエリーを見失えば、大切な契約書類も……」
「分かったって……むにゃ。ふわぁ」
そんな彼女の無邪気さにあてられたのか、ユーゴも今日は随分のんびりで、また今にも眠ってしまいそうな顔をしていた。
ランデルから出てすぐの頃は、もう少ししっかりしていたのだが。
平和な道中に退屈してしまったのだろう。
「そ、そうだ。ユーゴ、エリーの気配は追えませんか?」
「いつかジャンセンさんやマリアノさんを追ったように……」
「……ふわ……いや……無理……むぐ。アイツらと違ってただの子供だし」
やはり、特別なものしか察知出来無いのか。
っと、ユーゴの謎の感知能力について考察している暇は無い。
荷物を持ってくれたエリーを探し出さないと、あの中には造船を依頼する為の書類と、それに割れ物もいくつか入っている。
もし落としでもしてしまったら……
馬車から出て日の光を浴びて、やっとユーゴの目がちゃんと丸く開いてから、私達も大急ぎでクロープの街を進んだ。
目的地は、今のところは無い。とにかくエリーと合流しなければならないのだ。
「すみません、この子よりもう少し小さな女の子を見かけませんでしたか?」
「黒い髪を伸ばしていて、大きなカバンを持っていた筈なのですが……」
「黒い髪……かい? そりゃあ……お嬢ちゃんのことじゃなくて?」
しかし、聞き込みをしてもなかなか彼女の目撃情報は手に入らなかった。
ついさっき到着したばかりなのに、いったいどこまで行ってしまったのだろう。
それと、人に尋ねれば尋ねるほどユーゴが不機嫌になっていく。
こんな時にどうしてしまったというのだ。
「目的は話してありましたから……造船所を回ってみましょう。もしかしたら先に着いているのかもしれません」
「……どうだろうな」
ユーゴはぷいとそっぽを向いて、全く協力しようとしてくれない。
眠っていたところを起こされたのが、そんなに気に食わなかったのか。
そんなに寝不足だったのだろうか。
もしそうなら……それは私の配慮不足だったかもしれない。
よく食べ、よく眠れる環境を彼には与えてあげないと。
他の誰よりもしっかり休める環境を。
どうにも不機嫌なユーゴと共に街を探し回って、それでもエリーは見つからない。
まさか、他に誰も連れて来なかったことが、こんな形で裏目に出るとは。
せめてもうひとり、彼女の手綱を握る大人を連れて来るべきだった。
「……おい、フィリア。一回馬車に戻ってみよう。なんとなくだけど、そこにいるかもしれない」
「え……馬車に、ですか? わ、分かりました」
はぐれてしまった時には、まず元の場所へ、か。筋は通っている。
けれど……あの子はどうにも好奇心に引っ張られて飛び出してしまった感じがしたから。
もしかしたら、馬車に戻ることも出来ないで迷ってしまっているかも……
不安は尽きなかったが、それでもユーゴのなんとなくの感覚はアテになるから。
私達も急いで馬車へと引き返した。するとそこには……
「あっ! 女王様陛下! どこ行ってらしたですか! 早く行きますよです!」
「はあ……はあ……え、エリー……良かった、戻っていたのですね……」
馬車馬と楽しそうにじゃれているエリーの姿があった。
どこへ行っていた……はこちらが尋ねたいのだけれど……
しかし、今は無事だったことを喜ぼう。
どうやら荷物もちゃんと持っていてくれたようだ。
少し砂が付いているようにも見えるが、落としたり失くしたりはしていなかった。
「……え、エリー。手を繋いで行きましょう。またはぐれてはいけませんから」
「え? 手を……ですか? はい! そうですね! そうしましょうです!」
もうはぐれちゃダメですよ! と、エリーは嬉しそうに私の手を握って、そしてまたぱたぱたと街を進もうとする。
なんとまあ……眩しいほどの無邪気さだ。ユーゴは渋い顔をしているけれど。
「あ、あの……出来れば、街ではその……女王という呼び方はやめてください。街の皆を怯えさせてしまいかねません」
「こういう場では、フィリアと呼んでください」
「はい! フィリア様女王陛下!」
違……というか、言葉遣いもぐちゃぐちゃだ。
まあ……なんとなく察しは付く。
勉強などとは縁遠い、危険な町に生まれ育ったのだろう。
そして、ジャンセンさんか他の大人から、とりあえずの形だけでもと色々教えられたのだ。
それが……しばらく使わないで時間を経て、いろいろと混ぜこぜになってしまったのだな。
女王様陛下という言葉も、それがどういう意味なのかきちんと分かっていないのだろう。
「おい、こいつはフィリアだ。様とか変なの付けなくていい」
「えっ、はい! えーと……」
ああ、えっと。こっちの子はユーゴです。と、紹介すると、ユーゴはまたしても嫌な顔を私に向けた。
に、睨まないでください。
今日のユーゴはなんだかわがままと言うか、やや凶暴に感じる。
何があったのか……
「よろしくお願いしますです! ユーゴ! フィリア様陛下!」
「で、ですから、フィリアだけで良いのです。陛下とはあまり呼ばないで……」
でもそう教わった。と、エリーの顔には書いてある。
困った顔を向けないで欲しい、困っているのはこちらなのだ。
なんて投げやりになってしまっては、この子の為にもならない。
根気強く説明すれば、きっと……
「おい、フィリア。いいからさっさと行くぞ。遊んでる時間は無いだろ」
「フィリア! 早く行こうましょうです!」
あ、あれ……?
フィリア。フィリア! と、ふたりから何度も名前を呼ばれて、私はまだ納得も半ばの内に引っ張られて街を進み始めた。
もしかして、ユーゴの真似をして……?
「……はあ。ど、どうしてでしょうか……今日は凄く……」
「フィリア! 早く! 早く行くましょう! です!」
凄く疲れた……
その後、元気いっぱいなエリーと、妙に機嫌の悪いユーゴとに引っ張られ、私は街の造船所をいくつも回った。
行く先々で――身分を明かさざるを得ない交渉の場で、フィリアフィリアと呼び捨てにされるところを皆に訝しげな眼で見られながら、いくつもの造船所で見積もりと交渉を行った。
数日が経過して、議会から造船についての許可が下りた。
私が提出したものよりも少しだけ予算は削られてしまったが、しかしクロープで貰った見積もりのほとんどは、それでも問題無い範囲だ。
後はこの中から、最も理想に近いものを選ぶだけだが……
「こればかりは、もう一度足を運ぶしかありませんね」
「この後のことは私がやっておきますから、陛下はユーゴさんと共にクロープを訪れてください」
「はい、分かり……えっ? あ、いえ。は、はい」
サボっていいという意味ではありませんよ……? と、リリィに笑顔で念押しされて、私はまたクロープへと向かうこととなった。
また。そう、また。
今から軍に出動要請など出来ないから。また……特別隊の馬車に乗って……




