第百十六話【女王の戦い】
カンビレッジからチエスコ間の道路の建設については、すぐに許可が下りた。
予算も私が試算した通りの額が支給されることとなり、工期も短縮されることは無かった。
もっとも、これについては、議会や貴族の間でも諦められていた地区の話だから。
これでは多い、少ないと議論する為の知識や準備が無かったのだろう。
その決定を、いち早くジャンセンさん達に伝えなければ。と、私は大慌てで荷物を準備し、ランデルに駐在している新組織の――特別隊の馬車を出発させようと思った。
のだが……それはリリィによって阻まれた。
連絡を取る手段があるのだから、直接出向く必要は無い、と。
そんなわけで、私はチエスコへ向けて手紙を送り、彼らとは別の手段で南の解放を急ぐことにした。
「――陛下。ラピエス地区、チシィの街から返答が来ました」
「残念ながら、協力を申し出る漁船は見つからなかった、と」
「……そうですか。仕方がありませんね。解放されたとはいえ、生活を守るので手いっぱいでしょうから」
「それに、ようやく手に入ろうかとしている平穏を捨てて危険地帯へ向かうなど、とても普通の精神では決断出来ないでしょう」
リリィは既に封の開けられた便箋を手に、少しだけがっかりした顔で私のところへとやって来た。
駄目だった……か。やはり、簡単には解決してくれない。
先日訪れたカンスタンの港、そこからカンビレッジ東部へと直接向かう航路を確保する。
それが宮にいつつ出来る、最善の一手だろう。
港は無事だった、それは既に確認している。
あとは、船とそれを運航させる船乗りが数名いてくれれば問題無いのだが……
「こればかりは、報酬によってどうにか出来る問題でもないでしょう」
「やはり、議会を通して軍の船を動かせるようにするのが得策かと」
「そう……ですね。しかし、出航の度に許可を取っているのでは意味がありません」
「船も乗組員も常在出来なければ、掛かる時間は陸路と変わりませんから」
その為には、常にカンスタンへと余剰の軍を配備しなければならない。
だが、比較的安全な街で、安全な地区だ。
そこに回す余裕など無いと一蹴されるのがオチだろう。
「チエスコやカンビレッジから東へ向かう道路を拓ければ、陸路での移動はより簡単になるでしょう。ですが、それだけでは不安が残ります」
「一度に多くの軍を向けられる準備が出来れば、何が出ても対処しやすくなりますから」
「なんとしても海路を確保しなければ」
「特別隊の中に、船を操縦出来るものはいないのですか?」
「話では、ウェリズの港から漁に出ているものもある……とのことでしたが」
彼らの中に……か。それはどうだろうか。
船を操縦出来るものはいるだろうが、しかし軍を運ぶ船は無い。
馬車も砦も、装備の全てがギリギリで賄われている。
船があったとしても、それを取り上げれば、今度は生きる為の漁へ出られなくなるだろう。
それに、彼らとて、これまでに断られた街の人々と同じ気持ちがあるのは明白だ。
それを、配下の組織だからと無理矢理に徴集するのは望ましくない。
「頼って欲しい、便利に使って欲しいとジャンセンさんはおっしゃいましたが、彼にも出来ないことは出来ません」
「特別隊は、彼とその直接の部下達だけで成り立っている。彼が保護した街や村の人々はそこに含まれません」
「そういう線引きをしてみると、案外彼らは少人数しか残らないのですよ」
「かつて盗賊行為を手引きしていた者達はいれど、実際に盗みを働いただけの大掛かりな組織というのは、まやかしに過ぎなかった、と」
民を先導していたに過ぎず、実際に能力のあるものは多くない。
盗みが現行犯で捕まらなかったのも、内通者があらゆる場所にいたから。
私が見たものとジャンセンさんから聞かされた話を総合すると、そういう結論が出る。
故に、頼れない部分がどうしてもあるのだ。
「――人と物の数は彼にも増やせません。だからこそ、私の提案を飲んで協力関係を結んでくれた」
「予想以上に優秀な指導者が味方に付いた代わりに、身構えていたよりもずっと小さな組織がそこに付いて来た格好ですね」
いかにジャンセンさんが優れた商売人でも、そもそも取引するものが市場に無ければ手に入れられない。
船の数は限られているし、その限られた船を手放せる状況にあるものもいない。
「……ならば、いっそ組織の為に船を造ってしまうのはどうでしょうか」
「ラピエスの西端、クロープには、かつて多くの造船所が在りました」
「あの街にも港はありますし、それにチシィとの海路も繋がっています」
「一度ここで船を造り、チシィを経由してウェリズへ向かうのです」
「クロープ……ですか。確かに、船を造ってしまうというのは手ですね」
「乗組員の問題は未だ解決していませんが、船の確保さえ出来れば募集する条件も変えられますから。一度向かってみましょう」
いえ、向かわずとも手紙を送るだけで十分かと。と、リリィは人をやる気にさせておいて、立ち上がったところですぐに椅子に座らせた。
サボろうと考えたわけではないのに……
「ただ、その場合でもまた議会が問題になりますね」
「乗り手のいない船を新たに造る為に、いったいどれだけの資金を投入するのか、と。難癖をつけられるのは目に見えています」
「船が無いから人を集められないのに、人を集めないと船を造る許可が下りない……と。はあ……頭の痛い話です」
しかし、それを恨んでも仕方が無い。
彼らとて、嫌がらせの為だけにやっているわけではない。宮にも余裕があるわけではないのだ。
経済が弱っている以上、アンスーリァ自体にも資金力は無い。
「……思い付いたのだから、実行には移しておきましょう。人さえ集まれば許可しても良いとなれば、募集も掛けやすくなります」
「立ち止まっていても、何も起こりませんからね」
そうと決まれば、まずは船の規模を考えなければ。
当然、一隻あれば良いという話でもない。
どれだけの隊を乗せられる大きさの船を何隻造るのか。
小さい、少ない、足りないとなれば、現場でなんの役にも立たないし、常識はずれな提案をすれば認められようもない。
チエスコで工事の予算を決めた時のように、リリィの力を借りながら案を纏めないと。
「……ところで、ユーゴさんは何をしてらっしゃるんですか?」
「彼も執務室への出入りは許されていますし、それにどことなく楽しそうにやっていましたから」
「もう飽きて面倒になった……なんて性格とも思えません」
「手が空いているのなら、手伝っていただいた方が……」
「ユーゴですか? え、ええと……ですね」
どうにも歯切れが悪くなってしまう私に、リリィは首を傾げていた。
もちろん、彼女の言い分には理がある。
ユーゴは幼いとはいえ優秀でまじめな子だ。
リリィが教えれば雑務くらいは簡単にこなしてくれる。
仕事も考えることも多い中で、彼の不在は確かに不自然に見えたのだろうな。
「……ユーゴには休んで貰っています」
「その……ですね。大きな意味は無いのです」
「ただ……言われてしまったのです。その力を振るう相手、場所は、私が決めろ、と。決定権は私が握るべきだ、と」
「ならば、それに相応しいだけの人物にならなければならない」
「そう考えた時、宮の書類仕事なんかであの子に頼っているようでは……」
「……そうでしたか。では、なおのこと気合を入れないといけませんね」
部屋でゆっくり休んでいてくださいと言った時には、ユーゴも凄く嫌な顔をしたものだ。
けれど、私の決意を聞けば彼も頷いてくれた。
嫌々だったようにも見えたけれど。
ユーゴの力は本当にとてつもないものだ。
それをどう使うのかを私が決める。
ならば、私は常に自己を律し続けなければならない。
常に謙虚で、決して驕ってはならない。
もしも傲慢や無理解が介入すれば、彼の力は突然暴力に代わってしまう。
彼の言葉を借りるのならば、怖い人間になってしまう。
ユーゴを怖い人間にしてしまうこと。それだけは絶対に避けなければならない。
「では、パールを呼んできますね。人手が足りないと言えば、休みだろうと働いてくれるでしょう」
「その分、私も休みの日に引っ張り出されるでしょうが……」
「そ、そこまでしなくても……いいえ、お願いします」
「ふたりに無理が無いよう、私が頑張れば問題ありませんから」
リリィは私の言葉に笑って、けれど何も言わずに執務室を後にした。
立派なことを言うようになった……なんて思われているのだろうか。
まだ、ふたりにとって私は未熟な子供なのだろうか。
「……ユーゴのこともそうですが、ふたりにもきちんと認めて貰えるくらいにはならないといけませんね……はあ」
ため息をひとつついて、目をきゅーっと思い切り瞑る。
そして勢いよく瞼を開いて、少しだけ眩しい視界のど真ん中に過去の予算案を広げた。
道路の工事、砦の改装、役所の建築。
造船の記録とそれらを照らし合わせながら、現実的な案を模索していくしかない。
すぐに戻ってきたリリィとパールに手伝って貰って、今日の内に草案を纏めないと。




