第百十一話【少年の心】
私とユーゴは明日にも宮へと戻る。
予算の打ち合わせやこれからの予定を組み立てていく中で、ジャンセンさんと共にそんな結論を出した。
つまるところ、お金の問題になると、どうしても議会に顔を出さなければならないからだ。
「はあ。私にもっと決定権があれば……もっと頼られ、信用され、権力を握らせて貰えていれば、こんなにも煩わしい思いをしなくても済むのに……」
「あ、あはは……それ、笑っていいやつ……?」
冗談……では済まないか。
しかし、それが現実的ではないから、こうしてぼやくくらいは許されてくれるだろう。
私には大した権力が無い。
もちろん、女王という立場だから最も権力のある存在なのだけれど。
それでも、傲岸不遜に振る舞えるだけの自由は与えられていない。
「……昔はもっと王に権力があったのですが、父が……先代の王がそれを切り分けてしまったのです」
「力を分散させる方がきっと国は良くなると、私が生まれるよりも前に議会や貴族にいくらかの権力を分けてしまった」
「それが今になって響いてくるなんて……」
「いやでも、それ自体は悪いとも思わないけどね」
「結果として、フィリアちゃんは小さい頃に王座に就いたわけでしょ?」
「その時に昔ほどの権力がその場所にあったら、今頃操り人形にされてるか、とっくに謀殺されてるかのどっちかだと思うし」
お、恐ろしい話をしれっとしないでいただきたい。
けれど……そうだな。
もしも王位を継承したばかりの私に、もっともっと大きな力があったなら――そうなる前提で育てられていたのならば。
きっと魔術などに触れる機会は無かっただろうから、ユーゴはここにはいなかった。
それでは、今までの全てが不達に終わって、とっくに手詰まりになっていただろう。
「それに、決定権をひとりが抱えるのはやっぱりリスクがある」
「俺達はこんな小さい組織だからさ、俺が好き勝手決めてもそう困らない」
「それに、無茶と思っても姉さんがなんとかしてくれるしね」
「だけど……組織が大きくなればそうもいかない」
「たとえ姉さんでも、国軍で同じだけの働きが出来るかどうか」
ジャンセンさんはそう言うと、小さくため息をついて、そしてこれまでに書き記したメモの紙をがさがさと纏め始めた。
「ま、そんな今はどこにも無いわけだから、考えても意味無いんだけど。それより、ちゃんとここにある今をなんとかしないと」
「フィリアちゃんがいて、ユーゴがいて、俺達がそれに手を貸してるこの今を」
じゃ、考えごとは一回終わり。と、ジャンセンさんは大きく伸びをして席を立った。
そろそろ帰って来るころだろうなんて彼の言葉に目を窓の外へと向ければ、既に日はすっかり赤くなって、今にも沈みそうになっていた。
「姉さんたち帰って来たら飯にしよう。で、もう今日は休み」
「明日の朝早く、ふたりは宮へと戻る。とは言っても、ここからランデルを一日ではちょっときついかもだけど」
「そう……ですね。魔獣の問題はユーゴのおかげでそう気にしなくても良いのですが、馬と馭者の体力には限界がありますから」
なら、明日の朝はもうちょっとだけ手伝っていこう。
少し遅くに出発して、カンビレッジで一泊してからまたランデルを目指す。それならば無理をしなくて済む。
「どちらにせよ、カンビレッジに兵を待たせていますから。立ち寄らずに帰るわけにもいきませんしね」
「っと、そうだったね。いや……うん、そうだった」
「あのさ、フィリアちゃん。つかぬことをお伺いするんだけどさ…………」
連絡ってちゃんとしてある……? と、まるで子供の使いの確認のようなことを尋ねられてしまった。
い、いくらなんでも遺憾である。
誰も彼も私をなんだと思っているのだろう。
マリアノさんもそうだが、どうにも私を要領の悪い子供のように扱ってばかりだ。
「してない。フィリアはそういうの、本当に一切してない。断言する。っていうか、してるとこ見てない」
「起きてすぐ雨降ってる中走って来たんだ、そんな連絡する時間はどこにも無かった」
「っ⁉ ゆ、ユーゴ……何故貴方が私を裏切るのですか……っ」
不意打ちのように口を挟んだのは、苦々しい顔で私を睨んでいるユーゴだった。
そ、そんなに嫌な顔をこちらへ向けるのは何故ですか。
確かに……その……誰にも事情を説明していないのは事実ですが……
しかしそれは、既に組織として活動を開始していることを、彼らも知っているからであって……
「カンビレッジに着いてすぐ砦に行って、帰った時兵士にめっちゃ嫌な顔されたからな。だからサボった」
「パールにもリリィにも言われてるんだ、フィリアは面倒があると思うと結構サボるんだって」
「説明するのも説得するのもめんどくさかったんだろ」
「え、ええ……フィリアちゃん、意外と……」
ち、ちが……ちが……違わないとは言いたくないのだけれど……
もしや、ユーゴが最近ずっと私にきつく当たるのは、パールとリリィからそういうだらしない部分を教えられていたからだったのだろうか。
「っていうか、意外と見てんのな、お前も。なんつーか、他人には一切興味無いタイプかと思ってたわ」
「それとも、やっぱりフィリアちゃんだけは特別か?」
「言われてるだけだよ、サボるからちゃんと見張っとけって。言っただろ、俺だって宮で仕事してるって」
パール……リリィ……ふたりとも、そういうつもりでユーゴに執務室への入室許可を出したのですね……
思えば、私の暴走を咎めるとかなんとか言っていたような気もする。
あの時は急ぎで話があったから、きちんと聞いていなかったが……
「ま、女王陛下ともあろうものが、国軍も護衛に付けずに街から出るなんてあり得ないからね」
「まだ俺達には信頼なんて一切無いし、ユーゴだってこんななりじゃ信用もくそも無いだろ」
「ガキ扱いすんな、このアホ。俺のこと知ってるやつにはもう信頼されてるんだ」
それはその通りなのだが、しかしユーゴの力量を知っている人間が少ないことが問題なのだ。
活躍自体はそれなりに知られてきているが、やはり……ジャンセンさんの言う通り、ぱっと見た限りではただの子供にしか見えないから。
「それじゃあ、明日は朝早くにカンビレッジに戻って……ちゃんとごめんなさいしてね」
「それと、問題が無いなら俺も同行するよ。ちゃんと責任もって護衛してますってアピールしとけばさ、後々楽になるだろうし」
「うう……はい、その通りですね。心配をかけてしまっているのは事実でしょうから、それについてはしっかり謝罪を」
「そして、その上でジャンセンさん達の紹介を出来れば」
決まりだね。と、ジャンセンさんはまた大きく大きく伸びをした。
それが意味したものは、マリアノさん達の帰宅だった。
ざわざわと声が聞こえ始めて、街の若者達が嬉しそうに彼女の名前を呼んでいる。
「……マリアノさんも、見た目はユーゴと変わらないですから」
「いつか貴方も、あんな風に皆から慕われるようになるのでしょうね」
「……フィリアちゃん、言いたいことは分かるけど、それは絶対本人の前では言わないでね」
声は段々と近くなって、そしてすぐに部屋の中を温かく満たした。
夕食をいただいて、そして部屋に戻って明日に備える。
もっとも、することなんて大して無いのだけれど。
しかし、せめて兵士達になんと言い訳するかくらいはしっかりと考えてから眠らなければ。
と、そう思っていたのだが……
こんこん。と、ドアが叩かれた。
明日の同行について、ジャンセンさんが確認しに来たのだろうか。
それとも、ジャンセンさんまで連れて行ってしまうから、現場の指揮についてマリアノさんから再確認があるとか。
どうぞと返事をする間に考えたふたつの可能性は、空いたドアの隙間から見えた顔にはずれであると否定された。
「ユーゴ? どうかしたのですか?」
顔を覗かせたのはユーゴだった。
思えば、ここのところはずっとこうして私のそばにいてくれるから、一番不自然ではないのだけれど。
「……あの、ユーゴ? ええと……明日も早いのですから、もう休まないと……」
不自然ではない来客だったが、しかし当のユーゴが少しだけ不自然というか……
何も言わず、何もせずに私の前に座り込んで、そしてきょろきょろと部屋の中を見回している。
何かを探している。或いは、何かを疑っているのだろうか。
「……道路、ちゃんと出来るかな」
「……え? え、ええと……はい、出来ますよ」
「ジャンセンさんもマリアノさんもいますし、それに他の皆もたくましかったではありませんか」
「任せておいても大丈夫だと、私は信じていますよ」
そうか。と、ユーゴは興味無さげに返事をした。
自分で聞いておいて……とはならない。
彼にとって、その問い自体には意味が無いのだ。
多分、間を持たせる為に口を衝いただけなのだろう。しかし……
「あ、あの……本当にどうしたのですか? なんだか元気も無いように見えますが……」
しかし、だ。どうして間を持たせる必要があるだろうか。
今更私に気を遣う理由も無いだろう。
もちろん、全くの無神経というわけではなくて。
沈黙を気不味いからと打ち破るのは、私と彼との間には必要の無いものだったと思うが……
「……別に。ただ……また宮に戻ったら暇になるなと思って。だから、文句言おうと思っただけ」
「でも、ここでわがまま言うと本当にただの子供だからな」
「しょうがないから、寝る時間だけ削って嫌がらせしてるんだ」
「嫌がらせ……ですか」
ユーゴはそう言うと、すくっと立ち上がって部屋を出て行ってしまった。
別に、嫌ではないのだけれどな。
彼がもっと自分の話をしてくれれば……というのは望み過ぎかもしれないけれど。
しかし、心を開いてくれるのならば、私はそれをいくらでも受け止めよう。
幼い彼には縋る相手も必要だろうし。




