第百十話【お金の話】
朝早くから始まった作業は一日続いた。
もっとも、私達は……私とユーゴとジャンセンさんは、現場に指示書を残して街に戻ってしまったのだけれど。
今回の工事は数日で終わるものでもない。後を任せられるようにしなくてはならない。
「それでも、もう少しだけ手伝っても良かったのではないでしょうか」
「その……私がなんの役に立つわけでもありませんが、ユーゴの力は大きな助けになった筈です」
「うん、そうだね。でも、そういうわけにもいかない」
「フィリアちゃんが宮に戻ればユーゴも帰る。俺達だけでやれるようにしなくちゃ」
「末端の組織を上手く使うのも、上に立つ者の義務だよ」
義務……か。
そこまで言われてしまうと身も引き締まる思いだが、どうしても申し訳無い気持ちになってしまう。
私達は対等な関係を結んだ筈だったのに、と。
「それより、こっから先の予定もしっかり決めないとね」
「道をどこに作るかは決まった、どのくらいなのかも決まった。なら次は、いつまでに完成させるのかを決めなくちゃならない」
「出来たら終わりでいいよなんて、とても責任のある仕事じゃなくなるからね」
「それはそうかもしれませんが……どうでしょうか」
「私から見積もりを出したとて、それが実現可能なものかどうかも分かりませんし……」
だからやるんだよ。と、ジャンセンさんはそう言って、視線を私ではなくユーゴへと向けた。
それを受けて、ユーゴも少しだけ納得したような顔で私に目を向ける。
ええと……ふたりの間に何が……
「もし無理ならこっちから無理って言うし、余裕をもって終わらせられるならその分サボる。時間も、それにお金のこともそう」
「フィリアちゃん、これはビジネスなんだよ」
「俺達はフィリアちゃんと手を組んでるけど、だからって国の組織じゃない。委託事業のひとつだよ、結局は」
ジャンセンさんの言葉は、なんとなく腑に落ちるものだった。
ビジネスの一環、これはあくまでも事業の委託なのだ、と。
私は協力関係を結び、組織を同じくした彼に、元居た組織へ仕事を割り振るようにと言われているのだな。
「……ジャンセンさん……その……非常に申し上げにくいのですが……」
「うん、分かるよ。汚い話になってごめんね」
「いやでも、実際……外からはどうやってもそう見えるからさ。周りに指差される覚悟をしといてねって意味も込みで、さ」
癒着。贈賄。斡旋。贔屓。
早い話が、国庫の政治的流出を疑われかねないという話。
いや、疑うも何も、こうして工事をする費用は国が負担するのだから、紛れも無く事実ではあるのだが。
私がそれに気付いた頃には、ジャンセンさんは苦い顔で笑うばかりだった。
「……だからこそ、慎重に……そして、容赦無くこき使ってやって欲しい」
「中途半端なことをすれば、その分突っ込まれる要素が増える」
「後ろめたいことしてるわけじゃないんだから、お金も時間も思いっきりシビアにやっちゃおう」
「もちろん、文句があったら言いに行くよ、姉さんが」
「無茶苦茶するのはダメだけど、遠慮はもっとダメだかんね」
「……はい。そうとなれば……ええと、まずは予算からですね」
そういう話ならば。と、これまでにも何度も目を通した、道路工事の申請書の額面を必死に思い出す。
リリィとパールに補佐して貰いながらでも、私はこれまでにそういう仕事をずっとやってきたのだ。
だから、ここで突拍子も無い金額や工期を提案していては話にならない。
今までの努力と、ふたりの献身に応える為にも……
「――予算はこのくらい、期限は……これでどうでしょうか」
「通常の工事では軍を派遣することを思えば、組織内で安全確保まで行う以上は、この程度が妥当かと」
「……うん、良いと思う。伊達に人不足の宮で王様やってないね」
工期は私の知っているものよりも――今までに見たものよりも少し短く、予算は少し多く。
動かせる人の数は変わらずとも、動きやすさは圧倒的に違う。
多少お金が掛かっても、緊急時に仕事を任せられる組織であると議会にも認識させる。
そういう意図も込めて提出した案は、ジャンセンさん的には問題無いようだ。
「ただその……これはあくまでも私個人の決定……いえ、要望ですから。私財を持ち出すのでなければ、議会に案を提出する必要もあります」
「或いは、そこでダメと言われる可能性だって……」
「分かってる分かってる、大丈夫。そういうゴタゴタもちゃんと想定して協力してるんだからさ」
「もちろん、払わずに飛ばれたら怒るよ。姉さんが殴り込みに行くから、覚悟してね」
その覚悟は到底出来そうに無い。
マリアノさんに攻め込まれたら、宮の警備などあっという間に崩壊させられてしまうだろう。
先ほどつつかれた通り、宮は慢性的に人手が足りていない。
ランデル全域や近隣の地区を守る為に、国軍は派遣してしまっているから。
とても彼女の攻撃には耐えられないだろう。
「……そんなマジで受け取らなくてもいいよ」
「ま、そういうとこ、俺は良いと思うけどね。姉さんやユーゴが文句付けてるけど」
「別に文句言ってるわけじゃない。ただ……要領が悪いなって思ってるだけだ」
うっ。それも少しは自覚しているが、はっきり言われると……やはり堪える。
しかし、ユーゴはもう機嫌を直してくれているらしい。
工事現場でむすっとしていた時を思えば、随分のんびりした表情になってくれていた。
「さて、お前はどう思う」
「こういうの、手伝えるようになっといた方が良いぞ。戦うだけじゃ仕事無くて暇だろ」
「これからもそうだぞ。っていうか、これからはもっとだ」
「俺達っていう使い捨てにうってつけの駒が出来たからな。本当に緊急の時以外、お前が前に出て戦うなんてほとんど無くなるかもしれないぜ?」
っ⁉ つ、使い捨てだなんて思っていません! と、私が慌てるのを見るよりも前に、ジャンセンさんは凄く苦い顔で私に頭を下げた。
そういう意図は無い。ユーゴをからかったつもりだった、と。
「いやでも、現実問題としてしっかり考えとけよ」
「お前、いつもいつも不満そうに暇だって言ってるけど、その暇はお前が他に出来ることが無い所為だからな」
「むっ。別に、他にも出来ることくらいいくらでもある。宮の仕事だって手伝えるし」
ユーゴの言葉に、ジャンセンさんは目を丸くして私の方を見た。
そ、その……はい。
パールやリリィの補佐……私の補佐の更にその補佐という形ではあるが、宮仕事の雑務をユーゴにやって貰うこともある。
その……ジャンセンさんの言いたいことはよく分かる。痛いほどに。
「ち、違うのですよ。ユーゴにお願いしなければならないほどひっ迫しているのではなくてですね……」
「いや、うん……なんとなく分かった。しかしそうか……ふーん。こんなガキがねえ」
ガキじゃない。と、ユーゴはやっぱりジャンセンさんを睨み付ける。
そしてすぐに視線を私の手元の走り書きに向けると、眉間にしわを寄せて呻き始めた。
さっきのジャンセンさんの言葉を気にしているのだろう、なんだかんだと言って。
少しでも自分で理解出来無いか、手伝えないかと探っているようだ。
「……まだお金の話は難しいでしょう。貴方にはそういう経験がありませんから」
私の言葉にユーゴは嫌な顔をした。
お前には無理だと言われた気分だろうか。
私としては、そんなつもりも無いのだけれど。
それでも、その言葉が私の本心だ。
難しい話では無い。
そもそもとして、ユーゴはこの世界の経済について一切の知識を持っていないのだ。
元の世界でどれだけの学を修めたのかは分からないが、ここでは財布を持って買い物に出かけた経験すら乏しい。
それではとても、実感すら無しには机上に空論すら描けない。
「……そういやさ、お前ってなんなんだ?」
「なんか……当たり前にフィリアちゃんのそばにいるし、まあそういうもんかとスルーしてたけど。姉弟でもないんだよね?」
「フィリアなんて呼び捨てにもしてるし、どういう関係……っていうか、どういう存在なわけ?」
ううっ。そ、そこを今になって突かれるとは思っていなかった。
いや、いつでも想定しておくべきことではあったと思うのだが。
ジャンセンさんは紙面とにらめっこし続けるユーゴをじっと見つめて、本当に今更言葉にした当たり前の疑問に首を傾げている。
「ユーゴは……ええと……その……少し特殊な事情があってですね」
「立場としては、私の側近……最も信頼を寄せる護衛……なのでしょうか……?」
「いや、なんでフィリアちゃんが疑問形なのさ」
「それと……おい、ユーゴ。ツッコミ放棄すんな。呼び捨てならお前もやってるだろって言うとこだったんだぞ、こら。聞いてんのか」
うるさい。と、ジャンセンさんなんてお構い無しで、ユーゴはまだ走り書きを前に頭を抱えている。
考えれば分かるというものでもないと思うのだけれどな。
彼の場合、一度経験すれば悩まずとも理解出来るようにはなるだろう。
が、まだその一度目が無いのだから、仕方が無い。ではなくて。
「……あの……あまり公に出来ない出自なのです、彼は」
「ただ、その力と精神は国を良い方向に運んでくれるものだから」
「私が彼を支えて、この国の現状を打破しようと……」
「ふーん……ワケアリ……ねえ」
「ま、それで言ったら姉さんの強さもよく分かんないしね。痛い腹はこっちにもあるし、探り合いはよそうか」
そ、そうしていただけると……
まさか禁術を……それも、あまりにも人道から外れた外道の術を使って呼び出された別世界の人間だ、などとは。
どう説明しても理解されないし、問題が大き過ぎる。
いつか……いつか彼にも、人に出自を説明出来る日が来るだろうか。
それこそ、国を救った英雄である……と。
誰もがそれで納得してくれるだけの実績を上げられる日が来るのを祈るばかりだ。




