第百一話【縛られぬもの】
カンスタンの港町を出発して、私達は日暮れの少し前にカンビレッジに到着した。
今朝は早くに出発したというのに、やはり時間が掛かってしまうな。
こうなると、なんとしても海路の開拓を急ぎたいところだ。
「――やっと来たか、デカ女。さっさと荷物纏めて来い」
「マリアノさん、迎えに来てくださったのですか。ありがとうございます」
街へ入ればすぐにマリアノさんの姿が見えて、馬車から降りる私達に声を掛けてくれた。
出迎えが来るということは、相当に待たせてしまっていたのかもしれない。
謝罪の意味も兼ねてお礼を言うと、マリアノさんはそれはそれは不機嫌な顔で私を睨み付けてどこかへ行ってしまった。
ありがとうという言葉にあれほど怒る人物を他に知らない……
「……フィリアって実はかなり強いよな。なかなか……いや、なんでもない」
「え、ええと……とにかく急ぎましょうか。マリアノさんをこれ以上怒らせるわけにもいきませんし」
呆れた様子のユーゴと共に、私は必要な荷物を持ち出して砦跡へと――私達の活動拠点へと向かった。
もう兵士達も同行して構わないのだけれど、今回は彼らにも別の仕事がある。
役場での手続きや、カンビレッジ自体の調査……市場調査や、軍事物資の補給など。
だから、今日のところはまた私とユーゴだけが赴くのだ。
「こんばんは。お待たせしました」
「いらっしゃい。待ってたよ」
日も暮れ始めて暗くなった道を進み、私はまた砦の重たい扉を叩いた。
出迎えてくれたジャンセンさんと挨拶を交わしている時、マリアノさんとユーゴがなんとも似たような苦い顔を浮かべていたのは気になったが、しかしそれも以前のような憂いには繋がるまい。
私達はひとつの組織として活動している。多少の不和も信頼の証として。
「呑気に挨拶してンじゃねえ、このボケども。ったく、バカ女に引っ張られンな」
「テメエまで頭ン中腐ったら誰が指揮取るんだ、このクソ間抜けが」
「いったぁい⁉ け、蹴ることないでしょ、姉さん!」
「それと、いい加減そういう言葉遣いやめてって。俺達はもういがみ合う必要なんて無いんだから」
「っていうか、そんなことしてる場合じゃないんだから!」
トロくせえことしてる暇も無えよ! と、マリアノさんがジャンセンさんを何度も蹴飛ばす光景を見て、先ほどの挨拶の下りがふたりの機嫌を損ねたのだなと納得する。
ふたり……とは、マリアノさんと、ユーゴのふたり。
随分荒れているマリアノさんと、先ほどから冷たーい目で私を見ているユーゴの。
「あ、挨拶は大切ですよ。組織として成立しましたが、しかしまだそれも若いもの。礼を欠けば緊張感も失われてしまいます」
「互いが互いを尊重し、律し合う関係を……」
「緊張感無いのはフィリアだよ……」
「少なくとも、俺はまだアイツらの前で隙を作るつもりなんて無いし、マリアノもそれは同じだろ」
うっ。
どうしてもユーゴは、彼らを信用しないという形でしか信頼を築かないつもりなのだな。
マリアノさんの警戒心の高さも、根本的なところでは同じなのだろう。
しかし、最も用心深いであろうジャンセンさんが、これだけ友好的な態度を示してくれているのだ。
それに応えるには、やはりこちらも心の内をさらけ出すしか……
「いってて……ま、とりあえず座ってよ」
「今日はもう調査には出られないけど、話し合いは出来る。ううん、しなくちゃならない」
「明日の為にも、明日からの為にも」
「はい。これからは長く時間を取ることが出来ますから、以前よりもずっと綿密な調査が可能になります」
「数日後からは国の兵士も何名か連れて来られますから、その時に効率よく動けるようにしましょう」
私の言葉にジャンセンさんは笑ってくれた……が、その一方でマリアノさんは相変わらず呆れた顔をしていた。
そんな彼女に、ジャンセンさんは少しだけ真面目な顔で注意をして、文句があるなら喧嘩するんじゃなくて発言をしなさい。なんて言って……
「……はあ。じゃあ、言うけどよ。女王陛下ともあろうお方が、いつまで宮から離れるおつもりだよ」
「そんなに長い時間こんなとこに入り浸って、この国は本当に大丈夫なのか」
「テメエの指示で動く覚悟はしたつもりだが、テメエのおもりをし続けるのと、その裏で勝手に国が潰れるのを待ってる覚悟はしたつもりねえぞ」
「うぅ……っ。それは……それ……それを……言われると……」
想像以上にしっかりと急所を抉られてしまった。
その……それについては弁明のしようもない。
私が宮を離れるということは、つまり私の承認が必要な仕事は全て停止してしまうということ。
私からいくらかの権利ははく奪されたが、しかし義務や責務は変わりなく乗っかったまま。
その……忘れていたというわけではないが……
「……お恥ずかしい話ながら、マリアノさんのおっしゃる通りです」
「ですが、私が動かねば……私が直接目にしなければ意味が無い」
「それに、ユーゴを国軍に配属させるわけにもいきません」
「彼の行動権を議会にゆだねてしまえば、それこそ一切の身動きが取れなくなってしまいかねませんから……」
「……宮、俺達が思ってる以上に内ゲバしそうなんだね」
「国軍の召集権の一部を放棄したんだっけ。なら、確かにユーゴをそっちに移すわけにはいかない」
「ユーゴが動く為には、どうしてもフィリアちゃんも一緒にならざるを得ない……か」
うーん。と、ジャンセンさんは頭を抱えて、そして私とユーゴとを交互に見比べる。
こんなクソガキいなくても平気だ。と、マリアノさんはそう口にはするが、しかしそれ以上の文句も無い。
彼女もユーゴの力はアテにしているのだろう。
自分と同等以上の戦力は、彼女こそ最も欲しがっていただろうし。
「なら、いっそこっちにユーゴを預けてくれれば――」
「――断る。誰がお前らなんかと」
こら、ユーゴ。と、なだめる暇も無く、ユーゴはぷいとそっぽを向いてしまった。
そう、それも一度は考えた。
ユーゴを私ではなくジャンセンさん達と同行させれば、私は宮にいたままでも問題無い。
もちろん、救うべき地の状況はこの目で確認したい。
だが、私自身は現場でなんの役にも立たないという実情も忘れてはならない。
ならば、宮から指示を出すことに専念して……と、考えはしたのだ。
したけれど……それが実現するわけもないと諦めた理由が、たった今、目の前でふてくされてしまっている。
「だったら、調査は手短に済ませるべきだな」
「おい、デカ女。軍が合流出来る日までにこっちでやるべきことを纏めて、お前がオレ達に指示を出せ」
「んで、クソガキの力が必要になるタイミングでまた連絡する」
「もう大っぴらに動けるんだ。だったら、今ある戦力をどう動かすかをまず考えろ」
「うん、そうだね。姉さんの言う通り、調査自体は俺達に任せて欲しい」
「承認だの申請だのがいらない身軽さが俺達の売りだからね」
「フィリアちゃんとそれにくっついてるユーゴが動きづらいなら、動かせるものを使って作戦を進めるべきだ」
それは、ジャンセンさん達だけに全てを押し付けることになってしまわないだろうか。
せっかく協力体制を築けたのに、それでは以前と変わらないのではと思ってしまう。
だって、そもそも彼らだけの力で、北も南も守ってくれていたのだ。
私から出す指示など、今更あっても無くてもそう変わるまい。
そんな彼らの力にユーゴの力が加われば……と、そう考えて協力をお願いしたのに……
「あんまり難しく考えないで、フィリアちゃん」
「俺達は俺達で出来る範囲のことをやる。そして、そこから先へ踏み込む為の力を……ユーゴをたまに借りられればいい」
「成果が出ればきっと宮も変わる。そうしたら、フィリアちゃんもユーゴもずっと動きやすくなる」
「最初のうちはがんじがらめになるのも承知の上だよ、俺は」
「……ジャンセンさん……しかし、それでは……」
彼らだけに負担を強いてしまう。
ユーゴもそれがなんとなく分かっているのだろう。
納得した顔はしているが、こう言ってるんだからもう納得しろと私に迫るようなことはしてこない。
嫌っているのももちろん本心だろうが、しかしそれでもジャンセンさん達が心配なのだろう。
「……よっし、分かった。じゃあ、姉さんの出番だ。頼んだよ」
「……へ? あの……マリアノさんの出番……とは……」
ま、まさか……暴力的な説得はよしてくださいっ⁉
慌てて両手で頭を覆って身を屈めると、フィリアと私の名を呼ぶユーゴの声が聞こえた。
その声色は……やはりよく聞くもの――呆れたようなものだった。
「ここでテメエを殴って何になンだよ、このバカ女」
「明日、見せてやる。テメエがやってるその配慮が、無駄で無意味で馬鹿馬鹿しい思い過ごしだってことを」
「心配してくれるのは嬉しいけど、残念ながらそういうので飯食ってないからね」
「リスク背負ってなんぼ。俺達はそういう修羅場で生きてきたんだ。ちょっと認識を改めて貰おうかな」
ゆっくりと顔を上げると、脳天を鋭い痛みが襲った。
マリアノさんの平手がさく裂したらしい。
な、殴っても何もならないと言ったばかりなのに!
まだぐわんぐわんと視界と思考が揺れる中で、私は頼もしく笑うふたりの盗賊を目にした。




