一章 賽は投げられた 1
見えたのは蒼と緑の境目。かすかに弧を描いている。
目線を下げていくとうっそうとした森。時々まだらに家を視認できる。
一体ここはどこだろう。そう思って一歩踏み出す。
その、瞬間。
突如として浮遊感が生じた。足元を見るとはるか下に地面があった。褐色の地面を草花が彩っている。
そして――。
頬を冬の畳の冷たい感触が襲う。右半身がそこはかとなく痛む。その痛みと冬の寒さで目が覚めた。あまり寝相が悪い方ではないので、ベッドから落ちた事はないのだが。
「これは結構痛いな」
そう呟きながら、机の上の時計を這い上がって確認する。5時30分。おぉ、これなら家の手伝いができる。よし、今度からベッドの端で寝よう。
痛みはまだ続いているが、結果として早く起きれたので良かった。こういうものも『怪我の功名』というのだろうか。
そう思った私――、神々廻天音である。
階段を駆け下りて顔を洗う。母が作っておいてくれた朝食を食べた後、制服を着た。
私の通う学校は女子高で、制服はセーラー服だ。
シンプルだがところどころに思春期の女子の心をくすぐる装飾が施してあり、例にもれず私も見た瞬間に気に入った。
軽く背伸びをすると、外に出て箒を持つ。12月ともなれば落ち葉は少ないけれど、ない訳ではない。
特に私の家――、神々廻神社は木が多いので入念に掃かなければならない。
家を出ると、玄関から十数メートル離れた鳥居に人影が見えた。ワイシャツに黒ズボンを着て、ベルトで止めているので、きっと兄だろう。
父はいつも白衣と紫紋の紫袴を着ていて、洋服を着るのは町内会とかだけだから。話しかけようかとも思ったけれど、さすがに距離がありすぎるので思いとどまる。
神様に挨拶した後、境内にある落ち葉を掃いていく。兄が向かった方向とは反対方向に向かい、その途中から外側にむかって掃いていく。最後に一番端の方に落ち葉を集めてちりとりを取りに向かう。ちりとりの入っている小屋の引き戸の音がついさっき聞こえたので、兄が二つあるちりとりのうち片方を持っていたんだと思う。
そう思って小屋の引き戸に手をかけようとして。
「あぁ、天音。ここにいたのね。おはよう」
「――っ!」
思いだにしなかった声が後ろから掛けられ、思わず体を強張らせる。それを悟られぬように少しゆっくりとなるよう心掛けながら振り向く。
声から予想した通り、後ろには母が満面の笑みで立っていた。ほとんどいつも父と一緒にいるのだが、珍しく一人だった。
「おはよう、お母さん。どうしたの? 何か用事でもあった?」
きっと、母が望むであろう受け応えをした。この応えはあっていたんだと思う。母が笑みを深くした。
「今日、放課後って誰かと遊ぶ予定ある?」
「ない、けど…」
「そう! だったら今日、お神楽のお稽古しない?」
「お、お稽古…?」
お神楽、とは夏に行っている祭りで神々廻家の女性が行っている舞の事だ。
去年までは私もそこまでしっかりと舞えなかったので、母が舞っていた。でも去年の祭りの後「そろそろ私も舞が大変になってきたわねぇ。そろそろ天音に教えようかしら」と父に零しているのを聞いた。
だから春になったら稽古が始まるのだろう、とは漠然と思っていたが、こんなに早いとは思いもしなかった。
「えぇ、まぁ今日は軽く型のおさらいと通しをしてみましょうか。天音もそちらの方がいいでしょう?」
笑顔で頷くと、母は満足げに去っていった。
軽くため息をつき、ちりとりを取り出す。落ち葉をためておいた場所に行き、箒でちりとりの中に掃きいれた。
ゴミ袋に落ち葉を入れた後、ちりとりを小屋に戻し、少し考えた後、ぞうきんとバケツを取り出した。
バケツに水を汲み、ぞうきんを水に浸した後、軽く絞り、本殿の近くにあるお狐様の像を磨く。
やっぱり、冬の水は冷たい。後ほどカイロで手を温めよう。
よし、綺麗になったと思ったところでそろそろ登校する時間になった。一度家に向かって鞄をとると、私は駅へと向かった。
電車の中で窓の外の景色を見ながら考える。一体、今朝の夢は何だったんだろう。あんなにも自然が豊かな場所に見覚えはないし…。やっぱり予知夢か。
私の家は神社であること以外にもう一つ普通とは違うところがある。異能があるのだ。私の異能は予知と念力。ただ、両方ともまだ使い慣れていないので、過去を見ているのか未来を見ているんのか分からなかったり、引き寄せようとしたものを壊してしまったりする。
ともかく、あの夢にはもう1つ不明なところがある。最後の方、地面が近づいていったのは…。
「あ…」
もしかして、崖から一歩踏み出して落ちてしまったのではないか。あの高さからはさすがに生きてはいないだろう。
あの景色を見たら気を付けよう。そう決意した。
それにしても今日は家族の事も、予知夢の事も色々と考えすぎてしまう。いや、予知夢の事は考えないより考えた方がずっと良いのだが。こういう日は、何か大きな変化がある気がする。
そう考えていると駅に着いた。学校までの道を見やると。この国には珍しい、銀色の髪を見出した。
確認すると同時に走り出し、そして叫ぶ。
「フランーー!」