22:53 巨拳
待ち構える俺とルイセのもとへ、炎を突っ切って一直線に三つの影が迫る。
速い、狼か? いや――
「腰を落とせルイセ! こちらからは絶対に打って出るな!」
「は、はいっ!」
四つ足で駆ける獣は、その身を高く跳躍させた。
一見すると狼だが頭は二つある。
ほんの一瞬迷った末に、大口を開ける双頭の片方へ向け刺突剣を突き出す。
「ギャウッ!?」
飛び込んでくる勢いを利用して頭を刺しつらぬいたものの、依然もう一つの頭はグルグルと唸り声をあげていた。
刺突剣を引き抜く。
すかさず回転させて血を払い、残った頭の眉間に突き立てる。
ここでようやく獣はぐたりと地に伏せた。
「ふぅぅぅ――」
あと二匹。
脇を駆け抜けようとする獣へ振り向き様に刺突を繰り出し、双頭をひとまとめに串刺しとする。
すぐに剣を抜いて一回転。
「ガフッ! ガフッ!」
「――くっ」
だが最後の一匹を視線で捉えたときには、すでに後方へそらしてしまっていた。
獣はルイセの首へ食らいつこうと、全身をバネに長い距離を跳躍する。
「焦るな! 踏み込まずに待て!」
「はいっ!!」
指示通りに深く身を沈めて機会を窺うルイセは、獣が射程圏内に入った瞬間、ショートソードを水平に薙いだ。
二つの首が同時に切断され、頭を失った胴体はルイセを飛び越え地に叩きつけられた。
「や……やったやった!! 隊長っ! ボクやりましたよ!?」
大きく息を吐き、ひとまずは胸を撫で下ろす。
「ああ、よくやったな」
納剣すると、ルイセへ歩み寄って華奢な肩に手を置いた。
「隊長の判断のおかげです! ありがとうございました!」
「おまえの実力だ。冷静な対処だった」
「あ、いえっ……はい、えへへ」
緩む頬を隠すように、顔を伏せるルイセ。
こんな一言で喜んでもらえるのなら、今後も労いの言葉を忘れないようにしようか。
しかし、噂をすれば――というやつだな。
息絶えた三匹の獣を見下ろし、さきほどルイセと交わした会話を思い返す。
速度に乗った馬以上に俊敏な化物だ。
これでは、おいそれと伝令は出せなかったかもしれない。
もしくは早馬は出したものの、こいつらに阻止されたと考えるべきか。
「長く留まるのは得策じゃないな。また囲まれたらやっかいだ、宝物庫へ急ごう」
「そうですね、階段を上がりましょう!」
上へ向かいながら、見えなくなるまで獣の死骸を確認していたが、ゲルが発生することはなかった。
オークのように体積の大きな体でなければ、中に潜伏できないのかもしれないな。
時刻は22時56分。
今回、今のところは順調に思う。
一歩一歩段差を踏みしめながら、俺より少し先行して進むルイセが振り向く。
「そういえば、さっきの隊長のあれ! やっぱり格好いいですね!」
「あれ……?」
「あれです、あの敵を刺したあと、くるんって剣を回転させるやつ! 覚えていらっしゃらないですか? あれいつも隊長がやってた、癖みたいなものだと思います!」
あれは血を払いつつ、遠心力を乗せて連撃にも繋げやすかった。
ほぼ無意識だったが、いつもやっていたのか。
「ボクも訓練のとき真似するんですけど、中々うまくできなくて」
「いや……真似はしなくていいと思うぞ」
細身で軽く、多少のしなりがある刺突剣と違い、幅広のショートソードではやりにくいだろう。
ルイセなりの見合う型があるはずだ。
小柄であることも工夫次第で武器になる。
そんな風に目前を行く少女の戦闘スタイルを模索していれば、二階へ先に到達したルイセが「ひっ」と息をのんだ。
「どうした」
「た、隊長……みんなが……」
二階の階段付近に折り重なって倒れる兵の姿。
全員すでに事切れている。
通路を確認すると、右手に伸びる廊下はさらに複数の遺体が転がっていた。
狭さで展開できなかったか。
集団戦闘の利点がここでは活かせない。
まるで進軍してくる敵からなにかを守ろうとしたかのように、遺体は奥に続いている。
「きっと、ここにも化物が……!」
「それにしては妙だ。どの遺体も致命傷らしい傷は見当たらない」
煙はまだ充満していない。
したがって死因は他にある。
やはり敵なのか。
だがこれまでに出会った化物を考えれば、遺体はもっと損傷して然るべきだ。
だとすれば、まだ俺達の知らない特性を持った化物がいるということだろうか。
遺体に沿って慎重に歩を進めていくと、一つの扉の前でまた三名の亡骸が見つかった。
ここへの侵入を防ごうとした?
「ルイセ、この中は?」
「えっと、たしか談話室……みたいな、少し広い空間がある部屋だったと。二階はあまり来たことがないので、すみません」
広い空間。
確認……すべきか。
「扉から離れていろ」
「は、はい。お気をつけて、隊長」
直角に曲がった取っ手を掴み、捻る。
扉はカチャリと開いて――
暗い部屋の中には、一人の男がいた。
「はあっ……はあっ……はあっ」
血を思わせる深紅の髪を総髪に撫でつけ、壁に寄りかかって座る大男。
男は荒い息遣いでこちらを睨みつけると、その巨躯をゆっくり立ち上がらせた。
胸板がぶ厚い。
隆起した筋肉が、男の纏う布服をもりもりと押し上げている。
「う、ウルフ様……?」
うしろでルイセの呟く声が聞こえた。
ウルフ――七騎士の一人か?
「はあっ、はあっ……フェンサー、貴様、なぜこんなところにいる?」
ウルフは憎々しげに歯を食いしばり、鉄塊の如き拳を握り込む。
筋肉の密度が倍ほどにも膨れ上がったかのように錯覚した。
「王が死んで、貴様はなぜ生きている……ッ! そうか、貴様……貴様もかッ」
……貴様も?
聞き逃しはしないが、話を聞いてくれそうな状況にも思えない。
「ま、待ってくださいウルフ様! ボク達はただ――」
「下がっていろルイセ!」
ルイセを制止した直後、ウルフの巨体に見合わぬ踏み込みで距離を詰められる。
「フェンサアアアアアッッ!!」
あまりの殺気に体が反応する。
振り下ろされた拳を避けると同時、刺突剣を剛腕目がけて抜き放った。
「な――」
加減はできなかった。
腕を斬り飛ばす勢いで剣を抜いたはずだ。
しかし刃は、ウルフの筋肉を断つことなく二の腕半ばで止まっていた。
「ごあああああッ!!」
ウルフの返しの拳を柄で受け止めるも、体は浮き上がり背中から壁に叩きつけられる。
「がは……ッ!?」
「隊長っ!!」
込み上がってきた液体を吐き出した。
こんなところで、まだ死ぬわけにはいかない。
まだなにもわかっていない。
剣を支えに体を起こし、今や髪だけでなく全身を怒りに染めた巨漢を睨め上げた。