22:44 変化する様相
「これは……なんの鐘だ」
「兵舎の物見棟にある鐘ですよ! 本当に忘れちゃったんですか!?」
「冗談ではないと言ったはずだ。物見棟――今そこに誰かがいるということになるな。鐘の役割は? 時刻を知らせているのか?」
それにしては中途半端な時刻だ。
甲高い音はいつまでもカンカンと鳴り止まず、妙に焦燥感をかき立てられる。
「あの鳴らし方は警鐘です! まだ生き残ってる仲間がいたんだ……行きましょう隊長!」
危険が迫っていると伝えるためのものか。
城は包囲され、城内もすでに敵だらけだ。
今さら警鐘を鳴らす意味があるとは思えないが、他の目的があって鳴らしているのかもしれない。
たとえば。
「生存者をあぶり出すための罠、ということも考えられる。敵は俺達を生かすつもりがないようだからな」
「それは……そうかもしれませんがっ、仲間が助けを待ってる可能性もありますよね!?」
「ああ、もちろんだ。だから確認は慎重に、迅速に行わなければならない。まずは宝物庫に竜姫とやらを取りに行く。助けるつもりが化物に返り討たれるわけにはいかないだろう」
「じゃ、じゃあさっそく! ボクが先導します!」
言葉通りに駆け出すルイセ。
思わずその背を呼び止める。
「おまえは、俺の話を信じるのか? 七騎士や隊長である記憶が無いと知っても、俺についてきてくれるのか?」
「今の返答でわかりました! たとえ記憶を失っていても隊長は隊長です! 絶対に仲間を見捨てたりなんかしない人です!」
そうか、俺への信頼の要はそこにあるんだな。
目覚めたばかりの頃は、城を捨てて逃げようとしたのだが。
「……ありがとう、ルイセ。案内を頼む」
「はいっ! 宝物庫は本城三階、玉座の間となりの通路奥です! その、ボクは行ったことないのですが、だいたいの場所なら!」
ルイセを前にして、仲間を見捨てるという行為は厳禁だと覚えておこう。
俺とて、手の届く範囲であれば救ってやりたい。
いざ反撃に移ったとき、戦える人数が多いに越したことはない。
裏庭をルイセと駆け抜けながら、ともかく様々な情報を共有していく。
宝物庫がある本城とは、さっき通ったアーチ状の階段を備える、城の中枢らしい。
一階は大食堂や調理場、応接室、使用人の部屋などがあるそうだ。
「二階には七騎士様達の居室があります。隊長のお部屋もそこに。あとすごく広いバルコニーもあるんですよ!」
「俺の部屋か。なにか記憶を呼び起こす手がかりがあるかもしれないな。ルイセはどこに住んでいるんだ?」
「あ、ボクは本城に隣接する兵舎棟に住んでます。兵舎は街にもありますが、王城守護隊はみんなお城住まいです!」
兵舎棟は物見棟と行き来できるよう内部で繋がっていて、本城を挟んで反対側には主に客人を泊めたりする別棟があるとのこと。
要するにここは、大きく三つの建物から成る城だということだ。
「くっ……やはり凄まじい熱気だな。どうにか消火できればいいんだが」
炎上する城内へと舞い戻った俺とルイセは、勢いを増す炎を前にしばらく立ち尽くした。
額の汗をぬぐい、ルイセがこちらに顔を向ける。
「でも、なんだか不思議な感じがします」
「ん? なにがだ」
「ボクが隊長にお城のことを説明したりだとか、変な気分です」
「まあ……そうだろうな。しかしまだまだ聞きたいことはたくさんある。面倒だとは思うがつき合ってもらいたい」
「面倒だなんてそんなっ! もちろん、はい! なんでもお聞きください!」
なるべく煙を吸わないよう口と鼻を塞ぎ、火勢の弱いところを選んで進む。
オークやゲルに対する警戒も怠るわけにはいかない。
「そもそも、あの化物どもはなんだ? 俺達はどこの誰と戦っていたんだ?」
「それは……」
どこか言い辛そうにして、ルイセの歩幅は段々と狭くなってしまう。
俺も足を止めた。
「どうした?」
「いえ。たぶんですが敵は……大陸最西端の、小さな国から来ているんだと思います」
「たぶん? 確証はないのか?」
「は、はい。隊長は大陸の形を覚えていらっしゃいますか?」
「すまない、覚えていない」
ルイセによれば、俺達が住む大陸は“三日月”の形をしているらしい。
三日月のてっぺん、最北にこの王国。
南に下ると一つの国があり、そこから南西に進んでさらに国が一つ。
そして大陸の最西端に、ルイセの言う国があるのだとか。
「大陸平定のために進軍したボクらは、二つの国に勝利し、西の端まで到達しました」
「そこが化物を擁する国だったと」
「えと、西の岬にぽつんと古城が建っているだけでした」
古城?
どういうことだ、それは。
「化物もいなくて、それどころか兵士も、街もありませんでした。本当にお城だけしかなくて」
「それは国と呼べるのか?」
「わ、わかりません。ですが、王自らお一人で古城に入られて……」
王が自ら……進軍に参加していたというのか?
「しばらくして出てこられた王は、全軍に撤退を指示されました。そして王国にお戻りになったあと“戦の準備を進めよ”と」
「よくわからないが、こうなることを予見していたかのような流れだな」
「ボクもそう思うんです。古城でなにがあったのかはわかりませんが、あのときは皆、困惑していました」
ルイセの言う通り、解せない話だ。
気になる点が多すぎて、どこから考察すればいいのか悩ましい。
俺達の預かり知らぬところで勝手に話が進んでいるような、得体のしれない気持ち悪さを感じる。
「それと、もう一つ気になることが」
「なんでもいい。思ったことは全部話してくれ」
「はいっ。もし、その古城から化物が溢れているのだとしたら、やっぱりおかしいんです」
そこで一度ルイセは口をつぐんだ。
俺は黙って続きを待つ。
「古城からボクらの王国まで進軍してきたんだとしたら、途中で必ず二つの国の主要都市を通過します。どちらの国にも、王国の大規模な部隊が駐留しているはずなんです」
「なるほど。それなのに、今回の奇襲を察知できなかった」
「はい、伝令の一人すら王国に来ていません。早馬だって所持しているのに、やっぱりおかしいですよね!?」
たしかにあれほどの大軍勢、見逃すことなどはありえないだろう。
伝令が出せるような状況ではなかった。
それはつまり。
「駐留部隊はすでに壊滅している」
呟けば、ルイセの肩がビクッと跳ねた。
「そ、そんな」
「いや……まだそこまでの状況には陥っていない可能性もある。ルイセ、俺達が相手をしているのは化物なのだ。たとえば伝令の馬より速い化物がいたとして、迂闊に動けないのかもしれない」
「そ、そうですよね! 早くボクらが、皆を助けにいかないと!」
希望的観測にすぎないのはわかってる。
だがここでルイセの不安を煽るよりは、わずかな希望でも抱いていた方がいい。
なにせ俺達は今、はっきりと絶望の淵にいるのだ。
未来への期待すら奪われてしまったら、きっともう動けなくなってしまう。
「そのためにも、まずは“竜姫”を手に入れる。行こう」
「はい!」
アーチ状の階段周りにオークの姿はない。
ならばと一気に駆け上がろうとするも、ふと異臭を感じて立ち止まる。
「どうしたんですか、隊長?」
「ルイセ――抜剣しておけ」
言いつつ自分も刺突剣を引き抜いた。
燃え盛る炎の先、長い通路の向こうを見据える。
濃い、獣臭がした。