23:11 悪意は忍び寄り
死ねば、人間には理解の及ばない不可思議な力で過去へ飛ぶ。
まさしく神の御業。
ありえない奇跡だと思いつつも、そう考えていた方がまだ幾分か楽だった。
だがそれでは今しがた体験した、あの闇の空間の説明がつかない。
俺は単純に時間をさかのぼっていたのではない。
ごく短い間に、この世界は何度も崩壊と再生を繰り返している。
さきほど俺が死亡した時刻は23時8分頃。
世界はすでに崩壊の最中だった。
つまり俺が死んでから崩壊が始まるのではなく、おそらくこうして復活した時点より、背後で再生の準備は進んでいるのだ。
あの闇の中で。
その準備に要する時間が10分間。
準備が整うと同時にあらゆる事象が保存され、再出発の際にそこから時はまた流れ始める。
「再生完了と共にシャッターで切り取られる世界、か……」
導き出した答えは、あまりに突飛かもしれない。
不思議な力で過去に飛ぶのと、遜色ないほどの奇跡にはやはり違いない。
ただ、こんな世界が全うでないことくらいはわかる。
作為的だ。
神や悪魔ではない、人の歪んだ悪意とでも言えばいいか。
どこかの誰かが世界をこのように設定したのだ。
「はあ、はあ、こ、ここまで来れば大丈夫かと。それにしても、シャッター……? とは、なんのことですかフェンサー様」
ずっと俺の腕を引いていた少女が手を離し、一階層下の開けた場所でしゃがみ込む。
「シャッター? ……俺が言ったか、そんな言葉を」
思い返せば言っていた気もするな。
シャッターで切り取るだのと。
つい無意識に出た台詞なのだろうが、切り取る物を指してシャッターという名称に心当たりはない。
ふうっと息を吐いて立ち上がり、汗を拭う少女の顔を見つめる。
そういえばあのとき――
闇の空間で全てが底の穴へと落ちていく中で、俺とこの少女だけは空間に留まっていた。
黒騎士を含む化物だけでなく、怪鳥に捕まっていた兵達も深い穴底へ消えていったはずなのに。
なぜ、俺と少女だけがそうならなかったんだ。
「あたしの顔に、なにか……あっ! 申し遅れました、あたしはタオって言います! 強弓隊、斥候班の一員です!」
「タオか。俺は王城守護隊、隊長の――」
「え? もちろん存じてますよ。フェンサー様を知らない兵士なんていませんって! あはは!」
タオの言う通りだった。
今は頭がよく回らないと自覚しているが、想像以上に動揺は激しいらしい。
「フェンサー様もご冗談をおっしゃるんですね! ルイセから聞いてた話じゃ、もっと硬い人だと思ってました」
「ルイセを知っているのか?」
「兵舎で同室なんですよー。あの子、なにかあるたびに――いや、なにもなくても毎日隊長が隊長がって話してますよ」
そう言って笑みを見せるタオ。
元気なところはルイセに劣らないようだ。
より、遠慮がない。
「でも、助けて下さってありがとうございました! 流石ですね、あんな化物を一瞬で倒されるなんて!」
一瞬で倒したように見えたのか。
黒騎士との戦力には相当な開きがあった。
不測の事態がなければ、今頃は俺の方が肉塊に変わっていただろう。
「しかしタオ。おまえは平気なのか? 俺があと少し早く到着していたら、仲間も救えてやれたかもしれなかった」
あの兵達の命を救うことは、もう叶わない。
取り戻せない10分の狭間に消えてしまった。
今になって膨らんできた悔いから尋ねたのだが、タオはすぐに首を振る。
「悔しいけど、仕方ないですよ。戦争なんですから。あたし自身も死を覚悟してましたし」
日頃から闘争に身を置く者の死生観。
俺にはまだ備わっていない感覚だからか、やや冷たい印象を受ける。
「それに、どのみち……」
「どのみち、なんだ?」
「あ、いや、あきらめたわけじゃないんですよ? 一生懸命まだ戦うつもりではいますけど……あたし達も近い内に、あっちに行くんじゃないかなって」
あっちとは、死後の世界のようなことを言っているのだろう。
城は粛々と滅びに向かっていて、タオも敏感にそれを感じ取っている。
朗らかな笑顔の裏で、とうに死ぬ覚悟を固めているのだ。
頭の後ろで結わえたタオの青い髪が、風にたなびいて儚げに揺れていた。
のまれるな。
俺は、まだ生存も勝利もあきらめてはいない。
自分のこともわからず、こんなところで野垂れ死ぬわけにはいかない。
「いやーだけど、仲間の死をスカイ隊長に伝えるのは勇気いりますね。スカイ様はお優しいから、あんまり悲しそうな顔見たくないんですよね」
そうか……強弓隊というのはスカイの部隊か。
ちょうどいい。
スカイならもうすぐここに現れるはずだ。
「フェンサー様はこれからどうされるんですか?」
「ああ、竜姫を取りに宝物庫へ行く」
「それじゃお供しますよ。スカイ隊長ともどこかで会えるかもしれませんし」
そのスカイと合流して向かうつもりなんだが。
わざわざ待っていなくとも俺達の方から兵舎棟に入れば、現在ここへ向かってるだろうスカイとはすれ違わないですむ。
しかし。
俺はチャームを開いて時間を確認する。
「いや……少し休憩していこう」
まだ23時20分になっていない。
世界が再生を終えるまでの、10分の間に命を落とすとまたあの闇で目覚めてしまう。
俺やタオのみが奈落に飲み込まれなかった理由もわからない。
ただの偶然だった可能性もある。
危険を避けるためにも、生き返った直後の10分間はこれまでと同じく慎重な行動を心がける。
たとえ世界の真実に迫ろうと、化物に囲まれ、落城寸前の絶望的な状況に変わりはなかった。
スカイを待つ間にタオと情報を共有した。
城へ侵入してくるオーク、なにより怪鳥の存在をいち早く察知した強弓隊は、スカイの命で物見棟から迎撃にあたっていたとのこと。
本城と別棟のやぐらにも他の隊員が散っていて、鳴り響いていた警鐘は物見棟の壊滅を知らせるためだったらしい。
タオの話を聞いたあとは、俺達の近況を伝えた。
「――よかった! ルイセも無事なんですね」
タオはなによりルイセの生存を、自分のことのように喜んだ。
一息ついて、時計を見る。
すでに20分を回っているがスカイは姿を見せない。
前回ならそろそろ現れている時間のはずだ。
俺が行動を変えたせいで、スカイの行動にも変化を及ぼしてしまったのだろうか?
「フェンサー様、そろそろ行きますか?」
「……そうだな」
前と変わったのは、黒騎士が死んだこととタオの生存、あとはルイセとミストを礼拝堂に直行させたくらいのもの。
スカイへの影響はほとんどないと思われる。
本城へ向かう道中で会えるだろうと、俺はタオと兵舎棟への扉を開ける。
「できる限り側を離れるな。あと化物を見かけても闇雲に突撃するのはやめてくれ」
「わかりました! でもそんなことしませんよ、ルイセじゃあるまいし」
「……助かる」
よく理解しているな。
さすがルイセの同室といったところか。
兵舎棟の長い廊下は明かりもなく、静寂に包まれていた。
立ち並ぶ扉の一つ一つが、兵達の居室となっているのだろう。
ここは兵舎棟の三階。
下へ降りるための階段がさっそく見つかるが、途中で破壊され使用できそうもない。
「ここにも敵が侵入してきましたからね。突然のことでみんな混乱してました。……奥にあるもう一つの階段を使いましょう」
奇襲に加え化物の群れだ、無理もない。
俺が目覚めた22時には本城が燃えていたことを考えると、襲撃は一時間ほど前だろうか。
何気なく窓に寄り、外へ目を向ける。
兵舎棟の前をうろつくオークが一匹、霧の中に確認できる。
「うわ、いますね。仕留めときましょうか?」
いつの間にかすぐ隣にいたタオが、背中の長弓を手に取った。
「できるのか? 外せば位置が露呈するぞ」
「あたし、狙撃は得意ですよ。さすがにスカイ隊長には負けますけど」
矢筒から矢を抜き、弓につがえるタオ。
無言で見守る俺をちらりと見て、弓を引き絞る。
「じゃあ、やりますね」
「ああ」
弦が限界まで張られ、ぎりぎりと独特の軋みを解き放つかのように矢が射出される。
風切り音がヒュッと耳に届いた直後には、矢はオークの頭部へ見事に突き刺さっていた。
「やるじゃないか、見事なものだ」
「ありがとうございます! 本職ですからね。いやールイセに嫉妬されちゃうな」
素直に称えると、照れ隠しかそんなことを口にしてタオは長弓を背負う。
倒れたオークに他の化物が寄ってくる気配がないことを見届けた俺達は、廊下を進んでいく。
と、一つの扉の前でタオが止まった。
「ここ、あたしとルイセの部屋です。フェンサー様、ちょっと大事なものを取ってきていいですか?」
「大事なもの? 別に構わないが」
「ありがとうございます。ではその、少しだけ待ってていただけると……」
「大丈夫だ。覗いたりはしない」
「すみません、すぐですから!」
慌ただしく部屋に入っていったタオは、本当にすぐ出てくる。
今は時間がないのでありがたいが、どこかで皆に休息の時間を取らせてやりたいものだ。
「もういいのか?」
「はい! 行きましょう」
廊下を突き当たりまで進み、二階への階段を下りる。
階段の一つが壊れていたおかげで、スカイとすれ違ってしまう可能性は低くなった。
二階の廊下も三階と同じ造りになっているが、破壊された扉の破片や血痕が目立つ。
兵やオークの死体もいくつか転がっている。
むやみにオークへ近づけば、ゲルが潜んでいるかもしれない。
狭い廊下ではゲルから逃れることは困難だ。
生存者の捜索などはあきらめる他なかった。
スカイの姿がないことを確認して、俺とタオは言葉を交わすことなく一階へ。
「これは……」
一階の惨状は凄まじいものだった。
むせ返るような鉄の臭い。
血の海が形成された廊下は死体が折り重なり、歩けばぴちゃぴちゃと水音が鳴るほどだ。
タオは目を細め、やはりなにも語ることなく死体を避けて廊下を歩く。
心がないわけじゃない。
その足は可哀想なくらい震えている。
必死に感情を押し殺して、前に進んでいるのだ。
何人もの体液が混ざった赤い水溜まりは粘つき、ブーツの重しとなって歩みを鈍くさせた。
三階廊下の倍以上も時間をかけて、ようやく兵舎棟の外へ出る。
未だ霧の漂う不快な空気だったが、それでも深く息を吸って肺に取り込んだ。
取り込まずにいられなかった。
見ると、タオも同じように深呼吸を繰り返している。
「大丈夫か?」
「あれは……ひどいですね。みんなも命懸けで、戦ってたんですね」
「そうだな。だからこそ、その意志を無駄にはできない」
頷くも、膝を震わせるタオの体を支えてやり、霧の向こうの本城へ目を向けた。
結局、兵舎棟にスカイはいなかった。
ならばどこにいる。
スカイがいなければ宝物庫の鍵は開けられない。
水路の怪魚を警戒して刺突剣を抜き、本城へ足を運ぶべく霧に身を投じる。
すると、霧の向こうからこちらへ歩いてくる人影があった。
影は徐々に、くっきりとその姿を現す。
細身の体に、白い肌。
金髪の下の顔はやつれても見える。
探し求めていたスカイだった。
「無事だったか!」
「ああ、君も。よく無事だったね」
「俺達は礼拝堂に集まる予定だ。それと――」
「竜姫かい? 宝物庫の鍵なら、開けておいたよ」
話が早くて助かる。
そうか、どういった経緯があったのかはわからないが、先に宝物庫へ行っていたからスカイの到着は遅れたのだ。
「だけど僕は兵舎棟に少し用事がある。礼拝堂にはそのあと駆けつけるよ」
「わかった。化物がいないのは確認したが、気をつけろ」
「ありがとう。君も気をつけて」
見ていると不安になる薄い背を見送っていれば、タオが耳元に顔を寄せてくる。
「今の人……フェンサー様のお知り合いですか? あ、別棟に来てらしたお客様とか……」
鼓膜から脳に言葉が流れ着くにつれ、全身が凍りついた。
聞き返すまでもない。
タオがなんと言ったか、意味は明確だった。
俺はタオに対し口元に人差し指を立て、去っていこうとする男の背中を呼び止める。
「待ってくれスカイ。おまえにもう一つ聞きたいことがあったのだ」
「……なんだい? フェンサー」
立ち止まり、顔だけこちらに向ける男へ聞く。
「――おまえは誰だ。何者なんだ」
少しの間を置いて、俺へ向き直った男は困ったように頭を掻いた。
「それは本来、君が投げかけられるべき言葉だよ。でも、まあいい」
男が両手を広げると、水路から激しく水柱が立ち昇る。
空には翼のはためく音が集い、オークの唸り声が複数近づいてくる。
視界不良の霧の中でざわざわと化物の気配が濃くなり、腕に寄り添ってきたタオの震えが俺にもはっきりと伝わった。
「人形がなぜ、疑問なんて持つんだろうね。僕には理解できないな……フェンサー」




