23:28 鏡面の異形
兵舎棟を飛び出した俺は、無事にミスト、ルイセの二人と合流する。
周囲には怪魚のみならず、絶命した数匹のオークも横たわっていた。
「二人共無事か? 怪我はないな」
ナプキンを使い、短刀にこびりついた血を丁寧に拭き取りながらミストは頷く。
「ええ、ルイセは綺麗な体のままよ。あなたは……打撲かしら? 額も少し切れているわね」
「大丈夫だ。なんともない」
額はともかく、体を打ちつけたなどよくわかったものだ。
細かな観察眼に優れているからこそ、ルイセをしっかりフォローしてくれたのだろう。
「それより隊長! 物見棟の生存者は!?」
「すまない、手遅れだった」
「そ、そんな」
「しかし落ち込んでいる暇はない。急いで礼拝堂に戻るぞ。敵が空から迫っている」
見るからに肩を落としているルイセを、それでも急かすように走らせた。
物見棟で死亡したあの少女、思えばルイセと同じくらいの年頃だったろうか。
もし救えていたならば、ルイセの良い話し相手になったかもしれない。
まだ、大丈夫だ。
ここからミスをしなければ、まだ取り戻せる。
自分に言い聞かせて駆ける。
「地上も水路も空も……逃げ場なんてないわね」
「心配ない。きっとすべて、どうにかしてみせる」
「隊長……? ど、どうにかって言っても」
「うまく説明はできないが、信じてくれ」
「…………はい」
ルイセからの応答は小さなものだった。
それも仕方ないことだ。
今は不信感を持たれても、行動し続けて証明していく他ない。
本城への道を戻るすがら、二人に経緯を話した。
スカイに出会ったこと。
そのスカイが竜姫を礼拝堂に届けること。
俺達は礼拝堂で敵を迎え撃ち、反逆の算段を立てる。
脱出路についての言及や答え合わせをするのは、そのときだ。
「隊長! あそこ!」
本城を裏へ通り抜けると、礼拝堂の屋根に群がる化物を視認する。
翼をもつ化物達は、どうやらゲルの爆発で壊れたステンドグラスから中へ侵入しているようだ。
短刀を抜き放ち、いち早く礼拝堂までたどり着いたミストが扉を開ける。
そのため俺とルイセは立ち止まることなく内部に飛び込むことができた。
「恐れるな、前へ出ろ! 貴様らがたとえ死すとも我が記憶にしかと焼きつけるッ!」
「おお!!」
ウルフの怒号が飛び、奇声をあげる化物と兵士が剣を交えて入り乱れる。
礼拝堂は戦場と化していた。
「来ていたかウルフ!」
「遅かったなフェンサー。早く剣を振るえ、まるで手が足りぬ――ふんッ!!」
衰えを見せない巨拳で化物の頭部を殴り潰したウルフは、拳から滴る血を拭いもせず次の標的へ悠々と向かう。
鳥の如き翼とくちばしを持ち、体色は赤に近い。
それでいて体躯は人間サイズにまで引き伸ばされた化物ども。
醜悪という言葉以外出てはこないが、物見棟から見上げた化物とは少し違うように思う。
「エアと子供達は――」
いた。無事なようだ。
礼拝堂の隅に子供達を集め、果敢に正面を守るよう立ち塞がっている。
あそこに化物を近づかせるわけにはいかない。
「よし、ウルフ達に続くぞ!」
「はいっ!」
盾の扱いにも慣れてきたか、ルイセの戦いぶりも様になったものだ。
上からの襲撃は対応に苦労したものの、今回はウルフの部隊がいるおかげで数の不利を強いられることもなかった。
二匹以上の化物に囲まれることのないよう、互いに声を掛け合いながら確実に処理していく。
「――ふぅ。まあ、こんなものかしら」
「ギ……ギ……」
うつ伏せで悶える、最後に残った鳥もどきの後頭部へ踵の刃を落とし、ミストは短刀の手入れを始める。
制圧にかけた時間も少なく、犠牲者もなし。
十分な結果だった。
「やりましたね隊長! ……わわっ!?」
わらわらと集まってきた子供達の対処に追われるルイセを見て、皆の緊張が緩んだ。
ひとまずは俺もホッと胸を撫で下ろした。
歓声に沸く兵達を尻目に、ウルフが鼻を鳴らす。
「それで、貴様らの成果は?」
「ああ、物見棟の生き残りは救出できなかった。それと、スカイがここへ竜姫を持ってくる手はずになっている」
「スカイが? ……ふん。竜姫さえ揃ってしまえば、化物に遅れを取ることもあるまい」
俺にとっては七騎士や現在の兵力でも心強いのだが、竜姫とはそれほどか。
現状を打破する光明が、より大きなものとなった気分だ。
クラウンの行方がわかったか聞こうとしたところ、子供達の輪からこちらを見つめるエアに気づいた。
「エア、遅くなってすまない。よく持ちこたえたな」
「いえ……フェンサー様こそ、よく無事にお戻りになってくれました。私にとって、それがなにより喜ばしいことです」
長い銀の髪を耳にかけ、微笑みをたたえたエアが歩み寄ってくる。
言わなければ。
その笑顔を曇らせる無粋な言葉だとしても。
脱出路など存在しなかった、と。
「な――フェンサー、上! まだいるわ!」
ミストの声に、全員が割れたステンドグラスを注視した。
窓枠にしゃがみ込んで、そいつは俺達を窺うようにじっと見下ろしていた。
顔にあたる部分に人を思わせる目や鼻や口は無く、最初はフルフェイスのヘルムを被っているのかと勘違いした。
だが翼と一体化した体は、継ぎ目なく顔と繋がっている。
右腕も突撃槍を握っているわけではなく、そのような形に成っているのだ。
翼も全身も真っ黒な光沢を帯びた、限りなく人間に近い造形――
そいつが窓枠に立った瞬間、ぞわりと背筋に悪寒が走る。
心臓が跳ねあがる。
こいつは、この感覚は。
まさか城の最後に現れた、奴らと同じ……
「全員……下がれッ!!」
無意識に声を張り上げていた。
あのとき叩きつけられた絶望が、今も心の奥底にしっかりと残っている。
七騎士だ隊長だと呼ばれていても、自分がただの人間に過ぎないことを思い知らされた。
あんな恐怖を誰も知る必要はない。
ならばどうする。
逃げるといってもどこへ? この人数をどうやって? 子供達だっているんだ。
焦る気持ちが、一度は捨てたはずの自死という選択肢を脳裏によぎらせる。
そうだ、ここで俺が率先して玉砕すれば、再び時は巻き戻って……
「聞き違えたか? 下がれば、我が拳はアレに届かぬぞ」
「あなたの命には抗いがたい魅力があるのだけど、不思議ね。でもフェンサー、その命には従えないわ」
両の拳を打ち鳴らし、または磨き上げた短刀を手にして、ウルフとミストが俺の隣に並んだ。
「奴らを一匹でも多く……それが死んでいったみんなへの弔いです! 隊長がいて、七騎士様達がいて、たくさんの兵がいて、ボクらに負けはありません!」
気勢を吐くルイセに釣られ、兵達も雄叫びをあげてそれぞれの得物を一斉に構える。
どの顔を見ても、ルイセの言葉通り負けなど考えていないことは明らかだ。
王や、城や、同胞の復讐に身を燃やし、化物を根絶やしにすると決意の込められた頼もしい表情。
だが違う。
違うんだ、そうじゃない。
おまえ達はなにもわかっていない。
そいつは、これまでの敵とは異質な化物なのだ。
「直上を取られるな! 我が奴を引きつける! 貴様らは包囲陣形にて敵を一気に殲滅せよ!」
化物からほんの一瞬だけ視線を外したウルフが、兵達に指示を飛ばした刹那のことだった。
ステンドグラスの枠に立っていたはずの、奴の姿が消えていた。
「――――あ…………?」
化物はウルフの眼前にて右腕を突き出していて、黒い突撃槍がウルフの腹をつらぬいていた。
「ぐ……お」
派手に喀血したウルフを頭上に掲げ、化物は突撃槍を無造作に振り払う。
綿毛の如く舞ったウルフの巨体は、礼拝堂の高い天井へ激突して木片と共に落下した。
言葉を発する者など誰もいない。
あまりにも非現実的な、理解の及ばない光景を目の当たりにしたからだ。
視界にすら映らない踏み込みの速度。
礼拝堂の天井まで巨躯を放る膂力。
どちらも常人の想像を超えた事象であり、皆呆けたように立ちすくんでいた。
「……エア。子供達を連れて逃げろ」
「で、ですが」
「時間を稼ぐことさえままならないんだ! 早く行け!」
奴は突撃槍をヒュンと一回転させ、こびりついたウルフの血を払う。
そして礼拝堂の扉へ子供達と向かう、エアをゆっくりと見据える。
「させるか……!」
礼拝堂の扉を背に、化物の前へ立ちはだかった。
黒いフルプレートのような体と、腕と一体化した突撃槍。
さしずめ“黒騎士”といった風体の化物だが、脳が即座に否定する。
貴様などは騎士ではない。
俺が知る、騎士とは。
「ふッ――!」
死角から飛んできた針を、黒騎士は頭を揺らしてあっさりとやり過ごす。
目などないくせに、見えているのか?
「フェンサー! そいつから離れて!」
疾風のように駆けつけ、黒騎士に接近しつつ短刀を薙ぎ払うミスト。
影だけを残して消え失せ、ミストの側面で深く腰を落とす黒騎士は、引き絞った突撃槍をミストの脇腹に突き刺した。
「――ッ!?」
槍の先端がグンと伸びる。
ミストを穂先に捕らえたまま、突撃槍は壁に衝突する。
「がは……ッ……」
口から鮮血を吹きこぼすミストを、槍はまだ離そうとしない。
生物のように、有機的に突撃槍はうねり、真一文字につらぬいたミストの体を宙空に吊り上げた。
「そ、う……わたしが、なにをするでもなく、もう、終わって……いたのね」
ミストの腹を貫通してなお、槍の先端は伸びて円を描く。
漆黒の槍は、そしてミストの下方から迫り。
「ミストッ!」
「……不思議、ね。フェンサー、こいつ、どことなく……」
最後の言葉を残すことも許されず、細い体は縦に穿たれた。
十字につらぬかれた給仕服から、命の滴がボタボタと礼拝堂に降り注ぐ。
蛇の如く伸びた突撃槍がヒュルヒュルと縮み、ミストの亡骸は床に放り出された。
黒騎士はまた、槍を回転させて血を払う。
「た……隊長……なんですか、あいつ」
「逃げるぞ。と言いたいところだが、とても逃げ切れるとは思えん。ここで活路を開くしかない」
スカイはまだか。
もう、竜姫とやらに賭けるしか道はなさそうだ。
足が微かに震えていることに気づく。
ミストが最後に言おうとした言葉、その意味に気づいたからだ。
この黒騎士の戦い方、どこか既視感がある。
血を払うため、わざわざ得物を回転させる動作もそう。
「おまえは、なんだ。誰なんだ」
光沢のある黒い化物の体に、恐怖に引きつった俺の顔がくっきりと映し出されていた。




