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半熟卵からたたきつけられた果たし状。
こんなの私にデメリットばっかりじゃない。
体よく逃げようとしやがって。
ふざけている。
これは直接胸倉掴んで料理をたたきつけるだけでは生ぬるい。
こんなことを抜かす馬鹿にとどめをさす方法はただ一つ。
読み終わった私は、じっとこちらを窺っていた二人に目を向ける。二人を視界に納めなおし、意識して笑みを向ける。行儀見習いで知ったのだけれど、都の人間にとって微笑みは有効な交渉手段だという。
「ねえ二人とも」
男どもが裏返った声で応える。
「ええ、二人にこの半熟卵の正体を聞きたいわけじゃないわ。
そんなことでは収まらないもの。」
「怒っているかって?ええ、怒っているわ。」
「ここまで腹が立ったのは初めてかもしれないわ。まったく、半熟卵ったら、どこまで私を怒らせるのかしらね?私を怒らせて逃げられるとでも思っているのかしら。」
「あら、何を言い出そうとしているの、自警団の御子息が。内緒にする約束をしているのでしょう?友達を売ろうというの?だめよそんなことをしては。
それに私に許可なく種を明かそうとするなんて、死にたいのかしら?そうよね。
そんなことあるわけないわ。」
「カエル亭も、ごめんなさいね、挨拶もせずに。」
「あら、挨拶くらいするわよ。失礼ね。」
「俺の顔が嫌いだっただろって…何言ってんのよ、あなたくらいのなんてましよマシ。
むしろ顔がよくても甘ったれが多くて困ったわ。この私をただのお人形扱いするんですもの。」
「あら、そんなに面白いことは言ってないつもりだけど。
ああ、そういえば、カエル亭も料理出すのよね。
『夕陽の井戸亭』?ああ、正式名知らなかったわ。後で改めて顔出すわね。」
「ええ、じゃあまた。ごきげんよう。」
さあ、一から考え直さなければ…。
よく考えてみれば、期間限定メニューもありうるわけよね。
その点も含めて探してみましょう。
ああ…もう一生分フィダレーネ食べた気がする。
口の中が、というより胃から甘さがせりあがってくるみたい。
せっかく故郷にいて半熟卵もいるはずなのに、フィダレーネどころか彼のクッキーにすらありつけていない。
…わざと味を落としているんじゃないでしょうね?そうとなれば候補はいくつか上がるけれど、半熟卵に限ってそれは、ない。
わざわざ、改めて、この私を、挑発してみせたのだから。
期間限定でフィダレーネを作っている店、いや、隠しメニューでもいい。
そう条件を付けて再度情報を集めてみると、何件か見つかった。
もう三日目。
この店をめぐるだけで今日は終ってしまうだろう。
最初の店は外れ、次の店も外れ。
最後の店も外れたところで、カエル亭のことを思い出した。
あそこに行って少し落ち着こう。
めぐる場所はすべて回った。
しかし見つからない。
何かが違う。十分おいしいのに、何か求めているものと違う。
今まで半熟卵はこちらの想像よりおいしいものを提供して見せた。
それが私の理想を高くして点を辛く付けている?
そんなお粗末な舌ではないと思っているのだけれど。
既に一生分のフィダレーネを食べている。
もはや半熟卵作のフィダレーネ以外は見たくもない。
しかしカエル亭に着くと、フィダレーネは置いてあるかとつい聞いてしまった。
この三日間で作られた条件反射だ。
取り消す気も起きず、それだけではなんなので家庭料理も頼む。
もうこの界隈で出されるフィダレーネは制覇してしまった。
いっそフィダレーネの評価本でも出そうかしらと投げやりになっていると、料理が運ばれてきた。
出てきたのは今まで食べたのと変わりない外見のフィダレーネ。
一口かじると、見た目に反した触感が広がった。
歯を立てたところはさくりと音を立て、噛みちぎるとふわりと舌に乗る。
舌で押しつぶせるほど柔らかく、バターと生地の香りが口に広がる。
自分の正中線がピシリと定まったような感覚。
唇がおいしさだけでなくつりあがる。
勝った。
家庭料理も運ばれてくる。一口食べて確信はより強固なものになった。
これに使われている隠し味は、半熟卵が好んで使うものだ。
他の客が食べているものは、半熟卵から渡されたレシピと料理、材料、スパイスに共通点が透けて見える。周りを見ればすぐ気付いたはずだったのに。この2年で馴染みのあるものばかりだった。
傍目にはおいしそうに料理を楽しむ娘さん。
それをカエル顔の青年はほっとしたように隠れて見ていた。
彼としては、手紙を渡すときに一度会えたし、自分の手料理を食べて、
ほほ笑んでくれるところを見れたので、もう望みのほとんどはかなったようなものだった。
そりゃあ交際できればうれしいが、自分の容姿を鑑みれば高望みが過ぎるというものだ。
今回の勝負に勝っても負けても、彼女との関わりは断つつもりだった。
だから、今感じている暖かい気持ちは踏みつぶさなければならない。そっと調理場へ戻った。