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文通は間遠いながらも行われ続けた。
季節の折々に、その旬のものを使ったお菓子のレシピや、家庭料理のレシピが娘さんに送られてきたが、そのどれもが既存のものに一工夫したものだったり、変わった作り方をしたものだったりで、眼だけでなく舌も楽しめた。
日持ちするお菓子については、お手製のものが送られてくるのがうれしかった。
娘さんはいつものお礼と、食べた感想、そして勤め先や先輩方の地方の料理を紹介する。
相手は少し右上がりのきれいな字で、教養のレベルが自分と近いことをうかがわせた。
いや、むしろ高いかもしれない。
行儀見習いの最中に先輩から教えてもらった文字でいろいろ書いていく。
文通相手の名前は教えて貰えなかったから、名無しの権兵衛はひどいからと、何か呼び名はないか尋ねた。未だ修業中の料理人の卵だと言うので、冗談交じりに半熟卵と返したら、それがお約束になった。
<< そしたら私は何かしら。>>
<< そうだね、辛口クッキーなんてどうだい。>>
親愛なる半熟卵との楽しい手紙のやり取りは続いた。
時々送られてくるクッキーの美味しさに舌鼓を打ちつつ、追い付けない悔しさに歯噛みもする。
一度教えられた家庭料理を作ってみたらとてもおいしかった。
でも半熟卵が作ったらどれだけ美味しいのだろう。
こつんと胸に何か行き当たったような気がしたが娘さんはあえて考えないようにした。
半熟卵と辛口クッキーのやり取りの末、二人のレシピは片手ほどの厚さになった。
半熟卵に聞いてみる。
<< こんなにおいしいレシピを、貴方はほかの人にも作ってあげないの?
これだけおいしいなら、お店に出しても大人気間違いなしよ。
店を出すなら、故郷か都にして頂戴。私が一番に食べに行くから!>>
帰ってきた返事はちょっと思いもかけないものだった。
<< 親愛なる辛口クッキー。
君に送ったレシピは、君だけのために作ったもの。
君が喜んでくれるなら、レシピも俺も本望さ。
君の愛する人にこのレシピで料理を作って、それで君が幸せになってくれたらとてもうれしい。>>
読み終わったとき、耳が熱くなるのが分かった。
なんだろう、この、愛の告白のような言葉は。
まさかこれほどのレシピを、毎回私のためだけに考えてくれたというの?
渡されたレシピはいつも丁寧に、手にはいらない材料まで考慮して書かれていた。
上手くいかない手順について質問しても、必ず答えがあった。
落ち着くのよ辛口クッキー。半熟玉子は鈍そうな人だもの。
自分が愛の告白まがいなことを言った自覚なんてきっとないわ。きっと。
しかしそう考えるとむかっ腹が立つのが乙女という生き物。
自分だけ動揺したなんて面白くない。
手紙には、まるで愛の告白みたいねと返した。
他の女性にそんなこと言ったら誤解されるからやめておきなさい、と、
ちょっとした牽制を籠めたのは、娘さん自身でもどういう心境の変化かわからない。
奉公先の主人経由で顔見知りの、商人や医者に食事に誘われた。
半熟卵からの手紙の返事が怖くて、でもじっと待ってられなくて、つい誘いに乗ってしまった。
気分転換でもしようと思ったが、結論を言えばまったく楽しめなかった。
そこそこにあしらって、帰宅した。
その夜はあまりよく眠れなかった。