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過去からは逃げられない、そう言ったのは誰だったろうか。
だが僕に言わせれば、なんのことはない、全くの逆なんじゃないかと思ってしまう。僕は過去を終わったことだと認めたくなかったし、逃げるのが嫌だった。ずっと僕の側に置いて、いつまでも忘れずにいたかった。だけど、人の記憶はいつだって頼りなく、忘れたことなどない筈の過去たちを、段々と思い出さない日が増えていったこともまた、正直に告白せねばならない。だからこそ僕はそんな毎日が、もの凄く怖かった。
人はよくも悪くも、全てを忘れるように出来ている。
それが順応の正体で、強くなる、成長することと同義なら、僕はずっと変わらないままで居たかった。それがどれほど子供じみた思想なのかは当然分かっていたし、本当は自分がどうあるべきかも理解していた。
こんな声を、誰もが耳にしたことがあるだろう。
『人間はいつだって、前を向いて生きなくちゃいけない』
そうか。だったら教えてくれないか。その『前』ってのが一体どっちの方向にあるのかを、僕らはどうやって決めたらいいんだ? 僕にとっての『前』が誰かにとっての『後ろ』を向いていたとしたら、それでもやっぱり責められなくちゃいけないことなのか?
…そうやって何度も、過去を追いかけようとした。だがその度に、僕の手を掴んで踏み止まらせてくれる人たちがいた。
それは時に具体的な言葉や行動だけではなかったけれど、僕たちを苦しめる続ける過去 (『トーメンター』)を遠ざけて生きることの意味を、教えてくれている気がした。言葉に出来ない悲痛な叫び声 (『クライン』)を噛み潰し、乾いた心を潤す恵みの雨を乞いながら(『レインメーカー』)、ただ毎日を乗り越えることの、その意味を…。
『生きていればきっといいことがあるさ』
もちろんそんな、使い古された簡単な言葉では表現できないけれど、僕らはきっと、それを待っていた。
そして僕や妻にとっての恵みの雨とは、娘だった。娘が生まれた時、誰もが喜んでくれた。だが本当に嬉しかったのは、僕たち夫婦と一緒になって、泣き、笑ってくれる人たちの存在を改めて思い出させてくれたことなのだ。産声を上げる成留を通して見えた世界の在りように、僕は懐かしくも新しい喜びを感じとることが出来た(『アビゲイル』)。
…大切な人を失った。
と同時に、今を一緒に生きる大切な人たちがここにいる。
だから僕は、一刻も早く抜け出さなくてはならなかったのだ。
死ぬ程居心地の良い臆病者の隠れ家 (『アーミテージ』)から、親愛なる者たちが先を行った、途方もなく遠い極地(『ポーラー』)へと向かって。そこに待っているのはおそらく過去でも未来でもない。
そこで待っていてくれるのは…きっと…。
『ポーラー』 了