少女の悲しみ
ぴーひょろろろ
ずっと高い空でトンビが鳴く声が聞こえる。
この場に陣取ってからどのくらいの時間がたっただろうか。
周りの人が入れ代わり立ち代わりで、客層もまるっきり変化し続けているというのにアキの薬草やハーブは一向に売れる兆しがなかった。
「あー・・・さすがに客が来なさすぎだろ・・・」
ハルは思わず愚痴をこぼす。
しかし、アキはその愚痴に反応することなく道行く人に声をかけている。
「やっぱり・・・僕がいると売れないのかな・・・・悪魔の象徴だし」
ハルは尋ねた。
「確かに・・・いつも全然売れてないんですが、今日は特に売れないですね・・・」
ハルはアキのその返しに、何か自分の存在がおせっかいのように思えて、地味に傷ついた。
「あ、申し訳ありません・・・手伝ってもらっているのに・・・失礼なことを・・・」
「いいよいいよ・・・もうこういう視線とか、扱いとかには慣れてきたから」
二人でそんな他愛のない話をしている時だった。
遠くの方でなんだかガラの悪そうな男集団がこちらの方を恨めしそうな目で見ていた。
「あの人たちこっち見て何なんだろ・・・・」
ハルは何げなくつぶやいた。
しかし、次の瞬間アキは血相を変えて強い口調で話し始めた。
「あの方々と目を合わせてはいけません!」
「え・・・どうして?」
「どうしてもです!」
だが、ことはそう上手くいかずに悪い方向へと傾く。
ガラの悪い屈強な男たちが、こちらに向かって歩いてきたのである。
アキはしまったという顔をした後、すぐに視線を地面に落とした。
「なぁお前ら・・・誰の許可を得て、ここで商いしとるんや?」
アキはうつむいたまま黙っている。
ハルも彼女に倣い、黙っておく。
「ユートピア人がおるだけでも癪やのに・・・今度は悪魔か・・・ホンマに気分が悪いなぁ」
そう言うと、その男は商品であるハーブたちを足で踏み潰した。
「おい!大事な商品に何やってんだ!」
ハルはたまらずに声を上げる。
「おい、お前・・・誰に向かって言うとんのや・・・」
次の瞬間ハルは自身の左頬に強い衝撃を受けると同時に、後方へ大きく吹き飛ばされた。
ああ、殴られたのか。
そう思って立ち上がろうとするも、間もなく次の一撃がハルを襲った。
「やめてください!」
アキはそう言うとハルのもとへと駆け寄ってきた。
「お嬢ちゃん・・・お前さんも歯向かうつもりなんか?・・・俺に女をいたぶる趣味はねぇが・・・今ははらわたが煮えくり返ってるんだ・・・邪魔するってぇなら容赦はしねぇぞ」
しかし、アキはその場を動かなかった。
「それがお前さんの選択か・・・」
男がそう言ってアキに拳を振り下ろそうとした時だった。
「貴様たち!何をしている!」
女性の声だが、どんなに離れていても届きそうな勇ましい声が響き渡った。
「隊長・・・ユートピアの姫です・・・」
「っち・・・分が悪いか・・・」
男たちは小さい声でそう交わすと、あっという間にその場から姿を消した。
「あなたたち、おケガはないですか・・・」
そこにいたのは、王子様さながらに馬の背に乗ったユートピア帝国第三皇女。
ココローヌ・ウィッチノーセ・ユートピアだった。
「助けていただき・・・ありがとうございました」
ハルはよろめきながら立ち上がりそう言った。
一方のアキは皇女の前に黙ったまま頭を垂れていた。
「殿下ー!」
すると遠くの方から聞き覚えのある声がした。
「あら、マリー・・・遅かったじゃない」
「はぁ・・・はぁ・・・殿下が早すぎるのですよ・・・・」
遅れて登場してきたのは、昨日ハルがこちらの世界にやって来た時に出会った女騎士だった。
「昨日ぶりですね・・・橘君・・・あの後少々心配していたのだけれど・・・案の定といったところでしょうか」
ココローヌは優しく微笑んで語り掛けた。
「はい・・・言いがかりをつけられてしまって・・・このような有様に・・・」
ハルの言う通り、確かに今の彼の状態は無様そのものだった。
「彼らは自らをカターヌ自警団と称して活動する、反ユートピア団体です。最近ではユートピア人に対する差別だけでなく、カターヌの方々にも迷惑をかけているとか・・・・まったく困った方々です」
ココローヌはため息交じりにそう言った。
「私はまだ公務が残っておりますので、そろそろ失礼します・・・・くれぐれも自らトラブルに巻き込まれに行くようなことはなさらないように・・・それでは、ごきげんよう」
続けてそう言うと、ココローヌは付き人のマリーを連れてハルとアキのもとを後にした。
「いやぁ・・・とんだ災難だったね・・・」
「・・・・・・」
ハルは安堵の笑みを浮かべながら言うも、アキは黙ったままうつむいていた。
「どうかしたの?」
「・・・今日はもう・・・・帰ります」
怒りなのか、悲しみなのか、よく分からない負の感情のこもった声でアキはそうつぶやくと、あっという間に店じまいを終えて、家路についた。
ハルは彼女の豹変ぶりに驚きを隠せなかった。
「アキ!急にどうしたんだよ!」
しかし、アキはハルの問いかけに一切応じることなく歩調を速めた。
あんな華奢な体からは想像のつかない速さで歩くアキ。
ハルも小走りになり彼女を追うも、結局追いついたのは人気のないカターヌの郊外の路地裏だった。
「ちょっと待ってよ!」
ハルはアキの腕をつかんだ。
「触らないでください!」
アキは憤怒の感情をあらわにした。
ハルはそんな彼女の様子に思わずおののいてしまう。
一瞬静かな時間が流れた。
すると、さっきまで怒りの感情に染まっていたアキが今度は泣き始めた。
正直、ハルには何が何だか分からなかった。
「あなたは・・・ユートピアの姫と交友関係があるんですね」
すすり泣きながらアキは言った。
「まぁ・・・顔見知り程度だけど・・・」
すると、アキは両手を固く握って、顔を上げると、涙で濡れた目でハルを睨みつけながら叫んだ。
「じゃあ、あなたはそうやって私のことをずっと笑って見てたんだ!!」
ハルは彼女のあまりの迫力に一歩下がった。
「それもそうですよね・・・あなたは昨日ずっと帰りたがってた・・・そう、あなたは何も間違ってない・・・悪いのは私だ・・・」
ハルが何も理解できていないのをお構いなしに、アキは自己完結しようとしていた。
「昨日は引き留めてしまって申し訳ありませんでした・・・・」
「い、いやそんなこt」
ハルは返答をアキ自身にさえぎられた。
「でも!・・・・もう二度と私の前に現れないでください・・・・また出会ってしまうと、自分をそして何よりあなたを殺してしまうかもしれないから・・・」
それだけ言うとアキは行ってしまった。
追いかけなくてはという思いと、追いかけてもよいのだろうかという思いが葛藤する。
しかし、ハルは彼女の言った「殺してしまう」という言葉がどこか現実味をもって聞こえてしまい、追いかける気にはなれなかった。
どうしたものか・・・とハルは思った。
アキがいなくなってしまった今、ハルは名実ともに浮浪者となっていた。
見知らぬ土地で独りになるって、こんなにも孤独で不安なものであるのかというのを思い知った。
そして、今まではずっとアキに頼りっぱなしだったということにも気づかされた。
ふらふらと街を徘徊するハル。
それはまるで、会社をクビになった日の夜のようだった。
「人生やり直しどころか・・・また同じことやってるなぁ・・・僕は」
ハルは自嘲した。
人なんてものは、そんな簡単に変わるものではないのだ。
しばらく歩き、気が付くとハルはマルクの古本屋の前にいた。
辺りはもうだいぶ暗くなってきており、店がまだ開いているかどうかは分からなかったが、ダメ元で扉を押してみた。
チリーンという綺麗な音が響き渡った。
「いらっしゃい・・・って、なんだ兄ちゃんか・・・」
「こんばんは・・・」
マルクは相変わらずの様子でそこにいた。
「どうした?・・・元気ないな・・・あ、アキと喧嘩したんだろ!」
マルクは笑顔で茶化すように言った。
「まぁ、そんなところかな・・・」
今のハルにとってマルクの明るさは、ただただ有難かった。
「まぁとりあえずそこに座りなよ・・・話くらいは聞いてやるからさ」
ハルはマルクの言う通り、マルクとカウンターを挟んで向かいにある椅子に座った。
お昼前にマルクの店を出てから、今に至るまでの経緯を話した。
「うーん・・・それは兄ちゃんが悪いな」
「えっ・・・」
ハルは分からなかった。
一体自分のどこに落ち度があったというのか。
「まぁ・・・話すと長くなるんだけどさ」
マルクはハルの困惑した様子を見て昔話を始めた。
昔、このカターヌ島は”ユートピア帝国カターヌ”ではなく、”カターヌ王国”という一つの国だったらしい。
王族はジャルマン系ユートピア人、国民の九割はエフイカ系ウルマン人、というように社会的身分の上下で民族に違いはあったが、その内政は非常に安定していて誰もが豊かに平等に暮らせる、まさに”理想郷”と呼ぶにふさわしい国だった。
カターヌ国はウルマン帝国の下で王政を行う国であったから、当然国に災いが起きたときはウルマンに救援を要請し幾度とあった困難を乗り越えてきた。
しかし、二年前の大干ばつは全世界的なもので、あの大国ウルマンですら餓死者を大勢出していた。
当然ウルマンにはカターヌを十分に救済する余裕はなかった。
そして、さらに追い打ちをかけたのが昨年の大干ばつ。
二年前の大干ばつで瀕死になっていたカターヌ王国は昨年の大干ばつで完全に息の根を止められた。
国民からは大勢の餓死者が出て、生き残った者も生き地獄状態だった。
そして、その年の冬のある日。
王族にスキャンダルが起こる。
なんと、カターヌ王国の王族は自身の蔵に大量の食料品を隠しているという噂が立ったのだ。
そこからは、話が早かった。
ユートピア帝国がカターヌ国民救援名目で、カターヌ王国に宣戦布告。
衰弱しきったカターヌはなすすべなく、たったの一週間で国が落ちた。
そしてすぐに、王と王妃は国民の前で処刑され、王子と王女は行方知れずとなった。
そして、今はカターヌ王族に変わってユートピア帝国の第三皇女がカターヌの領主となって、市民が健やかに暮らせるように尽力している。
「まぁ・・・話の概要としてはこんなところかな」
マルクは体を伸ばしながら言った。
「今の話を聞いて・・・どう思った?」
マルクはにやつきながら、ハルに尋ねた。
「カターヌの前の王様は随分と無能に思えたよ・・・まるで絵にかいたような悪王だ」
「まぁ・・・普通はそう思うだろうな・・・」
マルクはハルの模範解答のような答えを聞くとカウンターの下で何かごそごそとやり始めた。
「じゃあ・・・これを見たら、どう思う?」
カウンターの上に二枚の地図が広げられた。
「どっちもユートピア帝国発行のものなんだけど・・・こっちが去年までの地図で、こっちが最新版の地図だ」
ハルはその二枚を見比べてみた。
そこには明らかにおかしな点があった。
「ねぇ、マルク・・・ユートピアがカターヌを併合したのはいつだっけ?」
「去年の冬・・・まぁ完全併合は年が明けてからだなぁ」
「で・・・今は・・・?」
「まだ夏にもなりきってないくらいだな」
なんとユートピアはこの半年ほどで、カターヌだけではなくカターヌのさらに南のエフイカ大陸北部の半分以上をウルマンとの戦争に勝利し併合していたのだ。
「これは・・・早すぎる・・・むしろウルマンへの侵攻が真の目的に思えるくらいだ」
「古文を読めるだけじゃなく・・・地図見ただけでそこまで分かるのか・・・やっぱすげぇな兄ちゃん」
つまりはユートピア帝国は救済のためにカターヌを併合したのではなく、ウルマンの緩衝地帯として機能していたカターヌの存在が邪魔だったから併合したのだ。
従って、ユートピアが軍を進行させる口実となったカターヌ王族のスキャンダルの信憑性も揺らぐこととなる。
「ユートピアとは名ばかりで・・・もし、カターヌ王国のスキャンダルがユートピアの自作自演だとしたら、とんだ悪党国家だなこれは・・・」
ハルは呆れにも似た笑みをこぼした。
すると、今度はマルクが急に真面目な顔になって話し始めた。
「そんで・・・行方不明になってる王子と王女はいまどうしてると思う?」
「・・・・さぁ」
ハルは本当に分からなかったし、正直今は滅んでしまった国の、ましてや異世界の王族にさして興味もなかったので、もう死んでしまっているのではくらいに思い適当な返事をした。
「アキがその王女だって言ったら・・・信じるか?」
「!!」
ハルは思わず耳を疑った。
しかし、マルクの話が本当なら今日のアキの態度には合点がいく。
自身の敵ともいうべきユートピアの姫に頭を垂れるという自尊心を押し殺さなくてはいけない現実。
それだけでも悲しいのに、自身の心を開きかけていたハルがその敵と親しげに話を交わしていたのだ。
ハルは敵なのかもしれない、という疑心暗鬼。
その上、このような者に一時でも心を許したという自己嫌悪。
そして、何より。
すべてを彼女から奪い去ったユートピアに対する激しい憎悪。
恐ろしいほどに、マルクの話は現実味があった。
「だとしたら・・・僕は!」
ハルは考えるよりも先に体が動いていた。
ひたすらに夜のカターヌの街を走った。
街灯もなければ、人気もない。
そんな街の郊外を抜けてもただひたすらに。
昼間は短く感じられた道のりも、今は無限に感じる。
ハルはただ、ひたすらに走った。