ハル、異世界にいく
ハルは暗闇の中にいた。
その空間はとても曖昧で、夢の世界なのか現実の世界なのかがいまいちよく分からなかった。
ただ一つ感じるのは、この世界が今のハルの心の象徴であるのではないかということだけだった。
こんな暗闇からは早く抜け出したい・・・。
ハルは長らくこの空間に閉じ込められてそう思うようになっていた。
すると、そんな願いが届いたのか、暗闇のはるか先から突如として猛烈な閃光が差し込んできたのである。
ハルはその光にすがった。
誰でもいいから僕をこの闇から救い出してほしい。
その一心でハルはその光を目指した。
しかし、彼はそこで奇妙な体験をする。
不思議なことに彼が光に近づくにつれて、声が聞こえてくるのである。
「もしもし・・・もしもし」
それは何者かがハルに呼び掛ける声だった。
そして、どういう訳かハルはその声を聞いた瞬間にこの暗闇から抜け出すことができるという確信に近い何かを感じた。
ハルは嬉しさのあまり、歩調を早める。
とにかく早く安心したかったのだ。
「もしもし・・・」
その声はハルが光に近づけば近づくほど、だんだんと大きくなっていった。
そしてついに、ハルは暗闇の出口までやって来た。
やっと抜け出せる・・・。
ハルは安堵すると、今まで歩いてきた道を振り返ってみた。
しかし、またもや彼は奇妙な光景を目にすることとなった。
なんと、今までの道のはるかかなたにも先程と同じような猛烈な閃光が見えたのである。
ハルは違和感を覚えた。
なぜなら、こちらに歩いてきたということは、ハルは今振り返って見ている閃光の方からやってきたことになるからである。
僕は間違った道を来たのかもしれない。
ハルはそう思い、来た道を引き返そうとした時だった。
突然、何者かがハルの体をぐいっと引っ張ったのである。
ハルは体勢を崩し、成す術もなく後方へと倒れてしまった。
そしてその時、ハルはその瞬間もう一つの声を聞いてしまった。
「ハル兄!」
その時、ハルはしまったと思ったが、引き返すにはもう時すでに遅しであった。
「はっ・・・」
ハルは例の空間で後方へと引っ張られる感覚を受けた直後に目覚めた。
しかし、奇妙なことにハルの眼前には青空が広がっていた。
ハルの記憶が正しければ、彼は自室のベットで寝ていたはずである。
ハルがそんな風に混乱している時だった。
驚いたことに何者かがハルの顔を覗き込んできたのである。
「もしもし?大丈夫ですか?」
その人は女性でどこか見覚えのある顔つきだった。
ハルは彼女が何者であるのかを思いだそうと自身の記憶を探る。
そして、彼女が何者であるか気が付いた瞬間、ハルは上体を起こして後ろに飛びのいた。
何と彼女は昨日ハルのことを電撃解雇した一之瀬ココロだったのだ。
「あ・・・あなたは!」
ハルは驚きのあまり不当な解雇に不平を言うのも忘れてただ茫然としていた。
一方の彼女はただにこりと会釈を返すだけであった。
すると、今度は遠くの方からまた別の人の声が聞こえた。
「殿下ーっ!」
その人は小走りでこちらに向かってきている。
そして、その人が近づくにつれて分かったのだが、どうやらその人は女性で、腰には剣のようなものが携えられていた。
しかし、剣を携えた彼女がハルの存在に気が付いてからはどうも様子がおかしくなった。
小走りだったのが全力疾走になり、顔の表情もだいぶ険しくなっているようだった。
そして、ハルの手前二メートルほどのところで彼女は突然剣を抜いてハルに向けた。
「貴様?この方をどなたと心得る?」
「えっ・・・えっ!?」
ハルは突然剣を向けられたという恐怖もあり、うまく答えられないでいた。
そして、彼女はハルの顔をまじまじと見るとさらに表情を険しくした。
「貴様よく見れば・・・漆黒の髪と瞳・・・異国の民か?」
「えっと・・・多分?」
ハルはどうもここが日本ではない気がしたのでそう答えた。
すると、彼女は一瞬のうちに剣をハルの首筋に当てた。
「ほほう・・・異国の愚民風情が殿下に・・・」
不敵な笑みを浮かべてそう呟いた彼女に対し、ハルは本能的に死を意識した。
ああ・・・短い人生だった。
そう思いながらハルは固く目をつむった。
「やめなさい!」
すると、今まで黙っていた一之瀬ココロが声を荒げた。
「剣を引きなさい・・・・」
彼女は静かに、しかしどこか力強く命令した。
「し、しかし・・・こいつは賤民の分際で殿下と・・・」
「口を慎みなさい・・・マリー」
「・・・・はい」
彼女の命令にマリーと呼ばれたその剣士は剣を収めた。
「私の者が無礼をいたしましたこと、誠に申し訳ありませんでした」
彼女は丁寧にハルへ謝罪した。
「い、いえ・・・」
ハルは正直何がなんだか分からなかった。
「申し遅れましたが、私はユートピア帝国第三皇女のココロ―ヌ・ウィッチノーセ・ユートピアです」
ユートピア帝国第三皇女?
自分は未だに夢の中にいるのだろうか。
ハルは激しく混乱した。
しかし、相手が自己紹介をしてくれたのだ。
黙っているのも失礼だろうとも思った。
「僕は橘ハルです・・・」
「そうですか・・・素敵なお名前ですね」
ココロ―ヌはそう言うと少し微笑んで見せた。
しかし、それもつかの間。
彼女は突然真面目な顔になった。
「ですが・・・悪いことは言いません・・・今すぐここから立ち去りなさい」
「えっ・・・」
彼女のいってる意味がよく分からなかった。
「ここはユートピア家の私有地なのです・・・皇族以外立ち入ることは許されていません・・・それにましてやあなたは異国人・・・マリー一人は口止めできてもこれ以上は無理ですよ?」
ココロ―ヌのその言葉でハルは自身の置かれている状況が少し理解できた。
つまりハルが今すべきことはここから立ち去ることだった。
「ありがとうございました・・・それでは失礼します・・・ココロ―ヌ・・・殿下?」
ハルは自信なさげにそう言うって頭を下げると、ココロ―ヌとマリーに背を向けた。
するとココロ―ヌが耳元で囁いてきた。
「あそこの林を横切ると小道に出られます・・・その道を麓の方に下るとカタ―ヌの町です」
ハルは再びココロ―ヌに頭を下げると少し小走りでそのカタ―ヌという町を目指した。
小さくなっていくハルをココロ―ヌとマリーはしばらく眺めていた。
するとマリーがおもむろに口を開いた。
「良かったのですか?・・・殿下」
「ええ・・・」
しかし、マリーは納得していないようだった。
そして、マリーはさらにハルの話題を続けた。
「それにしても、奴・・・異国人の癖にユートピア語が堪能でしたね・・・」
「ええ・・・まるで自分の国の言葉のように話していたわ・・・それにあんなに黒い髪と瞳は見たことがないわ・・・」
二人は少なからず、橘ハルという男に興味を抱き始めていた。