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*7* 副団長の泣き所。



「コラ――馬鹿、暴れるな! 余計に沈む!」


 もがくオズヴァルトの傍まで泳いで到着した私がそう言っても、オズヴァルトは悪戯に水を叩いて恐慌状態に陥っている。本当に何で海に入ってきたりしたんだこの馬鹿は……!


 ひとまず話が通じる状態にすべく、暴れるオズヴァルトの背中に自分の身体を沿わせ脇の下に腕を入れて、オズヴァルトの鳩尾辺りで手を組み、ラッコのような状態にする。


 いきなり身体を自身の意志とは関係なく浮き上がった身体に驚いたのか、オズヴァルトが一瞬だけ動きを止めた。そのことにホッとして「やっと落ち着いたか……この馬鹿め」と、私の鎖骨辺りに頭を乗せた状態になっているオズヴァルトに声をかければ、オズヴァルトは「……死ぬかと思った。感謝する」とぐったりと答える。


 ようやく観念して無駄な力を抜いたのか、さっきよりも浮力を得やすい。私がサメの筋力を持っていたからまだ助かったものの、これは普通の人魚や人間では助けきれなかっただろう。


 常ならば眼光鋭い青みがかった灰色の瞳は虚ろで。短く刈った黒髪を後ろに撫でつけた髪型が崩れ、いつもの姿より若干幼く見えた。しかし下手に身長がある分、深い場所まで来られてしまったのだろうが――こんなことがこの先も起これば、コイツはそのうち死ぬ。


 騎士が戦闘とまったく関係のないことで死ぬなどと、前代未聞だ。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。


「死にそうなほど水が苦手なくせに、どうして海に入ろうなどと馬鹿なことを。貴様はあれか、自殺志願者かなにかなのか? この辺りに離岸流が発生していなかったから良かったものの……海を甘く見ると死ぬぞ」


 とはいえ、説教をするつもりでやってきたであろう相手を逆に説教してやる気分というのも悪くない。もうだいぶ落ち着いてきたようだし、このまま砂浜の近くまで泳いでいくか、と。そう思った私の耳許で溜息を一つ吐いたオズヴァルトが「お前がその自殺志願者になったのかと思って焦ったのだ」とポツリと言った。


 そこでただの気紛れだったものの「何故オレがそんな馬鹿な真似をすると思った?」と問うてみたところ、オズヴァルトは――、


「記憶が戻らないまま騎士団に入隊させてから、もう一月以上になる。その間に俺がさせていたことと言えば、鍛錬とこの国で日常的な生活をおくれる常識くらいだ。記憶が少しも回復しないのであれば、不安にかられて常軌を逸脱した動きをとったとしてもおかしくはない」


 その言い分は確かに成程と思わせるものではあった。現に私は焦っているのだから。しかし、それでもかなり飛躍した考えなような気もするが。


「ふん、仮にそうだったとしても、お前がそこまで思い詰めた行動を取ることはない。オレのことはオレが決めるし、ケリをつける。むしろこんなことでお前を失えば、騎士団の連中にどう言い訳すればいいんだ」


「――すまん」


「別に分かったなら構わん。それよりも……どうだ? こうしてオレが支えていても、水はまだ怖いだけか?」


 このままだと恒例の謝罪祭りになりそうだったので、無理やり話題の内容をすり替えれば、オズヴァルトは明るくなり始めた空にかかる薄雲を見上げて「悪くは、ないな」と口にする。長い手足を投げ出すように脱力していることからも、嘘ではなさそうだ。


「だったら、もう少しだけこうしておいてやる。水に浮かぶ感覚さえ理解出来れば、お前ならすぐに泳げるようになるだろうからな」


「……だから陸に上がったら説教はするなということか?」


「ほう、鋭いな。ちなみに断る権利はお前にはないぞ? お前がこの取引を断った瞬間、オレはこのまま沖に向かうからな」


「ぐっ……分かった説教はしないと誓おう。その代わり、しばらくしたら陸に戻してくれ。それと――」


 ふとそこで不自然に言葉を区切ったオズヴァルトが、ボソリとやや聞き取り難い声音で「俺が泳げないのは他言無用で頼む」と苦々しく呟いた。


 そのふてくされた様子が本当に弟達に似ていて、思わず声を上げて笑ってしまった私をギッと睨んだオズヴァルトが、さらに「笑うな」と子供っぽい発言をする。私は何とか次にやってくる笑いの衝動を抑えて「分かった分かった」と請け合う。


 未だに信じられない様子で睨んでくる灰色の瞳に「だったら、オレからも提案だ。陸が近付いてきたら目蓋を閉じろ。オレが良いと言うまで開けるな」と提案すると、少し考え込む素振りを見せたので「心配か? ちゃんと尻がつくところまでは引っ張り上げてやるぞ」と言い直す。


 そこでようやく「それなら了解した」と堅苦しく返すオズヴァルトに、今度は思わず苦笑が漏れる。生真面目さで窒息死しそうなこんな男は、いったいどういう環境でなら育つのか……。


 あまりにクソ親父とかけ離れたこの男を前にここ最近では珍しく、ほんの少しだけ心が和らいで、弟妹にもよくこうしてやったからだろうか、どこか懐かしさを感じる。


 一日が始まったばかりで思うことでもないが――……今夜だけは枕の中に隠したあの短剣を、慈しんで眠れそうだ。



***

 


 エレオノーラに協力してもらう約束を取り付けてから一週間が経った昨日、ついに客から使えそうな情報を幾つか入手出来たと巡回の最中に教えてもらった。


 私は午前中の鍛錬を終えると昼食もそこそこに、午後からの巡回までには戻るとファビオに言付け、後ろから「ええ!? アルバさん、もしかして彼女でも出来たッスか?」と呼び止めるファビオ達の声を無視して、エレオノーラの店へと走る。


 到着したエレオノーラの店も一番忙しい昼時を乗りきったところらしく、午後からの仕込み中だったのだろうか? 


 入口から店内を覗く私に気付いたエレオノーラが、店員らしきおばさんに一言、二言と言付けをした後に厨房から出てきてくれた。


「いらっしゃいませアルバさん。騎士団のお仕事でお忙しいのに、お呼びだてしてしまってすみません」


「いや、それは構わない。むしろ礼を言わせて欲しいくらいだ。オレが忙しいのは午後だからな。それまではこの店の忙しさの足許にも及ばんさ」


「そんな……アルバさんにお礼なんて言わせてしまっては、罰が当たります! 協力させて欲しいと申し出たのはこちらなんですから」


 会話の内容とは裏腹に朗らかに笑うエレオノーラが、白いエプロンを外して店内の他のお客から見えにくい一角へと案内してくれる。そこには座面のすり減った丸椅子が三脚、過去を懐かしむように寄り添って並んでいた。


 私はその椅子を見て「立ったままでも構わない」と辞退したのだが、エレオノーラは「ふふ、良いんです。ジェルミーナさんは優しい方ですね」と微笑んだ。来店した時とは違い、人目に触れない場所でだからこそ呼んでもらえる本当の名前に、知らず、口許が緩む。


「ジェルミーナさんは、わたしの初めての“個人的なお客さま”ですから。貴女なら父も母も、椅子を使ってくれることを喜んでくれます」


「む……そうか。では、遠慮なく」


 それ以上断るのも無礼かもしれないと思って腰を下ろした椅子は、ふんわりとした優しい座り心地だった。エレオノーラが向かいに座ったのを確認し、では早速話をしようと口を開きかけた私に「ちょっと待って下さいね」と笑ったエレオノーラの言葉に首を傾げていると、厨房からさっきのおばさんが大きなビアマグに冷たいブドウジュースを二つ持ってきてくれる。


 おばさんに礼を言ってから一口ジュースを含むと、その華やかな甘さに、昨夜から張りつめていたものが解けるようだった。私の肩から強ばりが抜けたのを感じ取ったのか、エレオノーラが柔らかく微笑む。


「ええと、では、お客さまから聞き出せた情報を話していきますから、その中からジェルミーナさんの気になったものがあったら、一旦止めて下さい。そうしたらその内容を出来るだけ詳しくお話しさせて頂きますので」


 そう言うが早いか、エプロンのポケットからメモ帳を取り出したエレオノーラが、その内容を一つずつ読み上げていく。私は最初に彼女が言ったように、その中から気になった内容についての質問をし、エレオノーラはそのたびにメモ帳の中から書き留めていた内容を詳しく説明してくれる。


 厨房から、夜の支度をする時間だとおばさんが声をかけてくれるまでの一時間半。実に有益な情報をもたらしてくれた彼女に対して、こんなことを感じるものでもないのかもしれないが――……職業適性が他にもあるのではないかと思えてならない。


 今後、食事どころで交わす会話は慎重にすべきかもしれないな。

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