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*6* 油断大敵というやつだ。



 いつもの早朝。いつもの砂浜。しかし得物だけは常とは違い、私がいま一心に振るうのは、新たに支給された剣だ。


 巡回に槍を持って行くのは物々しすぎるというオズヴァルトからの指示で、かなり不本意ではあったが、人の街には人の営みがあるからな。陸に上がって来た以上はそれに馴染まねばならんだろう。


 そういうわけで仕方なくそれに従っているのだが――。


「うん……どうも使い勝手がしっくりこんな」


 苦々しい気持ちと比例するように切れのない動きになってしまい、一度教えられた型をなぞるのを止める。重さが足りないのは勿論のこと、リーチも遠心力も全然違う。それだけならばまだしも、私は本来海底にいたころは剣を握ったことがないのだ。


 水中で縦や斜めに薙いだところで、無駄に抵抗を受けてろくに攻撃にならない。その点、刺突は膂力と上半身のバネさえ強ければさしたる抵抗を受けずに放てる。故に海の戦士はほぼすべての者が槍を主戦武器にしていた。


 まだ巡回中に剣を使用するような荒事には出会っていないが、出来ればその前に慣れたいところだ。しかしオズヴァルトにも師事しているものの、今のところまだ奴から一本も取れていない。……男には負けたくないのだがな。


 先日初めての巡回デビューを果たした私にオズヴァルトが『お前に礼を言いたいという人物がいる』と言われて向かった先は、まあ予想はしていたが……あの初日に騒ぎを起こした食事所の娘だった。


 休業日だったのかガランと人気のない店内には娘だけで、私はそこで何度も礼を述べられ、頭を深々と下げられるという、ひたすら気まずい状況に置かれることとなる。


 そのうえ居心地悪くなって逃げようとした私をオズヴァルトは許さず、巡回のルートだけ教えると先に他の部下達を引き連れて店を出てしまい、結局店内には私と娘だけが残された。


 娘は名をエレオノーラ・カンパネッラといい、歳はファビオより三つ年上の十九歳。亜麻色の髪と金茶の瞳が美しいが、四番目のクマノミを祖に持つ妹に似て健康的で可愛らしい印象だ。早くに母親を亡くし、数年前に父親も亡くしたというからあの日はとても恐ろしかったのだと。



『だけど、両親の残してくれたこのお店だけは、どんなに怖い目に合ったって続けるつもりなんです』



 ひとしきり私への礼を述べたあと、そう言って笑うエレオノーラの表情はとても好ましく映ったものだ。


 しかしその後こちらの家族構成に話題が及びそうなことに怯えた私は、何か他の話題をと悩んだ末に、その二日ほど前にオズヴァルトが口にした“ザヴィニアは特殊な成り立ちで、玉座は一つの家系だけで護られているわけではない”という発言が引っかかっていたことを思い出した。


 あまり探りを入れて変に勘ぐられるのも嫌だから、騎士団の兵舎内で誰かに詳しく訊くことが出来ずにいたのだ。


 誰かしら協力者を得なければ、一人で調べようにも自由にならない身の上では八方塞がり。このままだと二年後の戴冠式まで仇の情報も分からない。それでは何のために陸に上がってきたのか分からなくなる。


 そこで流石に恩人と仰ぐ人物を、そう易々と騎士団に売りはしないだろうと思い、私は自分が人魚であるという点と、妹がこの国の王子と恋仲になったこと、仇討ちに人を殺めようとしていることを伏せ、その他のこと――……この場合駆け落ちした妹が、城で働く相手に裏切られて死んだことを話すことにしたのだ。


 記憶喪失を装ったのも、性別を偽ったのも、城に騎士団の人間として潜入し易くするためだったと。妹を死に追いやった相手の男は、自分は次の戴冠式に出る要職だと、よく妹に自慢していた。だからせめて戴冠式の終わった後に、一発殴らなければ辛くて生きていけない。頼むから黙って協力して欲しいと。


 エレオノーラは最初呆然と私の話を聞いていたが、すぐに『分かりました! わたしでお役に立てるなら、何でも仰って下さい。ジェルミーナさんの妹さんをそんな目に遭わせた男は、わたしも許せませんから!』と言ってくれた。


 その心強い言葉に不覚にも少し泣きそうになってしまったものの、グッと涙を堪え、ひとまずはオズヴァルトの言っていた発言について訊ねてみたのだが……これが一筋縄ではいかなさそう内容で……思わず戴冠式まで二年の猶予があることに感謝しかけたほどだ。


 若干エレオノーラの素直さに良心が痛んだものの、それを抑え込んで彼女に教えてもらった内容というか、伝承はこうだった。




◇◇◇


 かつてこの地に五つの貴族領があった。

 五つの貴族家は周辺の国々に対抗すべしと。

 そこで領地を統合、一つの国となろうと約束し。

 その際国を統べる王家を、回り持ちにしようと取り決めた。


 五家はみな平等であり、誰もが王たる資格を持つ。

 公平なりや、我等が王家。

 ああ幾久しく、栄えよザヴィニア。


◇◇◇




 まるでお伽話を歌ったような内容だが、この制度にはきちんと名前があるそうで、その名も【五王家制度】だとか。


 人間の考える統治の方法というのは、縄張り意識の強い人魚のそれとはかけ離れていて面白いが、その分ちょっと面倒だと思う。そんなことが可能であれば凄いことではあると思うのだが。しかしそれは地上と水中の違いだろうから、私からは特に何とも言えない――……と。


「……駄目だ。考え事をしている時点で集中出来ていない証拠だな」


 自覚するためにも口に出して溜息をつけば、ほんの僅かではあるが落ち着く。しかしそうすると今度は動きを止めた瞬間、今度は別の問題が頭をもたげた。


「……暑い……」


 何だかんだと色々考えたり素振りに集中しようと努めたりしたものの、実際に私が陸に上がってきて一番堪えたのは、この海底にいたころとの気温の変化だったりする。


 海底では基本的に季節は水が温んだり、冷たくなったりといった感覚で味わうものであり、緑の月、火の月、氷の月といった呼び方で月によって日数のばらつきが多かった。


 しかし地上では(こよみ)と呼ばれるものを使い、季節と一月にある日数はしっかりと管理されている。陸の暦に合わせるのであれば、私が陸に上がってきたのが五月。今は六月の中頃とあって、人魚の私にとってはかなり暑さが堪える。


 そこでふと、横を向けば、寄せては返す波打ち際があって。明るくなるのも暑くなるのもかなり早くなったので、鍛錬をする時間も早めた。よって、オズヴァルトが最近顔を出す時間まではまだ少しだけ暇がある。


「……すぐそこに海があるんだし、入らない道理はないよな?」


 うっかり陸の人間と同じような価値観に傾きかけていたことに気付き、裸足になって波打ち際に立つ。するとすぐに足に冷たい水が寄せてきて、足裏の細かな砂と一緒に海へと戻っていくくすぐったい感触。


 少しの間はズボンをまくり、ふくらはぎを海水につける程度で我慢していたが――案の定、この気持ちよさを知ってしまったら、もう我慢など出来なかった。


「前回は水浸しだったから不審者扱いされたんだったか……。ならば、鍛錬中に汗で濡れる下着だけ着けて、あとは岩場に隠していけば問題ないな。上から着たときに乾いていたら良いはずだ」


 誰に対する言い訳ともなしにそう結論を出し、手早く下着姿になった私は、近場にある岩場に服と剣帯を隠して海へと走り、真正面から受ける波に胸が高鳴る。この浮遊感は陸では味わえない。


 二足になってから初めての海中だが、泳ぎ方はこの血が知っている。唯一呼吸法にだけ気をつければ、あとは平気だろう。


 両脚を揃えてヒレであったときのようにしならせて水を蹴り、頭から水中に潜った。瞬間、私の耳は陸の音を切り捨てて、コポコポと懐かしい故郷の音を拾う。


 ああ……涼しい、冷たい、心地良い!! 久し振りの感覚にすっかり愉快になった私は、グングンと泳ぐ速度を上げつつ、岩場の見える範囲を泳ぎまくった。


 時々呼吸をするのを忘れて慌てて水面に顔をだしても、またすぐに水中が恋しくなって潜水する。しかし……海に入るまではまだどこかにあった冷静さが、いつの間にか失われていたことに気付いたのは、水面から水中へと細い光の筋が数本差し込み出してからだった。


 ――しまった、調子に乗りすぎた!! そう思って水面に顔を出して砂浜の様子を窺うと、そこには珍しく少し焦った様子のオズヴァルトの姿が……。


 成程、これが俗に言う絶体絶命の大ピンチというやつだな。無事に気付かれずに砂浜に戻れたとしても、下着しか着けていないこの状況。着替えている最中に見つかれば騎士団にいるのは難しい。


 さてこれはどうやって言い逃れをすべきだろうかと頭を悩ませていた、その時だ。浮き玉のようにぷかぷかと頭だけ水面に出していた私を見つけたオズヴァルトが、何かを叫んだかと思うと、服を着たまま海に入ってきた!?


 一瞬そこまでして説教をしたいのかと驚いた私だったが、次の瞬間別のことで驚くことになる。それというのも、足が立つところまでは見えていたオズヴァルトの頭が、急にふっと視界から消えたからだ。


 いや、まだそこまでなら潜水しているのかとも思えた。しかし、直後に大きな水しぶきを上げてバシャバシャと暴れる姿を見たその時、私の中での疑惑は確証に変わる。


「まさか……アイツ泳げないのか!?」


 この時慌ててオズヴァルト救出に向かう私の頭からは、その後に起こるかもしれない面倒ごとに関する思慮が一切吹き飛んでしまったのだった――。

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