*7* 愛の言葉は信じない。
あ、ええと。
これで最終回だと言ったが……あれは嘘だ|ω・´)<キリッ!
ゴメンナサイ、次で本当に最終回です;
オズヴァルトの口から言い訳を訊くどころか、生きている妹の姿に泣き崩れている間に、城から近衛兵がオズヴァルト達を呼び戻しに来てしまった。
式典の続行にラフィアナも連れて戻らねばならないと言い出した時には、思わず緑海の魔女に呪いを頼もうかと思ったが、そんな私に向かって『今夜ここで逢いたい』と言われ、その真剣な瞳に気がつけば頷いてしまっていた、のだが――……現在空には星が所狭しと輝いている。
先にラフィアナの無事を海底に伝えてくれと頼んだ魔女が一度去り、戻ってきて「もう帰りましょう?」と誘う言葉に「もう少しだけ待つ。先に戻れ」と答えてからさらに数時間。
そういえば、今夜とは何時のことを指しているのか訊ねるのを忘れていたな……と思っていたちょうどその時。暗がりの中から近付いてくる気配と「すまないジェルミーナ。疲れているだろうに、随分と待たせてしまった」という、聞き覚えのある声がして。
あまりにも疲れの滲んだその声音に、咄嗟に「別に私も暇ではないんだ。一度海底に戻って、さっきここに来たところだ」と答えると、相手はゆっくりとこちらに歩み寄ってきて、あの前回滑り落ちた岩場に躊躇いがちに腰かけた。こちらもややヒヤヒヤしながら岩場に上半身を預け、少しだけ低い海面からその顔を見上げる。
真っ黒な海面に月の光が反射するせいで水面の近くだけは仄かに明るい。おかげで私はオズヴァルトの顔を、オズヴァルトは私の顔を認識することには不便を感じることはなかった。
しばらくはどちらも無言で視線を絡めていたが、先に青灰色の瞳に気圧される形で「オズヴァルト……お前は、王になりたかったのか?」と訊ねると、岩場に腰かけたオズヴァルトは「いいや、今までもこれからも、考えたこともない」と自嘲気味にゆるゆると首を横に振る。
その哀しげとも受け取れる笑みに無性に腹が立ち「ならば何故、今日はあんな姿であの場に現れたんだ」と責めるような物言いになったが、オズヴァルトはジッと私を見つめて静かに「……お前が妹の敵討ちなどと物騒な考えを持っていなかったら、俺はあちら側に立つ気など少しもなかった」と答えた。
「何だそれは、私のせいだとでも言いたそうだな」
「お前のせい以外の何だと言うんだ。お前が無謀なことで命を落とすと思ったら、今日まで逃げ回ってきたことでもやるしかないと思ったんだ」
苛立ち混じりのこちらの物言いにも、オズヴァルトは溜息と対になるような穏やかな低い声で答えるものだから、今夜はやけに心が騒ぐ。
「……王になったのなら、もう簡単には逃げられんぞ。それにお前の家が次期国王の座につくのだとすれば、私の妹はどうなる? 一度は別れさせようとまでしたのだ。人魚だとバレていないにしても、後ろ盾のない娘をこのままフォンタナ家は受け入れるのか?」
言葉にしてみて、再びラフィアナの行方が知れなくなるのではないかという不安に、目の前が暗くなりかけたけれど――。
「そこは心配しなくても構わん。俺はただの期間限定国王だ。お前の妹の身柄については、スカリア家が養女として受け入れると承諾した。五王家内の縁組み扱いになればフォンタナ家も断れん」
そんな風にこちらの不安を見越していたかのようにそう告げるオズヴァルトに、心底から礼を述べようと思った。しかし口から零れたのは「この短時間に養子縁組みにまで持ち込むとは……お前、根回しが良すぎるだろう。それに期間限定国王とは何なんだ馬鹿馬鹿しい」という礼儀を知らぬ無礼な物言いで。
慌てて謝罪しようと口を開きかけたのだが、口の悪さを考慮していたらしいオズヴァルトは、岩場の上で気を悪くした様子もなく笑ってこちらを見下ろしながら、
「緊急措置とでも言うのか……理由はどうあれ、次期国王の選定期間中に席を外したフォンタナ家の長子を、すぐに玉座に座らせては納まりが悪いだろう? だから五年間だけ俺が受け持つことにした。五年もすればフォンタナ家の長子も多少しっかりするだろう」
――と言うので。元より政治的駆け引きに疎い私は、それならそういうものなのだろうと納得するほかない。
「それなら……少し寂しいが、今夜でお前に会うのも最後だな。人間に嫁ぐ妹の周辺に人外の姉の姿がちらついていては、せっかく妹の身柄を安全なものにしてくれたお前に申し訳が立たない」
ふと自分でも意外な言葉がスルリと口から零れたが、すぐ近くで波が岩に当たって散る音に消えた。口に出した瞬間馬鹿なことをと内心焦ったので、波に打ち消されたことに安心していたら、急にオズヴァルトが岩の上から身を乗り出して私の頬に触れる。
あんまり乗り出してまた海に転げ落ちられても敵わない。もっと奥に座るように声をかけようと口を開きかけたのだが、それを遮るように「そうなりたくはないから、そろそろ俺の話も聞いてくれるとありがたい」とオズヴァルトがやや固い声で申し出た。
そこで言われてみればそうだと思い「おお……すまん。こちらも妹のことで世話になったのだ。そちら側の要求で私に応えられることがあるなら言ってみてくれ」と安易に言ってしまったのだが――。
「ずっとお前を探していた、ジェルミーナ。幼い頃に助けられた時から、その勇敢さに惚れている」
うん、ちょっと待て。一瞬何を言われているのか理解できずに呆然と見上げる私に、オズヴァルトはさらに「五年後には玉座を降りて領地に帰る。出来ることなら、ついてきて欲しい」と。そう、馬鹿な提案をしてきた。
「え――……あ? この状況で何の冗談を言ってるんだお前は。そもそもこの醜い姿を見てよくもそんなことが言えたものだな。正気か?」
「醜い? 俺はずっとお前をそんな風に感じたことはなかったぞ。むしろ美しいと感じることは多かった気がするが」
――成程、嫌味でないとするならこれはあれだな。命の危機に瀕した時に見たものを神格化するやつだ。
そう結論付けて「あ~……だったらそれは助けた日のことか、人間の姿だった時のことだろう。冷静になって今の私の下半身を思い出してみろ。どう考えたって化け物だろうが。お前は人間なんだ。同じ種族の女と番になった方が良い」と答えたところ、オズヴァルトはかなりムッとした表情を浮かべつつも、乗り出していた身体を後ろに引いた。
――そのことに私が安心したのも束の間。
「そうか……残念だな。では明日にでも早速、お前の銅像を造るという案に承認印を捺しておこう。俺が玉座に座って最初の仕事だな」
オズヴァルトは何やらサラッととんでもないことを言い、話は済んだとばかりに岩場の上から立ち去ろうと腰を上げた。さっきまでの真面目な空気がこの瞬間に霧散するのが分かる。
「は……おいコラ、ちょっと待て。今何か聞き捨てならない発言が聞こえた気がするが? というか、そういえばあの場での私の扱いはどうなったんだ。うちの魔女に記憶を弄らせなかったのか?」
「戴冠式でお前が前国王夫妻を庇った姿が勇ましいと声が挙がってな。今回の騒動の誤魔化しと、下らん圧力をかけてくる隣国への牽制に“五王家を守護する海神”として祀ろうという案が出ていたのだ。記憶云々はすっかり忘れていた」
必死に情報を引き出そうとするこちらに背を向けたオズヴァルトが、急に子供のように見える。しかも一番やらかして欲しくない時にやらかす系の悪ガキだ。
「なん、なっ、馬鹿なのか貴様等は!?」
「それだけお前が神々しく見えたのだろう。良かったじゃないか海神様」
「ちょっ、オズヴァルト……何か急に受け答えが雑になってないかお前? 人としてどうかと思うぞ!」
立ち去ろうとする背中に声をかければ、砂浜の方へと一歩踏み出しかけていたオズヴァルトが再びこちらを振り向く。岩場からこちらを見下ろすその表情は一見シレッとしたものに見えるが、瞳の奥が全く笑っていない。例えるなら今夜の海水温のように冷ややかだ。
このまま城に帰らせては間違いなく馬鹿な書類に判を捺されかねない……!
身体をエラが水に浸かるギリギリのところまで岩場に持ち上げ、何とか抗議をしようともがく私に、それはそれは体温の籠もらない声音で「つい今し方人の求婚を気の迷いで切り捨てたお前がそれを言うのか?」と問われ、返事に詰まる。
だが幼い頃から男の気紛れな口説き文句に頷いて、後で泣く弟妹達の母親を何度も見送ってきたのだ。確かにクソ親父とこいつは違う……かもしれない。ただ、それでもやはり長年蓄積されてきた記憶は私に二の足を踏ませる。
「――あのな、オズヴァルト。私は諸事情で愛だの恋だのという感情が信じられないんだ。言っておくがこれはお前に対してだけじゃないぞ? 弟達やその息子達以外の男が駄目なんだ」
悩んだ末に色々ぼかしてそう伝えたところ、オズヴァルトは「俺はお前の父親ではない」とばっさり切り捨てた。その発言に思わず「情報源はうちの魔女か、妹のどっちだ?」と訊ね、オズヴァルトが「妹の方だな」と即座に返答したことで魔女の首の皮が繋がる。
これで職場放棄だけでなく雇い主の家庭内を暴露していたら、塩揉みして茹で上げてやるところだったぞあの魔女め。
「うん、まぁ……ともかくだな。うちの内情を知っているのなら話が早い。要はそういうことだ」
「そういうとは、どういうことだ? まさかそれで俺が納得すると思っているのか、お前は。ずっと捜していたと言っただろう。それを一度断られた程度で諦めきれるわけがない」
……何だか圧が凄い。いつも真面目で大人しい奴だった分、オズヴァルトがここまで食い下がってくるとは思っていなかった。
かなり困惑気味に「もっとちゃんとした説明でないと駄目なのか? 正直これ以上の理由など求められても何もないぞ」と答えたものの、オズヴァルトはムスリとした表情を崩さずに「今すぐに信じることが無理なら、今日から五年間、毎日お前と鍛錬した早朝にここを訪れて求婚する」と訳の分からないことを言い出す。
「待て待て、最初から信じないと言っているだろう。馬鹿かお前は。国王が海に出向いてわざわざ人外の化け物相手に求婚だと? それに私も暇じゃないんだ。一方的にそんな約束を取り付けようとしたって無駄――、」
「そうか……やはり初恋とは実らないものなのだな。それでは残念だが、やはりお前の銅像を造らせよう。無駄な時間を取らせてすまなかった」
「待て待て待て! お前、卑怯だぞ? 仮にもそれが元騎士団の副団長まで務めた男がやることか?」
再び持ち出された脅し文句にギョッとする私を見下ろしたオズヴァルトは、不意に珍しく人の悪い笑みを浮かべて「元騎士団の副団長だからだ。手段を選んでいられない時と場合は把握している」と口にすると、傷の残る左手で私の右手を取って、その甲へと軽く唇を落とす。
完全な不意打ちに硬直する私に向かって「まずは、これで一回目だ」と、自分でしておきながらひどく照れくさそうに頬を掻いてポツリと言うから。
正気に戻って「愛や恋など信じない!」と叫んで突き飛ばすまでに、妙な間が出来てしまったではないか……。




